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ただ美しく……  作者: 桐条京介
第1部
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 待ち合わせた公園。それはいつか、掛井広大とベンチに並んで座ったあの場所だった。皆で昼食をとったカフェを出たあとに、ひとり別行動をとった私を彼は追いかけてきた。直後の告白じみた台詞に胸が熱くなり、体調を崩してると勘違いされた。気遣ってくれた掛井広大に飲み物を奢ってもらい、その後に2人で他愛もない話をした。思えばあの時から、私と同世代の友人たちとの距離が急激に縮まった。

 とても楽しかったけれど、代償としてなかなかサークルへ行けなくなった。少しばかり恋人の糸原満さんとも疎遠になった。しかし、そんなのは些細な問題でしかない。私の想いが何ひとつ変わってないのが、その証拠でもある。

「お待たせ」

 考え事をしている間に、糸原さんがやってきた。いつもと変わらない笑顔を私に与えてくれる。隣に座ると、ゆっくりと空を見上げて「いい天気だね」と呟いた。

 季節はだいぶ夏に近づいている。大学生活に入って、初めての夏休みもすぐそこまで迫っていた。前々から色々と妄想し、糸原さんとどこに出かけようなんてひとりで考えていた。太っていた頃とは違うので、今ならわりと大胆な水着も身につけられる。ビキニ姿の私を見て、何て言ってくれるだろうか。悶々と空想を膨らませては、部屋でニヤけてみたりもした。

 傍から見れば不気味極まりないだけだろうけど、私にとっては初めての夏も同然だった。前途を祝福するように、太陽もはっきりと顔を出して2人を照らしてくれる。

「今日はね。糸原さんと話したいことがあったの」

 呼び出したのはこちらなので、まずは私から口を開いた。そのままギクシャクし始めた関係を修復しようという考えだったのだけれど、次の言葉を紡ぐより先に糸原さんが「僕もだよ」と伝えてきた。

 普段と変わらないと思っていた笑顔に陰りが見え、私は嫌な予感を覚える。何故だか動悸がしてきて、自分の話どころではなくなる。

「そ、そうなんだ。な、なら……糸原さんからで……いいよ……」

 緊張のあまり、声が途切れ途切れになる。どうか幸せな話題でありますように。全神経を集中させて、心の中でとにかく祈った。

 けれど、運命の女神様は私に微笑んでくれなかった。次の瞬間に風が運んできた台詞は、一瞬にして思考回路をすべて停止させた。

「僕たち……もう終わりにするべきだと思うんだ」

 何も言えなかった。理由も聞けなかった。私はただ、口を半開きにしてポカンとしていた。誰がどこからどう見ても、間抜け面に見えていただろう。だけど、体裁を気にしてる余裕なんてなかった。

 視界が黒に染まって何も見えない。風にそよぐ木々の音も、聞こえなくなる。目の前にいる男性が何か話してるみたいだけど、よく理解できない。頬を伝う液体が、どうして私の顔を濡らしているのかもわからなかった。

 ふと気づいた時、辺りは夜になっていた。ベンチに座っているのは私ひとりだった。

 静かに。ゆっくりと立ち上がる。頭の中は相変わらずぐちゃぐちゃだけど、とりあえず家に帰ろうと思った。


 頭の中がとにかくごちゃごちゃだった。こういう時は、ひとり暮らしをしていてよかったとつくづく思う。泣いていても、叫んでも、誰からも気にされないからだ。時刻はすでに真夜中。夜のシフトに入る予定だったアルバイトを無断で休んだ形になったため、何度も勤務先から携帯電話に連絡が入っていた。

 先方に対する謝罪の気持ちさえ浮かんでこない現状が、私の精神状況を如実に表していた。食事もとらないまま、ベッドの上で体育座りを続ける。真っ白な部屋の壁紙だけを見つめながら、延々と同じことばかり考える。どうして糸原満さんは、別れの言葉を切り出したのか。悩んでも悩んでも、答えが見つからない。

 どうしても理由を知りたくてメールをしてみたものの、いまだに返信はない。それなら直電すればいいだけなのに、今になってもできずにいた。昨日までは普通にコールできた。何度もベッドの上に放り投げている携帯電話で通話した。とても楽しかった。そんな思い出ばかりが、脳裏に蘇ってくる。

 ここまでのショックを受けたのは、高校生時代に親友だった轟和美と袂をわかつことになった一件以来かもしれない。なにもかも順調だと思っていたのに、予想もしていなかったところに落とし穴があった。ものの見事にずっぽりとはまりこんだ私は、抜け出る術を見つけられないまま、穴の中でひたすら悶々とするばかりだった。

 心の中で何度繰り返したかわからない「どうして」という言葉を呟いて、視線を下に落とす。ベッドのシーツの上にある携帯電話は、静かに佇んでいるだけで他に何のリアクションも見せてくれない。ますます私の気分は暗くなる。あの日、あの時の、あの行動がいけなかったのだろうか。そんなことばかり考えているのだから、身体にも精神にも良い影響がでるはずもなかった。

 思い悩んでいるうちに夜は明け、お昼になり、また夜がやってくる。気づけば指定席になっているベッドの上で同じ体勢をとったまま、ひとり不気味にぶつぶつと呟く。目は虚ろになり、鏡に映る自分の姿は酷い有様だった。

 せっかく綺麗になったと思っていたのに、醜さが舞い戻ってきた。こんな顔をしていたら、どんな男性だって逃げ出すに決まっている。

 思考がその結論に辿り着いた瞬間、私はハッとして立ち上がった。そうだ。まだ綺麗さが足りなかったんだ。出会った解答に確信を抱いたからには、あとはもう行動するだけだった。いてもたってもいられず、まだ真夜中だというのに、私は家中のお金をかき集めて外へ飛び出した。

