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ただ美しく……  作者: 桐条京介
第1部
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30

「整形までしたのに、男を寝取られたんだって」

「マジで? 調子に乗ってたから、いい気味~」

 大学の構内を歩く私を見るなり、そんな会話が聞こえてくる。当人たちはヒソヒソ話のつもりでも、とかく悪口というのは耳に届きやすいものだ。事の真偽は掛井広大たちの都合のいいように歪められているみたいで、被害者なはずの私がすっかり悪者にされていた。

「整形して、男を寝取ろうとしたらしいよ」

「あ、知ってる。でも、本命の彼女に惨敗したんでしょ。やっぱり、人工的な美しさは所詮、偽りにすぎないってことよ」

 通り過ぎる人々が増えるたび、私に関する噂話がどんどん悪い方へ変わっていく。最初は堂々としていればいいと思っていたけれど、徐々にそれも難しくなる。

 四方八方から聞こえてくる話し声のすべてが、私への文句に聞こえる。確証もないのに、まるで事実のように思える。こうなると、自分で自分を追い込んでるも同然だった。勝手に肩身を狭くしては、耐え切れなくなって女性用トイレの個室へ逃げ込む。蓋の上から便器に座り、しっかりとドアに鍵をかける。

 どうして、こんな目にあわなければならないの。あまりの悔しさで、両目から涙が溢れる。とっくに枯れ果てたと思っていたのに、次から次へとタイルの上へ垂れ落ちる。別にハーレムを作りたいとか、たいそれた野望を持っていたわけじゃない。ただ普通の――人並みの幸せが欲しかっただけだ。それなのに、気がつけば高校時代と変わらないような悪夢の中にいる。

 頭を抱えてひとしきり泣いたあと、とりあえず私はトイレの個室から出た。とても講義を受ける心境ではないので、帰宅しようと廊下へ出る。するとタイミングが良いのか悪いのか、目の前を掛井広大が通り過ぎようとしていた。

「広大君……」

 話しかけるつもりなどなかったのに、無意識のうちに私の唇は呼び慣れた元恋人の名前を作っていた。浮気相手だった女性は一緒ではないみたいだが、相手男性は私の姿を確認するなり、露骨に嫌そうな顔をした。

「杏里か。これからはさ、あんま話しかけないでくれっかな。誤解されたくないしさ」

 どこまでも身勝手な物言いに、また涙がこぼれそうになる。けれど傷つくのは慣れてるでしょうと、私は自分自身を叱責する。どうせもう復縁は考えられないし、私の評判は地に落ちている。失うものは何もないのだから、聞くだけ聞いてしまえと思いきって口を開く。

「……ねえ。私を好きだって言ってくれてたのに、どうして浮気をしたの」

「え? ああ……アイツの方が可愛かったから」

 さらりと口にされた理由が、余計に私の気分を暗く落ち込ませる。しかしこの程度は覚悟していたはずだ。すぐに立ち直って「本当にそれだけなの」とさらに質問を続ける。

「まあな。お前も一応、可愛いけどさ。同じくらいの可愛さならさ、やっぱ整形してない方がいいじゃん。ま、そういうことだから」

 それだけ言うと掛井広大は、あとは関わり合いになりたくないとばかりに、私の前から足早に去っていった。

 ……くだらない。怒りも悲しみも悔しさも、すべてごちゃ混ぜになったドロドロした感情がとぐろを巻く。

 心の中で吐き捨てた侮蔑の言葉は、掛井広大に向けたものだったのか。それとも私自身に向けられていたのか。それさえもわからない。ただひとつはっきりしているのは、私が負け犬という事実だけだった。敗北者は何も得られない。それが世の常だ。

 ならば勝者になるしかない。イカサマであろうと何であろうと、誰が相手でも絶対に勝利を得られる女になる。絶対に、なってみせる。


 私は大学を辞めた。親にも内緒な身勝手な行動だったけれど、そうするしかないと思った。本当は辞めたくなかった。掛井広大らに負けたような気がするからだ。けれど、私の野望を成就させるには、そうせざるをえなかった。

