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ただ美しく……  作者: 桐条京介
第1部
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15

 数瞬遅く口を開いた男性が、改めて私を自分の所属するサークルへ誘ってきた。

「本を読むのが嫌いでないのなら、うちのサークルなんてどうかな」

 これまでの会話で、目の前にいる男性へ私は好印象を抱いていた。ナンパをしてきた男性みたいにガツガツした雰囲気はなく、安心感を持って、自分のペースで対応できる。それが一番大きかった。

 とはいえ、即決できる状況ではない。まずは勧誘されているサークルの情報を得るのが先決だった。

「興味はあるんですけど、どういう活動をしてるかわからないので……」

 あまり異性との会話を得意としてないので、あれこれ考えずに頭の中にあった言葉をそのまま口にした。

「そ、そうだよね。でも、活動っていうほど。堅苦しい感じはないんだよ」

「はあ……」

 いまいち要領を得ない説明に、無意識のうちに小首を傾げる。ひょっとして、サークル内はあまり厳しくないというのを伝えたかったのだろうか。

「あれ、なんか日本語、変だったかな。ご、ごめん。なんか、緊張しててね」

 なんか、というフレーズを同じ台詞内で繰り返すあたり、言葉だけでなく本当に緊張してるのがわかる。私もすぐにパニくるタイプなだけに、相手男性の心情を少なからず理解できた。

「とにかく、基本的に個人で好きなことをしてればいいんだよ」

「はあ……」

 またしても私は気の抜けた返事をしてしまった。しかし、それも無理のない話だ。目の前に立っている男性の発言のとおりであれば、サークルへ所属する意味が見当たらなくなる。個人個人が好き勝手に行動してよいのであれば、高校で言うところの帰宅部と変わらない。

「ええと……サークルで活動する機会はないんですか」

「え? ああ、そうだね。月に一回集まって、どの本を読んだのかとか、お勧めの本を紹介したりするくらいだね」

 読んだ本の内容をレポートするといえばカッコよく聞こえるけれど、要は第三者にあらすじを上手く伝えるための読書感想文を作る必要があるということなのだろう。その程度であればたいした負担にならないし、なにより自分の交友関係を広げるチャンスでもあった。せっかく過去の自分と決別しようとリスクもある整形手術を受けたのだから、ここは勇気を持って前へ進むべきだ。

「わかりました。それじゃあ、図書サークルのお世話になることにします」

 私がそう言うと、必死に勧誘を担当していた男性は満面の笑みを見せた。あまりに嬉しそうだったので、こちらまでつられて頬を緩めてしまう。悪いことではなく、心に温かな感情が広がる。私が求めていたのは、きっとこういう学生生活だったんだ。これまでの人生にはなかった展開を、心から楽しめばいい。

「それじゃあ、僕たちが使っている部屋へ案内するよ。そこで入会届けを書いてくれるかな」

「はい、わかりました」

 こうして私は男性と一緒に、図書サークルで使っている部屋とやらへ向かうことになった。


「あ、そうだ。自己紹介がまだだったね。僕の名前は糸原満と言うんだ。よろしくね」

 大学の校舎内。階段を上っている途中で、後ろをついて歩いていた私を振り返って、突然の自己紹介をしてきた。よもやこの場で行われるとは予想もしてなかっただけに、こちらの心の準備はまったくできていない。半ばボケーっとしている私を、糸原満と名乗った男性がじっと見つめてくる。

 なんだか催促されてるみたいなので、自己紹介のお返しをしようとする。頭では次の行動予定が決まってるのに、身体がなかなか実行できない。まさか、こんな状態に陥るなんて想像もしていなかった。もっと日常的に、異性との会話をシミュレーションしておくべきだったのか。しかし受験や自身の変化という目的を抱えていては、綿密な対策法を考える時間を取れるはずがない。ようやく受験を成功させて、在籍する大学へ来た途端に今回の出来事だ。私がエスパーでもない限り、用意周到な事前準備をするのは不可能だった。

「あ……えーと、ご、ごめんね。言いたくないなら、それでもいいんだ」

 男性は最後にもう一度「ごめん」と謝ってから、再び私を案内する役目に専念する。

 何かを言わないと。そうわかっているのに、今度もまたスムーズに言葉が出てきてくれなかった。きっと相手の気分を害してしまった。後悔したところで、時間の逆光なんて反則技を使えない私には、先ほどのやりとりをなかったことにもできない。ファンタジーな世界の住人にでもなれれば事情も変わってくるのだろうけど、そんな願望を真顔で言った日には、ほぼ確実に痛い人扱いされる。

 過ぎ去ってしまった時間についてあれこれ悩むよりも、この後の展開のどこかで挽回すればいいのだ。ポジティブシンキングで心の乱れを建て直し、歩き始めた先輩男性の背中を追いかける。

「ついたよ。ここが僕たちの使ってる部室だよ」

 教室ではなく、まさしく部室と呼んだ方が良さげなところだった。短い間隔で他にもドアがあるので、この棟には各サークルへ割り当てられている部屋が並んでいるのだろう。敷地の広さも校舎の大きさも、高校とはまるで違う。若干の驚きとワクワク感を胸に、図書サークルの男性がドアを開けてくれた部屋へ入る。

「お、糸原じゃないか。ん……おや。ほほう」

 眼鏡こそかけてないものの、タイプ的には糸原さんと似たり寄ったりの男性が部屋の一番奥で座っていた。

「彼女連れとは、糸原も隅に置けないな」

「――え?」

 こちらを見た直後の、名前も知らない男性の発言に、私はきょとんとする。すぐに糸原さんが慌てた様子で「違いますよ」と首を左右に振った。

「この女性は新入生です。大体、僕に勧誘を命じたのは、小笠原さんじゃないですか」

 そう言うと、糸原さんは少しだけ唇を尖らせた。


 糸原満のいじけた様子を見て、部屋の中にいた男性が大爆笑する。

「わかってるよ。からかっただけだ」

 口調や態度から察するに、糸原さんよりも、笑ってる男性の方が先輩みたいだった。あまり強く文句も言えず、糸原さんは小笠原と呼んだ人物に笑われ続ける。それでも親しげな雰囲気は出ており、決して二人の仲が険悪でないのはすぐにわかった。

