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ただ美しく……  作者: 桐条京介
第1部
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「か、勘違いって……何ですか……」

 震える声で、サークルの先輩でもある女性の阿部康子さんに質問した。聞くのがとても怖かったけれど、どうしても答えを知る必要があると判断した。

 すると阿部さんは少しだけ俯いて、何故か申し訳なさそうに口をつぐんだ。ますますもって訳がわからない。私の頭は混乱する一方だった。そんな中で、次に口を開いたのは糸原満さんだ。慎重にひとつひとつ言葉を選んで、囁くように私へ話しかけてくる。

「もしかして、東雲さんが整形をしたのは……僕のせいなの……かな……」

 私の整形に、糸原さんという存在が大きく関係しているのは確かだ。しかし相手男性の台詞には、語弊が含まれている。

「違います。糸原さんのせいではなくて、糸原さんの……ひいては私自身のためです」

 相手の間違いを正すためにも、力強く言い切った。言葉どおりの意味なのだから、変な負い目を感じる必要はないのだ。それなのに糸原さんは、やはり責任を痛感するような表情を浮かべた。

「ど、どうして、そんな顔をするの? だって、糸原さんは、私が綺麗じゃないから、恋人関係を解消したがったんでしょ」

 整形ですべてがうまくいくと信じていただけに、現在の状況はまったくの予想していなかった。それだけに狼狽ぶりも大きくなり、傍目にはパニクってるようにしか見えない。

 けれど今は体面を気にしている場合ではない。とにかく事の真偽をはっきりさせた上で、本来の目的である復縁を果たすのだ。そのためには、一秒たりとも無駄にはできなかった。

「――違う! 違うんだよ……」

 できれば「そうだ」と言ってほしかった。そうすれば問題はすぐに解決し、綺麗になった私を両手を広げて受け入れてもらえる。

 しかし相手男性が出した答えは違った。明確に自身の予想を否定され、ますます私の混乱ぶりに拍車がかかる。

「僕は……ただ……寂しかった……ような気がする……」

「寂しかった? な、何を言ってるの? い、意味がわからないよ」

 苦しそうな顔つきの糸原さんに詰め寄って、上衣の裾をギュッと掴んだ。そうしなければ、大好きな男性がどこかへ消えてしまいそうな気がした。

「東雲さんとの交際は楽しかった。綺麗になっていく姿を見るのもね。でも……次第に変な感情が僕の中に住み着いていた」

 何を話せばいいのかわからない私は、ただ黙って糸原さんの言葉を聞き続ける。

「もしかしたら、嫉妬……なのかもしれないね。同年代の男性なんかと仲良くしている東雲さんを見るたび、遠くに離れていくような気がしたんだ」

「そ、そんな、違う。だって、私は糸原さんだけを……!」

「――わかってる。わかってるんだよ。でも……ふと気づいたんだ。僕と東雲さんは、住んでいる世界が違うんじゃないかって」

 苦々しそうに呟かれた台詞が、胸に突き刺さった。それは過去の人生において、ずっと私が他人に対して持ち続けていた否定的な感情と同じだったからだ。

 どうして糸原さんが、そんな劣等感みたいな感情を持っていたのだろう。疑問と驚きに挟まれた私の唇は動かず、涙すら流しそうな男性に対して、何の言葉もかけられなかった。


 意味がわからない。糸原さんの告白を受けて、私の頭の中はその言葉で一杯になった。

 住んでいる世界が違う――。これは自信のなかった過去の私が、他の人へ抱いた感想だった。それを糸原さんが抱いている。他ならぬ私に対して。

 ここでまた、意味がわからないと心の中で呟く。私は自分が綺麗になるのがとても嬉しかった。だから同じように恋人の糸原満さんも、喜んでくれていると勝手に思っていた。けれど真実は違った。私が新しい世界への扉を開くたびに、最愛の彼氏はすれ違いを感じるようになった。糸原さんは、言うなれば昔の東雲杏里なのだ。

 なら私はどうすればよかったのか。考えても答えは見つからない。何せ本来の目的は、綺麗になって人生をやり直すことだったのだ。大学へ入って以来、願いは叶えられたかのように思えた。

