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ただ美しく……  作者: 桐条京介
第2部 1章 君臨
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 開け放たれたドアのすぐ側で、丁寧に頭を下げた新付き人の男性は、かつて存在した東雲杏里という女性の初めての彼氏だった。

 結局は別れてしまい、その後はそれぞれの人生の中で深く交わることはなかった。その糸原満が優綺美麗となった私の前に立っている。

 それはとても不可思議な光景だった。現実感がなく、まだベッドで夢を見てるのではないかと思ってしまう。

 縁なしの眼鏡をかけ、背すじを伸ばして真っ直ぐにこちらを見つめる。奥の瞳は邪念など微塵もないとばかりに、希望に満ちてキラキラと輝く。

「付き人として美麗さんのおそばで働けるなんて夢みたいです」

 ファンの一人のごとき発言によって、私は現実に戻る。瞬きする程度の時間とはいえ、白昼夢を見ているような感覚だった。

 緊張の足取りで、満が歩み寄る。改めて観察してみる。同姓同名の他人ではない。

 どうして糸原さんが私の付き人に。まさか、私が東雲杏里だと気付いた?

 跳ねるような動機を心臓が刻む。息苦しくなると同時に、勢いを増した血流の影響なのか全身が熱くなる。夏ということでノースリーブを身に着け、見えている私の腕に微かな汗が滲む。

 ロングスカートに包まれた足を、忙しなく組み替える。誰にも気取られてないみたいだが、明らかに私は動揺していた。

 何を話すべきか迷っているうちに、社長が本採用とする旨を満に告げた。即座に私が却下しなかったのに加え、付き人がいなければぎっしり埋まった予定を順調に消化できないからである。

「今日もたくさんの仕事が入っている。うちの女神に粗相をするんじゃないぞ」

「はい。しっかりと務めを果たさせていただきます。美麗さん、よろしくお願いします」

 再度、満は私に頭を下げた。付き人になる人間の最初の態度はどれもこんな感じだ。最初のうちは優綺美麗だからと色々と我慢するが、そのうちに耐えられなくなって昨日の女みたいに辞める。

「貴方はどのくらい持つかしら」

「ずっとです」

 顔を上げた満に恐れは不安は一切なかった。本心からそう思ってるので、口にしただけという感じである。

 初々しい態度には少なくない憧れがあり、私は確信する。糸原満は優綺美麗と東雲杏里が同一人物だとは気づいていない。

 ……変ね。どうして残念に思うのかしら。当然じゃない。私はもう東雲杏里とは別人なのよ。

 気を取り直してソファを立つ。社長が言っていた通り、今日も多くの仕事が私を待っている。

 リムジンには専属の運転手がいるので、新しいマネージャーがテレビ局の場所をまだ覚えていなくとも構わない。出発の意思を示すと、即座に満は頷いた。

「では参りましょう。本日もよろしくお願いします」


 テレビ局での番組収録二本に加え、CMの撮影も同数入っていた。多忙な私にのんびりしている暇はない。

 テレビ番組の収録を終えて控室へ戻ろうとした私の前に、恰幅の良い男性が近づいてくる。テレビで見ない日がないと言われるほどの業界人で、政界や財界にも強いコネクションがある。わざわざ露骨に関係をひけらかして、自慢しないあたりが超大物の風格を感じさせる。

「あら、大城さん。本日はこれから撮影ですか」

 その男――大城の名前を、私は普段よりも高い声で呼んだりはしない。優綺美麗となる前にスナックで対人スキルを積んでいたが、彼相手に駆使すると墓穴を掘る結果になるだけだ。

 この手の人物は媚を売られると相手を下に見る。それがわからない無能で阿呆な女だけが嬉々として股を開き、そして簡単に捨てられる。その時になってようやく知るのだ。自分が通り過ぎられるだけの慰み者同然だったのだと。