 希望でも願望でもなく、達成するべき野望。敗者の群れの中から飛び出し、勝者の輪へ加わる。その過程で、誰が弾き出されようとも構わない。

「私は綺麗になる。もっと美しくなる」

 自宅の鏡で自分の顔を見ながら呟いたあとで、私は座っていた椅子から腰を上げた。新しく始めた仕事へ行くためだ。

 大学を辞めたあと、私は知っている人間が誰もいないであろう田舎へやってきていた。もちろん両親にも、居場所は告げていない。私が私であることを知っているすべての人間と連絡を絶った。どんなに綺麗になろうとも、整形手術の事実を知っている人間が近くにいれば意味がない。今度こそ、これまでの自分とは異なる存在になる。

 そのためにはもっと大規模な整形手術も必要になるため、わざわざ地方の田舎に引っ越して、小さなスナックで働いた。キャバクラすらない町だけに、現在でもスナックが最大の盛り場だ。そこへ私のような若い女性が加わったのだから、店は連日の大盛況だった。

 地主らしき中年の男性から、愛人にならないかという誘いも受けた。客の男たちは、文字どおり私に夢中だった。だからといって、簡単に心を許したりしない。私が田舎のスナックで働いている目的はただひとつ。大規模な整形手術の資金を稼ぐためだけだ。

 年配の男性は好みではなく、どちらかといえば苦手な部類に入る。それでも笑顔で出迎え、猫なで声で接客する。

「もう、お客さん。駄目ですよ」

 身体に触られても怒らずに、笑みを浮かべたままでやんわりとたしなめる。本当は吐き気がするほど嫌だったけれど、すべては自分の野望のためと我慢をする。心行くまで整形手術をしてしまえば、あとは二度と戻ってこないであろう田舎。だからこそ、私は真に覚醒するための潜伏場所に選んだ。

 寝ても覚めても、頭に浮かんでくるのは人生で受け続けてきた屈辱的な仕打ちばかり。ひとつひとつがトラウマになり、私の心に深い傷を作っている。それらをすべて払拭して、夢見ていたとおりの私になるためにも、スナックでの我慢の日々は避けて通れない試練なのだ。心の中で歯を食いしばっては、スケベな酔っ払いどもの相手をする。

 汚らわしいと近所のオバサンたちに後ろ指を差されようとも、一気にお金を稼ぐという目的を達するために、私はどこまでも前へ進み続ける。ボロアパートに住み、食費も切り詰めて、とにかく貯金を第一に考える。そのかいあって、田舎に引越して1年もすると、私は目標の金額を稼ぎ出していた。

 これでようやく反撃の狼煙を上げられる。その日のうちに私はスナックを辞めて、アパートを引き払った。最低限の着替えだけをバッグに詰めて向かうのは、もちろん私が何度もお世話になっている形成外科の病院だった。


 貯めたお金をすべて投入し、私は私が望む顔となるべく、これまでで最大の整形手術を受けた。もちろん成功の確約はなく、大規模なだけに失敗の可能性は常につきまとう。それでも私は決行を決意した。笑われる側から、笑う側になる。そのためには、どれだけ大きなリスクであっても背負うつもりでいた。

 人並みの綺麗さは手に入れられた。おかげで初めての彼氏もできたし、様々な経験をした。けれど私が望んでいた未来ではない。人並みでは駄目なのだと知ったからには、他者をよせつけない圧倒的な美貌を手に入れる必要があった。

 手術にかかった時間も、術後から退院までに要した期間も、今までとは桁が違った。それだけ顔にメスを入れたということだ。罪悪感はもうない。己の野望を叶えるためなら、そんなものは簡単に捨てられる。私は本物の私になる。

 整形手術は無事に成功した。鏡で見た私に、過去の面影は微塵もない。惜しげもなく大金をつぎ込み、思いつく限りに顔のパーツに手を加えた結果が現在だ。

 普通の大学生だった頃に暮らしていたアパートへ行ってみる。別の誰かが入居しているだろうけれど、特別に懐かしいとは感じなかった。早々に立ち去ろうとした矢先、背後から誰かに「ねえ」と声をかけられた。明らかに男性の声だ。