 美しくなればすべてがうまくいく。そう信じてきた私にとって、今日の出来事はいささか衝撃的すぎた。綺麗になりすぎたから失敗した。信じたくない現実が、目の前に突きつけられている。

「……僕は本を片手に、ゆっくりとしたペースで生活するのが好きみたいだ。本質的に、オシャレなカフェでお茶を楽しみながら、賑やかにお喋りを楽しんだりするのには向いてない人間なんだよ」

 ――そんなことはない。叫びたい言葉は頭に浮かんでいるのに、声にできなかった。そのあとに続く台詞を想定すると、どうしても躊躇いが発生する。

 ――私だって、昔はそうだったけど、今はこんなに変われたんだから。この発言をすれば、イコールで自らの過去を告白する必要性が生まれる。

 どんなに言葉を尽くしても、昔の私を知れば、どちらにしても愛想を尽かされる。わかりきっているからこそ、私は糸原さんを引き止められるもっとも有効な言葉を使えずにいた。

「誤解しないでほしいんだけど、僕は本気で東雲さんを好きだった。その気持ちに嘘はないんだ。だから、君と同じ世界へ勇気を出して飛び込んでみようと思った」

 これまでの出来事を思い返すかのように、糸原さんは瞼を閉じる。脳裏に浮かんでいるのがどのようなシーンなのかはわからないけれど、きっと彼の隣には私がいるはずだ。大学生となってから、初めてできた彼氏と色々な時間を共有してきた。とても楽しかった。二人とも笑顔だった。

 けれどいつの日からか、糸原さんの明るさに陰りが見え始めた。今にして思えば、あれがすれ違いの始まりだったのだろう。おもいきり悔やむけれど、過ぎ去った時間は決して戻らない。私は糸原さんの愛を失った。

「でも駄目だった。やっぱり僕には無理だったんだよ。自分から告白しておきながら、勝手だとは思うけれど……ごめんね……」

 糸原さんは泣いていた。私も泣いた。2人とも、別れが避けられないと知っていた。回避する方法はあるのかもしれないけれど、探すという作業を諦めた。できれば足元にすがってでも、彼を引き止めたかった。心の底から好きだった。

 その一方で私は、自らの過去の露見を恐れた。新しく手に入れつつある世界を失いたくなかった。大好きな彼氏よりも、私は己を選んだ。自分自身の下した決断が悲しくなって、涙の量が一段と増えた。


 私と糸原満さんとの関係は、とても儚く終了した。あまりにも簡単すぎて、まるで今までの出来事がすべて夢だったかのように思える。けれど間違いなく現実だ。それは私にもよくわかっていた。部室を出る際に、何度も阿部康子さんから「これで本当にいいの」と尋ねられた。

 もちろん嫌に決まっている。けれど悩んだ末に糸原さんが決めた別れなのであれば、素直に応じるべきだと判断した。あまりしつこくして、ウザい女だと思われるのが怖かった。どうせ別れなければならないのであれば、綺麗な終わり方をしたかった。そんなのに意味はないのかもしれないけど、部室での私はそう考えた。

 ふらつく足取りで大学をあとにした私は、どこへ行くでもなく街中を歩いた。途中、何度かバッグの中に入れている携帯電話が鳴ったような気がしたけれど、特に気にしない。

 姿形だけでなく、性格も変わったつもりでいた。けれど東雲杏里は、どこまでいっても東雲杏里でしかなかった。導き出された結論が示す先にあるのは、絶望の2文字だけだった。

 すべての選択肢が閉ざされたような気がして、賑やかな繁華街を歩いていても、真っ暗闇の中にいるようだった。誰か光をください。願わずにはいられないくらいに、私は弱っていた。

「あれ、杏里ちゃんじゃん」

 弱々しい歩みを続ける私に、誰かが背後から声をかけてきた。振り向く気力もなかったので、無視して歩いていると突然に腕を掴まれた。

「やっぱり、杏里ちゃん……だよね?」

 少しばかり自信がなさそうに私の名前を呼んだのは、同年代のイケメン男性の掛井広大だった。見知った顔に出会えて安心感がわずかなりとも芽生えたのか、ほとんど反射的に私は相手男性に抱きついていた。

