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ただ美しく……  作者: 桐条京介
第1部
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34

「嘘よ」

 これまでの険しかった表情を一変させ、微笑みながらそう告げた私を、掛井広大はおもいきり目を見開いて見つめてくる。

 本気で私が怒っていると判断し、焦っていただけに、想像以上に驚いているのだろう。数秒間の硬直のあと、金縛りが解けたみたいに掛井広大は安堵のため息をついた。

「ビ、ビックりしたよ。美麗さんも、そういう冗談を言うんだね」

「うふふ。たまにはね。迎えに来てくれてありがとう」

 私がそう言うと、相手男性はこの世の春が来たとばかりに満面の笑みを浮かべる。アメはこの程度で十分。次はムチを入れて引き締める必要があった。

「勘違いしないで。遅かったと思っていたのは、本心なのよ」

 先ほどみたいに大げさに怒らないものの、静かな口調が言葉のリアリティを演出したみたいだった。相手男性の浮かれ気分はどこへやら。急激に真面目な顔つきに戻って、自分が悪かったとばかりに何度も頷いてみせる。

 完全にこちらの思いどおりだった。一生懸命迎えに来たにもかかわらず、遅いと言われて掛井広大もさすがに怒った。ところが様々な駆け引きの果てに、気づけば相手男性は心から反省の意を示している。こんなに簡単な男にいいように扱われたのだから、過去の私がいかに無知だったかわかる。けれど昔と同じ過ちは決して繰り返さない。まずはそれを、正面に座っている男性を利用して証明する。

「それじゃ、行きましょうか。ここの会計はお願いできるかしら」

「もちろんだよ。すぐに払うから、少しだけ待っててね」

 私の気を引きたいばかりに、頼りになる男を演出しようとする。だけど実際は、いいように財布代わりにされているだけにすぎなかった。周囲の人間がこの事実を知れば、即座に私との関わりを考え直すように忠告するはずだった。友人にすれば、当たり前の親切だ。誰だって、仲間が不幸な目にあうのを見たくはない。

 けれど本気になっている相手は厄介だ。例え仲の良い友人だとしても、自分と女性――今回の場合は私との仲を引き裂こうとしてるのではないかと勘繰る。結果として友人の忠告をむげにする。仲はギクシャクし、煩わしさから逃れるために、ますます私という存在へ傾倒する。依存度も高まり、他に何も見えなくなってくる。心から愛し合っていた恋人でさえも例外はない。何せ、男の心の中を占拠しているのはひとりだけなのだ。

「お待たせ。じゃあ、帰ろうか。送っていくよ」

「お願いするわ」

 掛井広大を先頭にお店を出ると、免許取得と同時に購入したという普通車に乗り込む。私が安物を好まないと考えたらしく、話題の人気車種を新車で購入したみたいだった。まだまだローンが残っているだろうけれど、私の前ではそういう話を一切しなくなった。お金についての愚痴を言って、安っぽい男と思われるのが嫌なのだろう。その点は評価できた。

 助手席に乗る際にも、丁寧に掛井広大はドアを開けてくれた。優しさをアピールするための当然の行動でも、傍から見れば一生懸命なアッシー君にしか見えない。それでも本人は周囲の見方に気づけない。だからこそ、余計にドツボへハマる。以前の私もそうだった。ほんの少しだけセンチメンタルな気分に浸ったあとで、私は東雲杏里から美麗へ戻る。


 私がホテル暮らしだというのも教えてなければ、決して掛井広大の家へお邪魔したりもしない。仲良くなりそうな雰囲気は醸し出しつつも、2人の間にはしっかりと線を引いていた。なかなか親密になれない関係に業を煮やしながらも、強引に迫ればこれまでの努力をすべて水の泡にしかねない。いつもいつもお預けを食らう相手男性の歯軋りが、ひとりでいても聞こえてきそうだった。

 ホテルに滞在すること1ヶ月。その間に掛井広大は、間違いなく私こと美麗の虜になった。肉体関係を結ばず、接吻どころか手を握らせてもいない。にもかかわらず、相手はこちらにベタ惚れだ。

 改めて恋愛は駆け引きなのだと実感する。肌を重ねあっていれば愛情が培われていくなんて、所詮は幻想の一種にすぎない。浅はかな考えを捨て、私情をコントロールしきれれば、自然と勝機はやってくる。今日もまた掛井広大と会うことになっているけれど、これまでと同じく食事を奢らせて終わるつもりだった。しかし、今夜はこれまでと違う展開が待っていた。

 掛井広大が免許をとってからというもの、ホテル近くまで迎えに来るようにさせた。まさかホテルを拠点にしてるとは思ってないだけに、近辺に私の自宅があるのではないかと推測しているみたいだった。