 行き先は決まっている。大学へ入学する前に、お世話になった形成外科の病院だ。


「さあ、できたよ」

 大好きだった恋人に別れを告げられてから数日後。私は、とある形成外科の個室のベッドにいた。迷惑をかけるわけにはいかないので、突然ではあったものの、一身上の都合によりアルバイトを辞めた。大学も休んでいる。家中のお金をかき集めてまで決意したのは、新たな整形手術だった。不足分は借金をして調達した。

 糸原満さんにフられたのは、自らの容姿が原因だと判断した私は、さらなる美しさを求めた。安直だと言われようとも、すがるべきところはここ以外になかった。もっと綺麗になって、糸原さんの愛を取り戻す。手術後もそればかり考えていた。包帯がとれたあと、鏡で見た自分の顔は素晴らしく美しかった。

 まだ元の顔の名残はあるものの、幼い頃から容姿を苦にしてきた女の表情だとは誰も思わないだろう。直したいパーツは残っているけれど、とりあえずは満足する。以前よりも綺麗になったのだから、再び糸原さんに振り向いてもらえる。退院した私は、すぐに所属している大学へ向かった。

 ――誰だ、あの綺麗な子。男性らしき誰かの声が、どこからともなく聞こえてきた。間違いなく私に与えられている賛辞であり、飛び交う言葉のひとつひとつが自信に変わる。両足を動かして、真っ直ぐに目指しているのは、籍を置いているサークルの部室だった。すでに大学での講義は終了している時間なので、目的の男性はそこにいる可能性が高い。

 ドアの前まで来た私は、全身にまとわりついている緊張を少しでも軽くするために大きく息を吐いた。1回、2回、3回と繰り返す。それでも完全には解放されないので、あとは引き連れたまま入室するしかなかった。

 意を決してドアに手をかけようとした瞬間、室内から男女の会話が聞こえてきた。よく耳を澄ましてみると、男性は糸原満さんなのがわかる。

「だからどうして、それが別れる理由になるのかしら」

 ほんの少しだけ、苛々した様子で言葉を発している女性は、声でサークルの副会長の阿部康子さんだと判明する。

 何を話しているのだろう。気になった私は、行儀が悪いと知りながらも、廊下で聞き耳をたてる。どうやら言い争いをしているみたいだったけれど、先ほどから聞き始めたばかりなので、内容までは詳しくわからない。

「……僕にとっては、大きな問題なんです」

「理解できないわね。彼女が新しい世界へ足を踏み入れようとしているのなら、祝福してあげるべきでしょう」

「だからこそ、別れる道を選びました。これでいいんです」

 糸原さんが強い口調で話したあと、独り言を呟くみたいに阿部さんが「理解できないわ」と漏らした。

「もういいでしょう。これは僕と、彼女の――東雲さんの問題なんです」

「――え?」

 自分の名前を糸原さんが発した直後、無意識のうちに私は部室のドアを開いた。


 まったく予期していなかったのか、突然の乱入者の存在に、部室にいた糸原さんと阿部さんが表情を硬直させる。話題にされていた私がいきなりやってきたので、驚いたのだろうと思った。しかし、2人の注目点は別にあった。

「も、もしかして……東雲さん……?」

 目を真ん丸くしている阿部さんが、信じられないといった様子で声をかけてきた。

「は、はい。立ち聞きするつもりはなかったんですけど……」

「ほ、本当に……東雲さんなのか。い、一体、どうしたの」

 私の台詞など、まるで聞こえなかったみたいに、矢継ぎ早に糸原さんが言葉を並べてくる。いないつもりで話していた私が急に現れたのだから、ビックリするのも当然よね。抱いた感想が的外れであったのを、ようやく数秒後に悟ることになる。

「ま、まさか、整形したの?」

 阿部康子さんの指摘を受けて、ようやく私は自分が整形手術していたのを思い出す。考えてみれば、術後に糸原さんたちに会うのは今日が初めてなのだ。

 言い争いをしていた事実よりも、二人は私の変貌ぶりが気になって仕方ないみたいだった。無理もない。休んでいたはずの人間が、いきなり顔を変えて戻ってくれば誰でも同じような反応になる。事前に想定していたシチュエーションとは異なるものの、当初の目的を果たすには絶好の機会だと勇気を振り絞る。

「そうです。私、綺麗になりましたか」

 率直に、自分の頭の中にあった台詞を意中の男性へぶつける。恋人関係を解消したがったのはあくまで糸原さんであり、私に別れるつもりは最初からなかった。

 どこか困惑気味の表情を浮かべつつも、質問を受けた糸原さんは「え、あ……そ、そうだね」と素直な感想を言ってくれた。瞬間的に私の喜びは最大になり、この場で小躍りしそうなほどだった。

「それじゃ、別れるのを思い直してくれますよね!」

 きっと私の瞳は希望に満ちて、爛々と輝いているはずだ。実際に頭の中では、うまくいった場合のシミュレートしかされていなかった。しかし相手男性は予想外のリアクションを示した。より大きな混乱ぶりを披露しては、どう言うべきかと悩んでいるように見えた。

 ここで、同じ教室内で成り行きを黙って見守っていた阿部康子さんが初めて口を挟んできた。

「きっと東雲さんは、自分の容姿のせいでフラれたと勘違いしてしまったのね。糸原君、貴方に責任がないとは言わせないわよ」

 目を細めて糸原さんを睨む姿を見れば、とても助け舟と表現できる内容ではない。けれど相手男性と同時に、私も阿部さんの言葉に驚きを隠せないでいた。

 勘違い――。そのひと言が、たまらなく私の不安をかきたてた。

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