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ただ美しく……  作者: 桐条京介
第1部
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41

 私に甘い言葉で誘われた牧田友行は、急用ができたとでも告げたのだろう。早くも自分の恋人――北川希と別行動をとり始めた。その様子を見ていた私は、不審がりながらも帰宅しようとする北川希に接触する。優綺美麗という有名人にいきなり声をかけられた相手女性は、驚いて声を裏返させる。

「わ、私に何か用ですか」

 妙に緊張しているので理由を尋ねると、前々から私――優綺美麗に憧れているとのことだった。

 たまらず吹き出しそうになる。高校時代は足蹴にしかけていた女を、恥も知らずに憧れていると言い放ったのだ。完全に北川希は敗北を認めており、私を崇拝の対象として見ている。これだけでも、過去の暴挙を許してやりたくなる。

 結果的に新しく生まれ変わるためのきっかけを与えてくれたようなものなので、さほどの恨みは抱いていない。わざわざ牧田友行に声をかけたのは、北川希ともども、からかってやるためだった。

「そうだったのね。だから、私に彼氏を差し出してくれたのかしら」

「え?」

 私の発言に、意味が分からないとばかりに北川希がきょとんとする。顔にはありありと動揺が浮かんでおり、急速に不安を覚えているみたいだった。

 高校卒業後に何があったのかはわからないけれど、牧田友行と北川希は着々と愛を育んでいたようだ。そうでなければ、このように心配そうな顔をするはずがなかった。

「差し出した……って、あの……どういうことですか……」

 振り絞るように、相手女性が質問をしてくる。意味ありげに微笑んでみせて「何でもない」と応じ、北川希の不安を煽るのもひとつの手だけど、ここはあえて素直な反応を見せてみる。

「あら。聞いてなかったのかしら。まずいことを言ってしまったみたいね。気にしないでちょうだい」

 困ったような表情を作り、含みのある台詞で相手をさらに動揺させる。自分の彼氏と何があったのか、気になって仕方ない北川希はひたすらにうろたえている。

 どういうことかきちんと説明してもらいたいけれど、相手が有名人なので強くでられない。北川希の葛藤が手に取るようにわかった。

「うふふ。そんなに気になるの? ただ普通に街を案内してほしいと頼んだだけよ。何故か恋人の貴女へ秘密にして、自分ひとりで案内したがっているみたいだけれどね」

「そ、そうなんですか……」

 口調こそ静かだったけれど、北川希の瞳には明らかに怒りの炎が宿っている。もちろん私にではなく、牧田友行へ向けられたものだ。

「もしかしたら、変な気でも持っているのかしら。誤解されても困るから、やめておいた方がいいわよね。あの程度の男に執着する必要もないし」

 そこまで言ったところで、わざとらしく北川希の顔を横目でちらりと見る。悔しそうな顔をしている相手女性へ、さらに屈辱を与える発言をぶつける。

「あら、ごめんなさい。そういえば、貴女の彼氏だったわね。もう少しで、あんなのと付き合う女の顔が見てみたいなんて暴言を吐くところだったわ。許してちょうだいね」

「……いえ」

 唇を強く噛んでいる姿を見れば、言葉どおり思ってるわけがないのは明らかだった。東雲杏里が相手だったのであれば、殴る蹴るの暴行に及んでいてもおかしくない。優綺美麗に言われているからこそ、屈辱と怒りで身体を小刻みに揺らすことしかできないのだ。

「綺麗な女性に声をかけられれば、あっさりと彼は貴女を裏切りそうね。それでも交際を続けられるのだから、心が広い立派な女性だわ。とてもじゃないけれど、私には真似できないもの」

 浮気性の男に尽くすアホ女。そういうニュアンスの台詞だというのは、すぐに北川希もわかったみたいだった。

「あら、怒ったかしら。でも、私は貴女のためを思って言っているのよ」

「私のため、ですか……」

「ええ、そうよ。それだけの顔とスタイルを持っているのに、あんな男と付き合って大切な時間を無駄にするのは良くないわ」

 褒められているのか、コケにされているのかわからないらしく、北川希はどのようなリアクションをするべきか迷っている。

「どうかしら。あんな男とはさっさと別れて、貴女もモデルをやってみない?」

 すでにトップモデルとなっている私からの誘いに、目の前にいる女性は態度を一変させて瞳を輝かせた。


 彼氏を奪われそうになった不満はどこへやら。北川希は二つ返事で私の申し出に了承した。実在の有名人から直接スカウトを受けたのだから、騙される心配もないと安心しきっている。けれど事務所の人間に話す気はないし、実際に私が彼女の後押しをするつもりもなかった。要するに、喜ばせてからかっているだけだ。