 初対面時から大城の本質を見抜いた私は、あえて普段通りの態度で接した。けれど他の者への対応とは決して違う。相手を尊重し、失礼にあたる真似をきちんと避けた。

 業界で力を得ただけあって大城は有能だ。瞬時に私を使えると見抜き、肉体を貪るための女とは違うアプローチをしてきた。一言で関係性を説明するなら、ビジネスパートナーだ。

 大城は自身の主催するパーティーなどに私を呼ぶ。業界でも好き勝手に振る舞う優綺美麗を、簡単に誘える有力者。その立場に様々な人間が群がる。

 そうして権力をさらに得ていく大城は、私に数多くの財界や政界の大物を紹介する。CM撮影を担当する部署の責任者とは、桁違いの重役ばかりである。

 利用し、利用される。お互いに価値があると理解しているからこそ、共存の道を歩む。ただし、決して抱かせはしない。そこらへ無数に転がっている安い女と私を一緒にされては困る。

「ああ。特番に特別ゲストとして呼ばれてね。美麗君ほどではないが、なかなかに忙しいよ」

 私が先ほどまで臨んでいた収録で姿を見かけなかったのだから、他に出演する予定なのは当たり前だった。わかっていて尋ねたのは挨拶みたいなものだ。

「私も大城さんほどの大物になれば、あくせく働なくとも人生を謳歌できるのですけどね。若輩者にはまだ難しそうですわ」

 挑発じみた言動のようにも感じるが、険悪な空気にはならない。むしろ、堂々した振る舞いほど評価される。

 大城が業界での後ろ盾についたおかげもあって、急速に確固たる立場を構築できたのだ。けれど感謝はしていない。彼もまた、自身の凄さを演出するために私――優綺美麗を利用しているのだから。


 午後となり、CMの撮影を一つ終えてテレビ局に戻った私は、朝とは違う番組の収録を行っていた。

 通常時はほぼ出演しないバラエティだ。お笑い芸人が司会を務めるこの番組の出演依頼に応じたのは、後ろ盾である大城の仲介だったからだ。制作の総指揮を執る人物とは昔から懇意にしているらしい。

 どうして私がと思っても、不満を表には出さない。大城にはまだ利用価値がある。少しくらい恩を売っておいても損はないと判断した。

 大城に頼まれたのもあり、比較的にこやかに収録へ参加する私のおかげで、時間を無駄に浪費することもなく順調に進んでいた。

 空気が一変したのは、コーナーのゲストという女性タレントが登場してからだった。

 出演するなり私をライバル視し、優綺美麗より売れますと宣言した。これには司会者のお笑い芸人はもとより、収録を見学していたスポンサーや局の幹部も大慌てだった。

 せっかく何の問題もなく撮影を行なえていたのに、私にへそを曲げられでもしたら一大事だ。それに優綺美麗をキャスティングをしたのは大城である。こちらに非がない展開で収録が駄目になれば、彼の面子をも潰す結果になる。

 大城と懇意だという制作総指揮の中年男性以外は冷や汗を浮かべる中、私は優雅に左手を上げて撮影を中断しようとするスタッフを制した。女性タレントの好きにさせろという合図である。

 不敵に笑うのすら勿体ない。眉一つ動かさない私の視界に映り込んだ女性タレント。

 周囲から見れば顔にも名前にも覚えがないぽっと出だろうが、私は彼女を知っている。誰よりもよく知っている。

 自己紹介をしてもらう必要はない。歌うように閉じた唇の中で彼女の名を転がす。いつか絶望のどん底に叩き落してやった北川希という名前を。

「おいおい、華憐ちゃん。勢いのある若手っていうのはわかるけど、噛みつく相手を間違えてるって。天下の優綺美麗様ですよ!?」

 私が収録をストップさせなかったのを受けて、司会者のお笑い芸人は煽るような発言を連発する。生意気な新人タレントと、世界に名だたる優綺美麗の番組内でのバトルを演出したがっているのだ。