 ホテルにも偽名で宿泊しているため、こちらの住居を相手男性が知る確率は極端に低い。とはいえ、決して油断はしない。デート後に尾行されたりしないように帰宅する際はもちろん、何気ない外出時にも注意を怠らないようにしている。

 とにかく今は、極限まで掛井広大を私に惚れさせることに集中する。そんな中、待ち合わせ場所にいたのは2人の男性だった。ひとりは当然のごとく掛井広大だが、もうひとりは私と親しい間柄の人物ではなかった。だけど顔に見覚えがある。恐らくは、以前に通っていた大学に在籍している男性だった。

「あ、実はさ……こいつが、美麗さんにどうしても会いたいってきかなくてさ。友達なんだけど、迷惑だったよね」

 友人だと紹介しておきながら、掛井広大の顔には少々の不満が浮かんでいる。明らかに、私とのデートを邪魔されないよう警戒している。さらに付け加えれば、私の意識が友人男性の方へ向かないか心配しているのだ。確かに顔立ちはわりと整っていて、体形もしっかり筋肉がついていそうで立派な部類に入る。

 人によっては、掛井広大よりも好みだと言う可能性もある。なのにどうして友人男性をこの場に連れてきたのか。答えは簡単。半ば強制的に同行されたのだ。

「あら、光栄だわ。初めまして、美麗と申します」

 ずいぶんと慣れてきた極上の微笑を浮かべて、自己紹介をする。簡単にメロメロになってくれれば楽なのだけれど、掛井広大の友人の顔には警戒感がありありと浮かんでいた。

「アンタが最近、こいつと遊んでる女か。想像していたとおり、怪しい感じがプンプンするな。水商売の女じゃないのか」

 いきなりの毒舌に、私ではなく、連れてきた掛井広大が「おい!」と声を荒げる。今にも掴みかからんばかりの勢いで、場に不穏な空気が流れる。

 どうやら友人の掛井広大が騙されているかもしれないと判断し、私の正体を見極めようとしているのだろう。予期せぬ事態に焦ることしかできなかった昔とは違う。私も色々と成長している。急な展開に心臓はドキドキしているけれど、これも私が真に生まれ変わるための試練なのだと前向きに捉える。

 さあ、ここが勝負の分かれ道になるわよ。自分自身に気合を入れ、動揺を表に出さないよう努力する。正面から向き合っている掛井広大の友人は、今もなお私を睨みつけていた。


「それなら、貴方もデートに同行したらどうかしら」

 私の提案に、掛井広大が心外だといった顔をする。だが当の友人は、望むところだとばかりに応じる気配を見せる。

「み、美麗さん、何を言ってるんだよ」

「せっかく来てくれたのに、追い返したりもできないでしょう」

 台詞の節々に、連れてきたそちらが悪いというニュアンスを含めてやる。すると掛井広大は申し訳なさそうな、悔しそうな顔をした。私との2人きりのデートを諦めきれない掛井広大は、必死になって友人男性へ帰るように促す。

 けれど頑として友人男性は、顔を上下させなかった。邪魔するつもりというよりかは、私がどういう女なのかを自らの目で確認しようとしているのだ。それもこれも、すべては掛井広大のためというのがわかる。

 もっとも当人は、友人の優しさには微塵も気づいていない。それだけ私の存在が、掛井広大の中で大きなウエイトを占めていることにつながる。

「3人でデートをするからには、名前を教えてほしいわね」

「なら、アンタも源氏名みたいな名前ではなくて、本名を教えたらどうだ」

 最初から、こちらを偽名と決めつけている掛井広大の友人の態度に、心外だといったような顔をする。

 相手の推測は正しい。とはいえ「正解です。私は偽名でした」なんて言えるはずがなかった。一度ついた嘘は、最後まで貫く必要がある。繰り返し偽っているうちに、やがてそれが自分の中で真実に置き換わる。そうなれば演技の拙さから、嘘を見抜かれる心配だけはなくなる。