 こちらの思惑など知る由もない北川希は、ひとりで舞い上がり続けている。満面の笑みを浮かべながら、あれこれと質問をしてくる。相手を騙すためとはいえ、逐一答えるのも面倒だったので、私は早速本題を口にする。

「貴女が決意したのであれば、鼻の下を伸ばしてやってくる間抜けな男に、制裁を加えてみたらどうかしら」

「制裁……ですか?」

「そうよ。私との待ち合わせ場所に貴女が立っているの。どうしてこんな場所にいるのか、問い詰めたあとに彼がどんな反応をするのか見ものじゃない」

 高校時代に東雲杏里が被害にあっていたとおり、元々が誰かを騙したり、コケにしたりするのが大好きな女性である。私の提案に、すぐさま乗ってきた。どうやら彼女にとって牧田友行の存在は、モデルデビューよりも下みたいだった。憐れにも恋人に捨てられることが確定した男性は、何も知らないままで私とのデートをあれこれと妄想しているはずだ。

 北川希に待ち合わせ場所と時間を教えたあと、私は生まれ故郷での仕事を終わらせる。マネージャーに自由行動をすると告げ、ひとりで愉快なイベントが発生する現場に向かう。

 別行動をとっていた北川希が、待ち合わせ場所の中で恋人に見つからないように隠れている。先に自分がいるのを知られたら、騙してからかうのは不可能だからだ。

 被害者となるべき愉快なピエロがやってきたのは、それから数分後のことだった。トップモデルと2人きりで会えると思っているだけに、顔には会心の笑みが浮かんでいる。その表情を見ているだけで、私は吹き出しそうになる。

 お腹を抱えて笑う前に、颯爽と北川希が姿を現す。人の気配を感じて振り返った牧田友行は、すぐに口をぽかんと開けた間抜けなリアクションを披露してくれた。背後から現れた人物をトップモデルの優綺美麗だと確信していただけに、動揺ぶりは凄まじい。何を言うわけでもなく、震える指を北川希へ向けながら、目を泳がせる。

「こんなところで会うなんて、偶然ね。ところで、用があるから先に帰れと私に言っておいて、友行はここで何をしてるの」

「え、いや、俺は……そ、そう。散歩だよ、散歩」

 今、思いつきました感がありありの言い訳では、誰ひとりとして納得させられない。ましてや牧田友行の目の前にいる北川希は、自分の彼氏がどうしてこの場にやってきたのか、正しい理由をすでに知っているのだ。

 誤魔化そうとするほどに男はどつぼにハマり、余計に恋人の怒りを買うだけだった。だけど裏事情を知らない牧田友行は、なんとかこの場を乗り切ろうと必死になる。事情を知っている人間からすれば、滑稽なだけだった。北川希の印象も同様らしく、呆れている様子が見て取れる。明らかに愛想を尽かしており、別れる覚悟が完全に固まったみたいだった。

「散歩ね。私はてっきり、誰かと待ち合わせをしてるのかと思ったわ」

 核心を突く北川希の指摘に、牧田友行の顔から血の気が失せる。ぎこちない笑顔と、焦点の定まってない目が男の現在の立場を如実に表している。

「そ、そんなわけないだろ。お前も言ってたじゃん。偶然だよ、偶然」

 己の愚考がバレてるとは夢にも思ってない牧田友行は、なおも懸命に恋人を誤魔化そうとする。それどころか、北川希をなんとかしてこの場から移動させようと企む。

「俺もすぐ戻るから、お前も帰った方がいいぞ。あとで連絡するから、一緒に飯でも食いに行こうぜ」

 ご飯程度で誤魔化されると思ってるのだろうか。怒りに燃えた北川希の目が語っていた。

「そうね。早めに戻った方がいいかもね。だって、優綺美麗さんはここへ来ないんだから」

「……え」

 一瞬にして現場の空気が凍りつき、牧田友行の目がこれ以上ないくらい大きく見開かれた。


 どうして、そのことを知っているんだ。これまでの誤魔化しがすべて無駄になるくらい、牧田友行は素直極まりないリアクションを見せた。挙動不審ぶりが激しくなり、恋人に隠れてトップモデルの優綺美麗に会おうとしてたのが明らかになる。もっとも北川希はすでに知っていたため、改めて驚いたりはしなかった。呆然とする牧田友行を見て冷笑し、愛情の欠片も見当たらない声で真実を告げる。

