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ただ美しく……  作者: 桐条京介
第2部 1章 君臨
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 収録が終わるなり、華憐という芸名で同じ世界に飛び込んできた北川希に話しかけられた。至近距離から、睨み殺さんばかりに険悪な視線を叩きつけてくる。

 何か用と尋ねる前に華憐は口を開く。「私は必ずのし上がって、アンタの上に行く」

「好きにすればいいわ」

 強い決意と覚悟が込められた宣言でさえも、すげなく受け流す。私は超絶人気を誇る優綺美麗。こんな小物風情に本気になっても笑われるだけだ。

「いつまで余裕ぶっていられるか見ものね。楽しみだわ。今度はアンタが無様に膝をつく番よ。泣き喚いてぐしゃぐしゃになった顔を踏みつけて、私にしたことを後悔させてやる……!」

「私、貴女に何かしたかしら? 会うのも初めてだと思うけれど」

「――っ! まさか本気で……くうっ! チッ! マネージャーもあの時とは変わってるのね。いいわ。そっちがその気なら、嫌でも思い出させてやる。必ずね!」

 吠えるように叫んだところで、華憐のマネージャーが彼女を私から引き離した。後ろに下がらせ、こめつきバッタのごとく謝罪を繰り返す。

 その間も華憐は一切謝らない。やがて付き人の男は強引に彼女へ頭を下げさせた。将来がどうあれ、今は私の方が立場は上なのだ。余計ないざこざを起こすのは事務所の損にしかならない。

 ため息をつきたくなった。自身の状況も正しく把握せず、怨恨だけで噛みつく華憐の愚かさに。しかし滑稽な玩具と考えれば、なかなか面白い。

「お話は終わりかしら。それではごきげんよう」

 にこりとはしない。華憐に送るのはあくまでも冷笑だ。

 安い挑発なのに、彼女はそれだけで発情した猿のごとく真っ赤にした顔を怒りで歪める。相変わらず単純かつ簡単な女だ。私に騙され、もてあそばれた時と何も変わっていない。学習能力がないのだろうか。

 くだらない。華憐となった北川希も。そんな存在に、いいように嬲られていた東雲杏里という過去の女も。

 背を向けて歩き出す私を、いつまでも憎悪に支配された華憐の視線が追いかけてきた。


 せっかく仲介したのにいざこざを起こすとは。後日会った大城は不愉快そうにしていたが、私は気にしていないと言っておいた。

 私まで不機嫌さを露わにすれば、面子を潰されたと彼は華憐の所属する弱小事務所に報復をしかねない。

 それはそれで立場の違いが明確になって楽しそうだが、あの女――華憐は所属した場所が悪かったとだけ考えて、私への敗北を認めようとはしないはずだ。

 顔立ちは整っていても、脳細胞はそうでないのだから、この上なくわかりやすく私には敵わないというのを教えてやるしかない。前回よりも巨大な絶望も一緒にプレゼントしてやれば、二度と立ち直れないくらいに泣いて喜んでくれるだろう。

 私と華憐のやりとりは事務所にも報告されていたが、憤る社長にも放っておけばいいと告げていた。本気になって襲い掛かってきても、どうせ敵にはならないとも。

 しかし対面を果たして以降、そこかしこで華憐の名前を聞くようになった。


 収録でのいざこざから一カ月後。

 華憐という名前の女性タレントは、毎日のようにテレビ番組で見かけるようになっていた。

 他にもラジオやCM、映画の試写会など連日数多くのイベントをこなしている。そのたびに華憐は私のライバルを公言した。

 最初は冗談としか思ってなかったメディアも、彼女の人気が高まるにつれて見方を変えた。優綺美麗の後継者とまで報道する媒体も出てきた。

 威勢の良さがお茶の間に受けたのもあるだろうが、それだけで急速に出演番組を増やすのは不可能だ。どのような手段を用いているかは、大体予想がついていた。それは私だけでなく、事務所に在籍する人間全員がである。