 失礼だろと怒る掛井広大を制し、私は普段どおりの優雅な動作で自己紹介をする。

「私の名前は優綺ゆうき 美麗みれいよ。貴方にとっては残念かもしれないけれど、これが本名なの。気に入らないのなら、好きに呼んで構わないわよ」

「俺には嘘にしか聞こえないけどな」

「うふふ。なら、そう思っていればいいでしょう。それとも、女性に身分証明書を見せろとでも言うのかしら。疑いだけで、個人情報を知ろうとするのはお勧めできないわよ」

 相手が掛井広大であればこの時点で、引くと同時に謝罪している。けれど今現在、私と向かい合っているのは、こちらに好意の欠片も抱いていない男性だった。

「できれば、そうしたいんだがな。まさか、見せられない理由でもあるのか」

「ないわ。でも、凄く失礼な要求をされて、少し不愉快ではあるわね。これで間違ってるのが貴方だった場合、どうしてくれるのかしら」

「何でもしてやるよ。その代わり、嘘だった場合は、そっちにも覚悟してもらうぞ」

 どうあっても相手は引きそうにない。仕方なしに、私はバッグの中から財布を取り出した。


 掛井広大がデートの待ち合わせ場所に連れてきた友人男性の顔が、まともに変わった。そんなバカなという声が聞こえてきそうなくらいに、動揺を露にしている。

 私が財布から取り出した免許証を見せた直後の出来事だ。そこに書かれているのは、確かに優綺美麗という名前だった。

「これで、少しは信用してもらえたかしら」

 他の人間ならいざ知らず、この程度で私は勝ち誇ったような態度をとったりしない。粛々と相手に事実を認めさせる。私の問いかけに、掛井広大の友人は何も返せずにいる。ひたすら自らの手に持っている優綺美麗の免許証と睨めっこをしていた。

 何度、見直しても名前が変わったりしない。おとなしく目の前に提示された現実を受け入れなさいと、心の中で何度も繰り返す。激しくなる動悸が、私の緊張度を的確に表現している。

 実際、私は免許をとった覚えなどない。ではどうして、その証があるのか。簡単な話だ。免許証をでっち上げたのだ。要するに掛井広大の友人へ見せているのは、偽造の免許証だった。美麗という名前を名乗った時から、現在みたいな事態を想定していた。

 そのため掛井広大が免許をとりに教習所へ通っている間、私は私で不測の事態へ備えていた。例の形成外科へ行き、必死に頼み込んで紹介してもらった。それなりの金額はかかったものの、現役の警察官が本気になって調べれば、すぐに偽造だと判明するはずだ。偽物を本物みたいに仕上げて使用するのは、考えるほど簡単ではない。

 けれど私は実際に偽造の免許証を使用して、運転するつもりなど微塵もなかった。使用目的はただひとつ。自らの存在を証明するためだ。

 とはいえ、お店などでも見せるつもりはなく、疑いを向ける個人相手の防御手段みたいなものだった。そして今夜、万が一を想定して作っておいた偽造の免許証が見事に役立ってくれている。

 心配な点もある。それは掛井広大の友人が免許証についての詳細な知識を所持しており、偽物だというのをあっさり見抜いてしまうパターンだ。だけど結局は杞憂に終わる。悔しそうな顔をして、免許証を返すと同時に私へ相手男性が謝罪してきたからだ。どうやら今回の勝負は、完全にこちらの勝ちみたいだった。

「申し訳……なかった。全面的に、俺が悪かった……」

 項垂れながら言葉を搾り出す相手男性を眺めながら、ここでようやく私は勝利の笑みを浮かべる。

「気にしないで結構よ。誤解だとわかってくれたのなら、ね」

 免許証を財布にしまいながら、勝者の余裕とともに私は相手へそう告げた。

 文句を言う余地など砂粒ほどもない相手男性は、相変わらず肩を落としたままだ。その隣で、何故か掛井広大が胸を張って勝ち誇っている。すぐに追い返して、2人きりになりたいというのが見え隠れている。今ならさすがに友人も、帰らざるをえない。それを知っていて、私はあえて引き止める。

「せっかくだから、食事くらい、一緒にしていったらよろしいのではなくて」

 私の提案に、掛井広大が「何で」とばかりに眉をしかめる。この場ですぐお別れしたら、色々と勿体ないでしょうとは言えないので、意味深に微笑んでおく。

 これで安心するはずもなく、余計に掛井広大は不安を煽られたみたいだった。だけど私の関心は、隣にいる男性にある。どのようなリアクションを示すかと思って眺めていると、素直に食事へ応じる旨を告げてきた。

「申し訳ないが、お邪魔させてもらう。会計は俺が全部持つから、好きに楽しんでほしい」

 疑った罪滅ぼしのつもりなのだろう。やはり私が思ったとおりに、この男性はまっすぐな性格の持ち主みたいだった。

 ならば、なおさら利用価値がある。すべてを許すような笑みを浮かべながら、私は「嬉しいわ」と相手に握手を求める。

「それと是非、貴方の名前を知りたいわ」

「俺は……梶原かじわら まさると言う。疑って、本当にすまなかった」

 そう言うと梶原勝は、私が差し出した手をグッと握り返してきた。

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