「私がそのことを知ってるのが気になる? 聞いたのよ。美麗さん本人から、直接ね」

 私こと優綺美麗が、単に牧田友行をからかって遊んだこと。その事実を北川希に打ち明けた上で、一緒に制裁を加えないかと提案したこと。ひとつ残らず、残酷なまでに真実が垂れ流される。

「嘘だ」

 牧田友行が叫び、北川希が嘲笑う。本当に恋人どうしなのかと疑いたくなるくらい、2人の関係は冷え切っていた。一緒にイベントを見に来た時は手を繋いで、仲良さげな雰囲気を放っていた。それが些細な問題によって、ここまで関係をこじらせている。

 げに恐ろしきは人の内に潜む欲望だ。男女の愛なんて、形のない不確かなものは無残に破壊される。男は極上の美女との逢瀬を求めて。女は己の野心のために、パートナーを捨てる決心をした。

 視界に映る男女の争いは、とてつもなく醜かった。これこそが人の本性である限り、世界から争いがなくなるはずもない。だとすれば、私は常に勝者でいたかった。

 そろそろ出番だろうと判断し、私はゆっくりと牧田友行と北川希が口論している現場へ姿を現す。2人の視線が一斉に注がれる中、真打として口を開く。

「無様ね。本当に、私に相手をしてもらえると思っていたのかしら」

 今さら悪女みたいに思われるのなんて、何とも思わない。これからも私はこのキャラを前面に押し出していく。決して無理をしてるわけではなく、現在の姿こそが本物の私なのだ。他者を見下し、己の立場を周囲へ知らしめる。普通の女性には不可能でも、誰よりも美しくなった私であれば十分に可能だった。

「な、なんだよ、それ。芸能人だからって、調子に乗ってんじゃねえよ」

「その言葉、アンタにそっくり返してあげるわよ」

 怒鳴り散らす牧田友行に、辛辣な言葉を送ったのは恋人であるはずの北川希だった。目に敵意しかないのを敏感に察知した男は、すぐに己の保身のために言い訳を開始する。けれどモデルデビューで頭がいっぱいの女は、聞く耳を一切持たなかった。

「悪いけど、アンタみたいに情けない男なんてごめんなの。わかったら、ひとりで帰ってよ。今の間抜けな顔を携帯で撮影してあげるから」

 女2人にボロクソ言われた男は、悔しさで唇を震わせるだけだった。怒りに全身を支配されても、力でこちらを屈服させようとしない点だけは評価できる。もっともそんな真似をしようものなら、私が所属している事務所に訴えられて、人生を棒に振るのは明らかだった。

「……ちっ! なら、勝手にしろよ!」

「美麗さん、聞きました。あれが負け犬の遠吠えですよ」

 北川希は早くも私の太鼓もちみたいになっている。よほど芸能界に魅力を感じているのだろう。彼氏だった男――牧田友行をとことんまで貶める。ここまですれば関係は修復不可能になる。それでも構わないという心情が、北川希から見て取れる。芸能界で新しい人生を始めるためには、彼氏は邪魔だと考えてここぞとばかりに別れたのかもしれない。それが北川希にとって、最大の間違いになるとも知らずに、どこまでもいい気なものだ。

 肩を落とし、背中を丸めた牧田友行の後姿がとても小さく見える。去っていく男に、私は心の中で声をかける。

 過去に貴方が見た東雲杏里の背中も、大きな体に見合わず小さく見えたでしょう。今度は立場が逆になったわね。

 手に入れた美貌により、私は昔の屈辱を着実にひとつずつ晴らしていく。


 ひとしきり笑ったあとで、北川希は「あー、せいせいした」と話した。心からの言葉なのが、声の感じではっきりわかる。

「最近、少しウザかったんですよね。今日がいい機会になりました」

 屈託のない笑顔を浮かべる北川希を見てると、去っていったばかりの牧田友行が不憫に思えてくる。一連の流れを作ったのは他ならぬ私なのだけれど、あまりにも残酷すぎるシーンになった。とはいえ、かつて東雲杏里が受けた屈辱に比べれば、まだマシだった。

 そうこうしてるうちに、勝手に行動をしている私を捜して、マネージャーが現場にやってきた。事務所の関係者だと知った瞬間に、北川希が瞳を輝かせる。目でいつ紹介してくれるんですかと、しつこいくらいに私へ問いかけてくる。