 相手の目的はわかっている。要するにナンパだ。人工的だと言われようが、美しければ簡単に声もかけられる。私はスナックで働いている間に伸ばした髪をかきあげながら、振り返った。

 ――直後に絶句した。振り向いた先に立っていたのは、なんと掛井広大だったのだ。愛を教えてくれた男性であり、絶望と屈辱を与えてくれた元彼氏だ。まさか私の正体に気づいたのかと、心臓をドキドキさせながら相手の顔を見る。

「君さ、凄く綺麗だよね。俺、マジでこんな美人、初めて見たよ」

 半ば興奮気味に、思いつく限りの賛辞を並べてくる。ああ、どうして過去の私は気づけなかったのだろう。掛井広大という男の目は、スナックで私に色目を使ってくる中年親父どもと同じではないか。

 こんなのに本気で惚れていたなんて、昔の私はどうかしていたとしか考えられない。小さくため息をつくと同時に、沸々と心の中に芽生える感情が全身に拡充し始める。

 怒りだ。自分への、そして掛井広大への。幸いにして、相手男性は私が東雲杏里だとはわかっていない。与えられた屈辱を倍返しするには、最高のチャンスだった。

「もしかして、私を誘っているのかしら」

 声色を変えて魅惑的な雰囲気を演出する。整形資金を貯めるためだけに働いていたスナックで獲得した技術が、思わぬところで役立とうとしていた。


「誘ってるんだとしたら、OKしてくれんのかな」

 人懐っこい爽やかそうな笑顔を浮かべ、少しずつ掛井広大が私との距離を詰めてくる。間近で顔を見られても、相手男性は私が東雲杏里だとわからなかった。心臓に悪いくらいドキドキしたけれど、これはこれで自信になる。なにせ、私をこっぴどく振ってくれた男でも正体を見抜けなかったのだから。

 今度こそ私は生まれ変わった。中途半端にではなく、完全に。嬉しくなったのも束の間。膨大な屈辱を味わわせてくれた男を前にしているうちに、沸々と怒りがこみ上げてきた。

「そうね……どうしようかしら……」

 たかが1年とはいえない。その間に私は新たな口調や態度を、働いていたスナックで習得した。お金を稼ぐための手段として覚えていただけに、二度と使うことはないだろうと思っていた。それが意外な形で役立とうとしている。

 思わせぶりな態度をとることにより、相手男性こと掛井広大の食いつきがより一層強くなる。もしかしたら、相当の美女になった私を口説けるかもしれないと考えているのだろう。何もかもがわかりやすくて、薄っぺらい。要するに中身がないのだ。改めて、こんな男に本気で惚れていた自分が情けなくなる。

「いいじゃん。人間、おもいきりが大事だって」

 あくまでも強気に押してくる。これだけ迫られてもウザいと感じられない人懐っこさは、間違いなく掛井広大の最強の武器だった。時折見せるさりげない優しさが、相手の魅力をさらに際立たせる。そんな姿に、過去の私のハートが射抜かれた。

 駆け引きなんて言葉も知らないくらい純粋だった。言い換えれば、子供すぎたのだ。だから浮気をされて、捨てられた。当然だとは思わないけれど、相手の本性を見抜けなかったこちらにも落ち度がある。

「でも、貴方は恋人がいるのではないの?」

 私の頭には、友人だと信じていた女性の顔が浮かんでいる。順当にいっていれば、彼女が今の掛井広大の恋人になっているはずだった。

「まさか。彼女なんていたら、絶対にナンパなんかしないって。俺はひとりの女しか、愛せない男だからね」

 ――嘘ばっかり。喉元までやってきていた言葉を、なんとか飲み込んで愛想笑いを浮かべる。平然とふざけた台詞を口にするところが、腹立たしいことこの上なかったけれど、あえて私は相手の誘いに応じようと決める。

 もちろん新しく変身した美貌に寄ってきた掛井広大と、よりを戻すつもりはない。敗者から勝者へランクアップするために利用するだけだ。

「うふふ。いいわ。そこまで言うのなら、お茶程度でよければ付き合ってあげる」

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