「うわ。ど、どうしたの。俺としては嬉しいから、抱きつかれるのは大歓迎なんだけどね」

 ひと目見て落ち込んでると判断した私を笑わせようとしたのか、それとも天然なだけなのか。理由はともかく、目の前に立っているのは紛れもなく掛井広大その人だった。

「糸原さんが……糸原さんが……! 私とは違う世界だって……!」

「え? えぇ?」

 泣きじゃくる私の訴えは支離滅裂で、相手が戸惑うのも当たり前だった。理由はわからなくとも、放ってはおけないという結論に達したらしく、掛井広大はとりあえずどこかで落ち着こうと私の肩に手を置いた。

「俺でよかったら、話でも何でも聞くからさ」

 街中で号泣しながら、私は何度も頷いた。今は何より、掛井広大の優しさが嬉しかった。


 何かの拍子ですぐに号泣しそうだったので、繁華街にあるカフェで話をするのは躊躇われた。とはいえ、やっぱり誰かに聞いてもらいたい。そこで私が選んだのは、掛井広大を自宅へ招待するという案だった。知らない仲でもないので、別に大丈夫だろうと判断した。簡単に考えたわけではなく、あらゆる不測の事態を想定するには、私の頭脳は疲れきっていた。

 案内した部屋で正面を向いて座り、私は自分の身に起きたばかりの出来事をすべて掛井広大に説明した。お茶も出しておらず、客人に対して失礼極まりないけれど、何度も繰り返すとおり私には余裕がなかった。

「そうか……」

 すべてを聞き終えた掛井広大が、いつになく真剣な面持ちで呟いた。普段みたいなおちゃらけた感じはない。それだけ真面目になっている。

 整形手術に関しても説明した。とはいえ、高校時代のいきさつや最初の整形については教えていない。そこまで話す必要はないと判断した。大好きだった糸原満にも、その事実を伝えられずに破局という結果になってしまったのだ。仲の良い友人男性としか思ってない掛井広大へ簡単に言えるくらいなら、事態はこんなにもややこしくなっていない。

「俺は……いいと思うけどな」

 真っ直ぐに私の目を見て、真剣な表情のままで掛井広大はそう言ってくれた。

「好きな人のために、整形したんでしょ。それに、ファッションだって綺麗になって、彼氏を喜ばせたいからじゃん。むしろ俺なら、大歓迎だけどね」

 照れくさそうに笑う掛井広大が、なんだかとても可愛く見えた。同時に男性としての頼もしさも覚える。ついさっき彼氏と別れたばかりなのに、不謹慎すぎる。芽生え始めた小さな感情の正体を知った瞬間に、心の中で私は顔を左右に振っていた。

 確かに目の前にいる男性はイケメンで、性格も良いように思える。そして、こんな私をある程度理解してくれた。過去の出来事を知ってもなお、同じ対応をしてくれるかは不明だけれど、今はそれで十分だった。そもそも私は誰に対しても、進んで自らの過去を告白するつもりはなかった。生まれ変わったと自覚している今、封印している昔の記憶をわざわざ引っ張り出して、世間に晒す必要はないからだ。

「ま、だからさ、元気だしなよ。俺でよかったら、話ぐらいなら聞くからさ」

「……うん。ありがと。掛井君って意外と優しいんだね」

 溜まっていた思いをすべて吐き出せたからか、繁華街で偶然に掛井広大と出会った時よりはずいぶんと気持ちが落ち着いた。

「まあね……って、あれ。意外とって、褒め言葉だっけ?」

「フフ。気にしない方がいいよ」

「そうするよ。あ、そうだ。俺のことはさ、普通に名前で呼んでよ。広大ってさ」

「うん、わかった。それじゃあ、広大君。何か飲む?」

「いいね。それじゃあ、コーヒーを貰っちゃおうかな」

 承諾の返事をして台所へ立った私は、ようやく同年代の男性と二人きりで自分の部屋にいる重大さに気づいた。

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