 マネージャーをしてくれている若い男性が「この子は?」とタイミングよく尋ねてくる。期待に胸を膨らませている北川希の前で、私は口端を吊り上げてきちんと説明する。

「ただの通りすがりの女の子よ。私と何の関係もないわ」

 今まで親密そうな雰囲気を作っていた北川希の表情が、文字どおり豹変する。驚きで見開かれた目は、先ほど惨めな姿を晒したばかりの牧田友行のリアクションとほぼ同じだった。それだけショックを受けている証であり、どういうことだとばかりに、次の瞬間には私を睨みつけてくる。

「あら、まだいたの? ご両親が心配しないうちに、早く帰った方がいいのではないかしら」

 クスクスと笑う私を見て、相手女性はようやく自分の置かれている状況を悟ったみたいだった。けれど、性格が悪いと北川希に言われる筋合いはなかった。数分前に、自分がひとりの男性を相手にどのような態度をとったのか。よく考えてみれば、批判の言葉は口から生まれないはずだ。

 しかし当の北川希は、そんなことは関係ないとばかりに罵詈雑言を浴びせてくる。少し前までコバンザメみたいな存在と化していたにもかかわらず、ある意味で見事な豹変ぶりだった。

「だ、騙したのね」

「人聞きの悪い発言をしないでもらえるかしら。大体、普通に考えればわかるでしょう。自分がモデルになれる器かどうか」

 北川希は決して不細工ではない。それどころか、美人の部類へ入るレベルだった。とはいえ、街を歩くだけでスカウトされるかどうかは運次第といったところだ。

 一方の私――優綺美麗は、ほぼ確実にスカウトたちの目に留まる。だからこそ、こうしてモデルデビューをしており、さらには絶大な人気も誇っている。

 かつて高校のアイドルだった程度の女性とは、美しさの桁が違うのだ。北川希もその点を自覚しているからこそ、私に取り入ってモデルとして羽ばたく日々を夢見た。悔しそうに唇を噛み締める相手女性に、私はさらなる追撃の台詞をお見舞いする。

「もしかして、自分の顔を鏡で見た経験がないのかしら。だとしたら、とてもかわいそうだわ。好きな鏡を買ってさしあげましょうか」

「ふ、ふざけないで」

「ふざけてなんていないわ。そうすれば、貴方も自分の自意識過剰ぶりに気付けるでしょう。親切心で言ってあげているだけよ」

 極限まで容姿が整っていれば、性格の善し悪しなど関係ない。数々の私の生意気な噂を耳にしても、素晴らしい個性だともてはやしているファンを見ればよくわかる。

 何も言えなくなった北川希は、敗北者らしく俯いて肩を震わせている。透明な雫が地面に一滴、二滴と落ちては染みを作る。

「貴方には芸能界よりも、一般人で形成する狭い世界でアイドル扱いされているのがお似合いよ。あ、そうそう。彼氏といつまでも仲良くね」

 瞬間的に相手女性の顔が上がり、呪い殺さんばかりの目つきで私を睨んでくる。だけど昔と違って、その程度で臆したりはしない。優綺美麗にとって、脅しにもならないからだ。

「あら、怖い。早く退散しないと、不細工な女の嫉妬でどうにかなりそうだわ」

 はっきりと「不細工」と口にされ、北川希は精神に深い傷を負う。けれど同情はしない。昔からこの女が、自分より劣る者達に行ってきた仕打ちだからだ。

「いい加減にしなさいよ」

 逆上して襲ってくる北川希を、私のマネージャーが途中で押さえつける。

「うちの大切なタレントに傷をつけないでくれ。君に賠償金が払えるのか。そもそもの価値が違うんだ」

 この場でのやりとりを多少なりとも聞いているだけに、どのような状況になっているのかは大体把握しているみたいだった。下手に北川希を気遣って、私に不機嫌になられたら困る。若い男性マネージャーにも生活があるのだ。

 結果として女性としての価値が劣ると断言されたも同然の北川希は、その場に突っ伏して号泣し始める。もはやマネージャーが拘束する必要もなかった。

「うふふ。さすがに惨めな敗者には、涙がよく似合うわね。拍手でもしてさしあげましょうか」

「美麗さん。そろそろ行きましょう」

 なおも北川希をからかおうとする私を制したのは、複雑そうな表情の若い男性マネージャーだった。

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