 司会者は制作の思惑が手に取るようにわかっても、乗ってやるほど私はお人好しではない。そもそもこんな流れになるとは一切聞いていなかった。

 それでもなお激怒しないのは大城が間に立っているからではない。このような事態になった時点で、侮辱されたと席を立っても彼は私を責めないだろう。糾弾されるのは北川希――華憐と呼ばれていたのでそちらが芸名なのだろう――と彼女を預かっている事務所である。

 自由に遊ばせているのは、女性タレント華憐の正体が北川希だからだ。私にコケにされたあと、復讐をしてやろうと持てる力をすべて使って芸能界へ飛び込んだのだろう。

 短期間で彼女みたいな人間が表舞台で活躍するには、手っ取り早く効果的な方法を使うしかない。それが最終的に自身の首を絞めることになるとも知らずにいい気なものだ。愚か者の姿を目に焼き付け、後々まで嘲笑してやりたかったからこそ、あえて不愉快だと途中退席しなかったのである。

 こちらの思惑など露知らず、同じ舞台に立ってやったと得意げな華憐は笑えるほど素敵なドヤ顔で司会者とやりとりをする。

「このくらいの差なんて、あってないようなものですよ。私、自信があるんです。必ず美麗さんが座っている椅子を奪い取ります」

 力強く宣言した華憐に、スタジオ内のざわめきが大きくなる。驚くというより、顔を青ざめさせているのが大半だ。特に顕著なのが彼女の付き人だった。

 私の事務所はそれなりに力がある。規模自体はさほどでなくとも、大手との繋がりを堅持しているからだ。

 果たして彼女――華憐の場合はどうか。周囲の反応を見るに、そこまで大きな事務所とは思えなかった。

 もっとも大手事務所といえども、テレビ局やスポンサーと面と向かっての対峙は避ける。今や人気絶頂となった優綺美麗に好きこのんで喧嘩を売ったりしない。

 似たようなケースがあるとすれば、それは互いに喧嘩をしましょうと事前の取り決めがあった場合。つまりは八百長をして情報媒体を盛り上げたい時である。

 その際には事務所はおろか、私にも話が伝えられる。こういうやりとりをして、どこそこの誰々と犬猿の仲だという関係を作ってほしいと。

 今回の裏にそうした事情はない。完全に華憐――北川望の独断専行だ。言ってやったという爽快感に彼女は達しそうな快感を得ているかもしれないが、巻き込まれる側としては冗談じゃない。

 早くも華憐の付き人が私の付き人である糸原満に近づき、頭を下げていた。事務所側としては対立する意思がなく、番組を盛り上げるための演出だとでも釈明にいったのだろう。もしくはこの部分をばっさりカットするようにプロデューサーへ頭を下げるから、勘弁してほしいと謝っているのか。どちらにしても彼は、愉快な展開だとは思っていないだろう。

 さて、私はどうするべきかしらね。表情を崩さずに考える。立ち上がって「どうぞ」と自分が腰を下ろしている椅子を譲るのも洒落がきいていて面白そうだが、それではバトル展開になりかねない。華憐の思惑に近い形にする理由も義務もない。

「頑張ってください」

 最終的に私が採用したのは、笑顔で相手を励ますというものだった。収録中はどのように噛みつかれても、そのスタンスを崩さない。

 理解した司会者が華憐へ歯牙にもかけられてないとからかうが、彼女は彼女でめげずに過激ともとれる言動を繰り返す。

 視聴者にはようやく出演した番組で、少しでも爪痕を残そうと必死になっているとしか受け取られないだろう。そして私はそんな無様で憐れな新人タレントを、正面から受け止めてあげる優しい人だと評価を上げる。もしくは女帝らしいとさらに絶賛されるか。何にせよ今回の一件で、華憐が株を上げることはない。

 内心でせせら笑いながら、収録が終わるまで私は華憐の空しくも懸命な姿を楽しんだ。

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