(7)
こっちに向かってくる、高速で青空を飛翔する黒い影はなんぞや。
疑問を挟む間もなく、その巨体はこっちにやってくる。
いいや僕は知っている。ラノベを読むような連中なら、誰もが知ってなくてはおかしい。
黒炭よりもさらに黒く、金属よりは有機的。そんな、鱗。
オトコノコなら誰もが幼少時憧れるその容貌。牙、角、赤い目、血塗れの吐息。咆哮。
翼はどこまでも大きく、大空の覇者として、悠々と旋回する。
爪は……ああ、もういいっ!
ドラゴンだよっ! 竜! 竜! ドラゴン!
それが猛スピードでこちらに襲いかかろうとしている……ってオイオイオイ。え、えええ、え?
もちろんバスは急停車。Gがかかって、僕ら乗客はがっくんと揺られる。
誰もそれに文句を言おうはずがない。だって。
ドラゴンは高速道路の中央に降りたって、盛大に咆哮を放ったのだから。
車内、騒然。
「みなさま、バスの外へ!」
運転手が、ドアを開けはなって、乗客の待避を促す。まあ、僕と琴さんと、他数名しかいなかったのが幸いした。避難はすんなり行われた。
あたりは完全に騒然となっている。ドラゴンの向こう側だった車は、一目産に法廷速度をぶっちぎって退散。
問題はドラゴンのこっち側である。シャトルバスがこんな高速道路でUターンなんて出来るか。
こっち側のあたりは、車の中にとどまって安全を確保する人が……三割、か。
残りのひとたちは、携帯付きのカメラを掲げて、ドラゴンをパシャパシャパシャ! 見せ物である。
ああ……我々の日常も、ずいぶん様変わりしたもんだ。
ビデオカメラを抱えている人もいる。「キタ――――――ー!」とかぬかしてる人もいる。あ、ニコ生実況してる。
おそらくあそこでやたらと携帯文字打ちしてるひとは、2ちゃ●ねるでスレ立てしてるんだろう。
「【速報】ドラゴンに襲われた俺」みたいなタイトルで。
危機感がねえ――――――――――。
さもありなん。これは我々の日常なのだ。
ある日突然、誰かの意志によってこんなドラゴンが登場したりするのが、ごく自然な。
それが、世界に設置された、新たなる設定、
「ラノベ・アート・オフライン」
が作り出す、新たなセカイなのだ。
「まいっちゃいましたね……」
僕は琴さんに告げる。
「完全に遅刻です……初日から……」
「しょうがないですよ塔乃森先生。先生のせいじゃないですもん」
「それが許される業界なんでしょうか、出版業界は?」
「締め切りという言葉はご存じですか?」
「ふっはははははは」
僕は失笑する。
しかし……
「どこの誰だ、こんな人騒がせな……『妄想』だか、『批評』だか、『二次創作』だか……最近ドラゴンを取り扱った作品ってありましたっけ?」
「あ、それなんですけど……」
刹那。
僕は「ものすごく嫌な予感」がした。
僕は琴さんの手をとって、高速道路の端の方へ行こうとした……が、遅かった。
どこまでも黒く、巨大で、暗黒めいた闇の眷族――ドラゴンは、一息すって、一息吐いた……メガフレアじみた、轟炎を。
それは、あたりの車を燃やし尽くしていった。一瞬にして、場は戦場のそれになった。
火の臭い、鉄が、油が焦げる臭い。そして、爆発。ドラゴンは――叫び声をあげる。圧倒的に。
日常が、悪夢になる。
あたりは、悲痛な叫び声が響きわたる。火傷のひとが多数いるのはいうまでもない。破壊された車の残骸で傷ついたひと、車中で身を守りつつも逃げ遅れたひと……それでも、致命的に、生死にかかわるレベルのひとがいなかったのは幸いだ。
が、
「次」があったら?
みんな、それを悟っている。もう、誰も2ちゃ●ねるやニコニコ動画をいじっている人はいない。誰も顔が青ざめ、一斉に場はパニックになる。
早く、早く、この場から逃れなくては、と。
「動ける人たち」は、そう思った。そう、「動けない人たち」も、いたのだ。
誰だよ……こんな「悪意」ベースの、異能・幻想・怪奇を現実化・具体化した愉快犯は……
確かにね、この設定は、ドラゴンだって呼び寄せられるさ。
それでも、これはルール違反だ。「ラノベ・アート・オフライン」は、破壊行為という娯楽のために作られたものではない。
それが意図的なものなのか(ようするにテロ)、非意図的な暴走なのか……いまはわからない。
だから僕は思う。
「困ったな……」