 若い女性が手っ取り早く名声と仕事を得るなら、己の体を使うのがもっとも効果的だ。華憐――北川希は恐らく躊躇いもせずにその方法を実行したのである。

 芸能事務所の関係者に接触し、どのような仕事でもやるとベッドの中で告げて所属を勝ち取り、その後は紹介される関係者と一人ずつ親密になっていく。

 人が人を呼び、螺旋のように繋がって彼女の交友関係は一気に広がる。権力者のパーティーに呼ばれれば、あらゆる意味で華を提供する。見返りとして魅力ある仕事を貰い受けるために。

 華憐が有名になって露出が増えれば事務所も潤うのだから、ヤる気になっている彼女を止めるわけがない。むしろ積極的に支援する。その結果が今の状況である。

 大御所と呼ばれるお笑い芸人メインの特番にも出演し、色気と元気を振りまく。男性誌のグラビアがメインだったのに、いつの間にやら私一色だった雑誌の表紙は半分程度が彼女に変わった。

 私よりものし上がると宣言した通り、手段を選ばずしゃにむに突き進む華憐の快進撃は見事の一言だった。最初はすぐに消えると嘲笑っていた事務所の連中も、徐々に焦りの色を見せるようになってきた。

 だからといって私に具体的な指図はできない。パイを失いつつあるとはいえ、いまだに事務所の稼ぎ頭であることに変わりはないのだ。

「もの凄い勢いで頑張ってるわね。あのバイタリティが少し羨ましいわ」

 事務所にある私専用に個室で、高級ソファにもたれながら話題になっている4Kテレビで華憐の活躍を見守る。快進撃とは、まさに今の彼女のために存在する言葉だ。

「私は美麗さんが一番だと思っています」

 部屋の隅で影のように控える付き人――糸原満が太鼓持ちでもするかのように賞賛の言葉を場に浮かべた。

 漂う賛美を面白くもなく手で払い、視界に映るテレビで威勢の良い言動ばかりを並べる華憐に目を細める。

 事務所の他の連中と違って私に敵愾心や焦りはない。ただ見ているだけ。何故なら、華憐への対策はそれで十分だとわかっているから。

「美麗さん、そろそろスポンサーの方とのお食事の予定時間となります」

「そうだったわね。では行きましょうか。フフ。彼女が頑張ってくれているおかげで、予定にゆとりができたわね。ゆっくりテレビを見てから食事に出かけるなんて、どれくらいぶりかしら」

 笑いながら満にエスコートさせ、私は食事の場となる高級レストランへ向かう。


 互いの付き人や関係者を別席に座らせ、老齢に近い男性との食事を二人きりのテーブルで行う。楽しむというよりは、相手の面子を立てるための食事だ。

 媚を売る必要はないが、適度な相槌や微笑みは必要となる。有益な人物を不快にさせても、この業界に限っては得などほとんどないのである。

「そういえば最近、名を知られた女性タレントがいるね。君のライバルだったかな」

「ええ。向こうがそうおっしゃってくださってるみたいですね。フフ、光栄ですわ」

「私もこの間紹介されて会ったがね。なかなかに素敵な女性だったよ」

「まあ。私との食事の席で他の女性の話をするなんて。会長さんも意地が悪いですわ」

 向かい合っている私の相手は、誰もが知っている一部上場企業の会長だ。政府との会合に参加し、その後にメディアの取材に応じるのも少なくない。そんな人物と知り合えるところまで辿り着いたというのは、素直に賞賛できることだった。