 当然のごとく、まだ図書サークルに籍を置いてない私が、すんなりと会話の中に入っていけるはずがなかった。ほぼ無視されてるような状況下では、黙って立ってる以外にとるべき対応は見当たらない。

 やがて私を放置しておくわけにはいかないと思ったらしい糸原さんが、男性へ「この人がうちの新戦力ですよ」と紹介してくれた。やや遅い気がしないでもないけれど、ここでいきなり不満をぶちまけたりした日には、漏れなくヒステリックの称号が与えられる。大学に入学したばかりで、そんな汚名はまっぴらごめんだ。感情を表へ出さずに、私は自分の名前を告げる。

「初めまして。私は新入生の東雲杏里といいます」

 一応は部屋へ入る前に心の準備をしていたので、今回はわりとすんなり自己紹介ができた。

「東雲さんね。うちがどういうところかは、大体でも聞いてるのかな」

 男性はそう言いながら、横目でちらりと糸原さんを見た。アイコンタクトというやつだろうか、糸原さんはすぐに相手の意図を察して小さく頷く。それが質問の答えになったらしく、こちらが何かを発するより先に、小笠原という名前らしい男性は勝手に納得していた。

「それじゃあ、改めまして、東雲さん。我が図書サークルこと読書愛好会へようこそ」

 椅子に座っている男性が、仰々しく両手を広げて見せた。読書というよりは演技が好きなのではないかと思えてくる。しかしそれよりも、私にはきになる点がひとつあった。

「読書……愛好会?」

 疑問を素直に口にした私へ、糸原さんが「そうだよ」と応じた。

「正式名称は読書愛好会というんだ」

 それならわざわざ図書サークルなんて言わなくてもいいのでは? 当たり前のように新たな謎が浮かび上がってくるものの、各愛好会ごとに色々なルールみたいなのがあるのだろうと半ば強引に納得する。

「それで、そこにいる人が会長の小笠原大輔さん。もう四年生だというのに、就職活動もそこそこに、ここへ居座っている大御所だよ」

「……なんか悪意のある紹介のように感じるのは、俺の気のせいかな」

 若干、目を細めたりしているけれど、小笠原大輔と呼ばれた男性に本気で怒ってるような様子はなかった。

「先ほどのお返しです」

 悪びれもせずに発言した糸原さんを見て「言うねえ」と、会長はさらに笑うのだった。


「まあ、そんなわけで、俺が会長の小笠原大輔。よろしくね、東雲さん」

「は、はい。こちらこそ」

 よろしくと挨拶されただけで、声が裏返りそうになる。他の人間ならいざ知らず、私の場合は仕方のないことだった。なにせ若い異性から、ここまでフレンドリーな対応をしてもらったのは初めても同然なのだ。緊張するなというのは無理な相談だ。そしてこちらの状態は、読書愛好会の会長にいともあっさり見抜かれた。

「何をそんなに硬くなってんの。さては糸原……」

「ま、待ってください。僕は何もしてませんよ」

 会長からジト目を向けられた糸原さんが、大慌てで身の潔白を主張する。私も何かフォローすべきだろうかと口を開きかけたところ、背後から誰かの声が聞こえてきた。

「そこらへんにしておきなさいよ。糸原君が困ってるでしょう」

 聞いただけで、大人の女性だとわかるくらいの落ち着いた声だった。

 振り返った私の視界には、長くて少しだけ茶色に染めている髪を、自然になびかせる女性が映った。とびきりの美人というわけではないけれど、物静かな雰囲気と相まって神秘的な美しさを醸し出している。テレビのドラマ等で女教師が着用してるような、縁なしの眼鏡がよく似合っている。以前の私とは大きな違いだった。

 ちなみに昔から丸縁眼鏡をつけていたけれど、今現在の私は眼鏡自体を装着していなかった。周囲の目を意識して、使い捨てのコンタクトレンズに変えていた。出費はそこそこ増えるけども、他ならぬ自分自身が満足しているので何も問題はない。けれど読書愛好会の部室へ現れた謎の女性を見て、私の中に巣食っていた眼鏡有害論は粉々に吹っ飛んだ。決してマイナスなだけではなく、上手く自分へ合わせられればプラス材料になってくれる。今さらながらに気づいた事実は、私を騒然とさせた。目からうろこというのは、まさにこのことだった。

「あら。こちらのお嬢さんは?」

 私の存在に気づいた女性が、当たり前の質問をしてきた。慌てて自己紹介をすると、相手は微笑んで「阿部康子よ」と名前を教えてくれた。常に冷静な女帝といった感じではなく、優しい隣のお姉さんみたいに思える。

「せっかくの新入部員を放置して、男二人でお喋りしあっててどうするのよ。知らないうちにこの子が消えていたら、誰が責任をとってくれるのかしら」

 少しばかり責めるような口調の女性に対して、会長の小笠原大輔さんは朗らかに笑うだけだった。

「そんなに責めないでくれよ。俺はともかく、糸原が泣いちゃうかもしれないだろ」

「もしそうなったのなら、皆で観賞するのも悪くないわね」

「やれやれ。副会長は厳しいね、どうも」

 会話をしながら阿部康子さんは、室内にある椅子へ腰を下ろした。動作もやはり大人びていて、憧れを抱かずにはいられなかった。

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