「これは失礼。だが、あまりにも魅力的だったものでね」

 こちらを見る会長の瞳に、意味ありげな光が宿る。

 獲物を狙う捕食者――いいえ、牝を貪ろうとする本能に忠実な牡そのものの目ね。

 相手の態度だけで、先日会ったという華憐とどのような行為をしたのかが想像できる。そして私に何を求めているのかも。

 ナプキンで拭く、やや濃い目のレッドルージュに彩られた口元に会長の視線が突き刺さる。本当にわかりやすい反応である。

「誤解しないでくれよ。私はあくまで優綺美麗のファンなんだ。だから、これまでも多かれ少なかれ支援をしてきた」

「ありがとうございます。心より感謝しておりますわ」

「うむ。だが私としてはもっと濃密な支援をしたいとも思っている。君が望めば、だがね」

 ここでようやく好色さが前面に出てきた。端的に表現すれば、私に枕営業をしろと要求しているのだ。

 ライバルに猛追されて、トップの立場を守りたいがゆえに嬉々として応じると思っていたのかもしれない。だとしたら甘すぎると言わざるをえない。私はそんなに弱い女ではないからだ。

「会長には現在でも十分すぎるほどの支援を頂いておりますわ。これ以上、ご迷惑をおかけするわけにはいきません」

 すまし顔で断ったからといって、会長は激昂したりしない。そうかとこちらの決断を受け入れるだけだ。その後、どのように行動するかまではわからないが。

「先ほども言った通り、私は君の味方だ。困ったことがあったら、いつでも言ってきたまえ」

「ありがとうございます」

 座ったままで丁寧に頭を下げる。微かに開いた胸元へ、滑り込むように視線が入る。向こうは上手く隠しているつもりかもしれないが、女は男の目がどこを向いてるかすぐにわかる。

 あたかも見てませんよと言いたげに、双丘の谷間をチラ見する男は滑稽で笑えるくらいだ。女の身にとって、好意の欠片もない相手の欲望にまみれた視線はおぞましいだけなのである。

 案の定、私が姿勢を戻すと、会長は何事もなかったかのようにフォークとナイフで牛フィレ肉を楽しむ様子を見せる。若かろうが年老いていようが男は男。その見本みたいな相手だった。

「美麗さん、そろそろ次の予定のお時間が迫っております」

 機を見て、満が付き人らしく私に耳打ちする。わざと会長にも聞こえるような音量で。

「そうですか、わかりました」フォークとナイフを置き、微かな笑みを私は口元に浮かべる。「本日は楽しかったですわ。是非、また誘ってください」

 立ち上がる私を引き止めようとはしない。去る者追わずの精神で、あくまでも自分に余裕がある姿を植え付けたいのだろう。そうすることで男としての器が示せると思っているのだ。

 本当は私の足にすがりつき、舐め回したいでしょうにね。残念ながらお預けよ。心の中で蔑み、席を離れる。

 高級な食事もワインも今の私には当たり前のもの。途中で退席したからといって、未練など残ろうはずもなかった。


 さらに一ヶ月が経過しても華憐の勢いは衰えない。一部では優綺美麗を超えたなんて言われたりもしている。

 確かに一時期よりも仕事は減ったが、なくなったわけではない。焦って枕営業などの色を使うやり方は愚の骨頂だ。

 これまでと同じ振る舞いで、やり方を変えるつもりはない。社長にはそう言ってあるので、事務所から方針転換やキャラ作りの話は一切届かない。よしんばあったとしても、満が止めているはずだった。

 付き人としての彼は非常に優秀だ。痒いところに手が届くというべきか、己の職務を全うする。それでいて余計な口出しはしない。私の意向を最優先し、そのためのフォローを行うのに徹していた。

 悲しい別れはあったにしても、東雲杏里時代に何をされたわけでもない。無駄な虐めや甚振りをしてないのも、彼が長続きしている要因かも知れなかった。

 男女の関係になるのではないかと社長は心配しているみたいだが、当の満が否定した。自分は美麗さんのそばにいられるだけで満足ですからと。誰かから教えられたわけではなく、適当に事務所内を歩いている際にたまたま聞いてしまっただけである。

 持て余したりせず、ゆっくりと流れる時間を楽しむ。

 事務所のソファに背を預け、ワイン片手に眺めるテレビには、今日も華憐の挑戦的で生意気そうな顔が映し出されている。

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