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ラブラット・ハウス  作者: 鈴代羊
第一章 血操の吸血鬼と氷操の吸血鬼編

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第1話 とある館の噂

何時、こんな感情を抱いたのだろう。数年前かもしれないし最近かもしれない……もう覚えていない、もう思い出すこともできない。

 もう……思い出すこともないと思う。

 最初は、楽しくやっていた。でも、段々と楽しくなくなっていっただけだ。

 一緒にいるのに飽きたわけではない。

 友情に冷めたわけでもない。友達はいる、一人は……いる。

 学校にはいないだけだ。そう、決してボッチというわけではない。

 なんとなく、一人で行動するようになっただけ。

 教室に着いたら、自分の席で一人で読書を始める。休み時間には図書室に籠もるようにして、昼もそこで弁当を食べている。

 別に虐められてはいない。虐められるようなこともしていない。

 私が離れているだけ、距離を置いているだけ。至って簡単な話。

 しかし、私が距離を置いている理由は迷宮入り。自分でも分からない、私の人生はミステリーじゃないけどね。

 周りから見たら、私は冷めきっているだろう。薄氷のようだと、皆思うだろう。

 ──もしくは、氷塊かな。それも、棘々しい氷塊。分厚くて、頑丈な氷塊。

 いや、歯車かもしれない。世界がしっかりと回るように、それぞれの役割を果たす歯車。

 歯車には、大小さまざまのサイズがあるだろうが、才能を遺憾なく発揮する典型的な天才は大、努力を怠らないバカ真面目な逆は小、私は何の変哲もない凡人(逆なんかあるわけない)で中くらいのサイズだろう。

 なんの才能もなく、努力もしない私には、それくらいが丁度いい。

 丁度良すぎるくらいに丁度いい。逆に拒絶感がする。

 あ〜忌々しい。

 まあ、周りからどう見られようが、どう思われようが,私はどうとも思わない。傷つきもしないし、ムカついたりもしない。

 もしかしたら、ありえないかもしれないけど、周りは気を使ってるかもしれない。こんな私に気を使っているのかもしれない。

 周りの環境を拒絶している私を。流れに逆らって、逆走している私を。

 そう思うことはすぐに止めた。

 私が、私をどう見て、どう思うか。それが、今の私にとっての判断基準。

 私が生きていくための指標。結局は、自己満足してるだけ。

 私は、退屈していたのだろう。機械的な生活に、変わることのない日常に。

 やっぱり飽きている、と言ってもいいかもしれない。意味は似たようなもんか。

 この感情の色は──灰白色かな。

 感情は乏しすぎるし、感性なんかも元からない。

 誰かへの共感なんてモノは、この際どうでもいい。どうでもよすぎる。

 どうでもいいこと私代表だよ。そして、常に不戦勝で優勝。

 勝ちゲーの中の勝ちゲー=クソゲーだよ。ゲームは勝ち続けても面白くはない、丁度よい難易度が重要。

 ま、人生は勝ちと負けが絶対に存在してくれるから神ゲーとクソゲーの混同体だよね。想像するだけでダムに溜まった水の塊を放流するかのように、勢いよく吐き気が勢いよく込み上げてくるよ。

 こんなことを考えているのは、過去も未来の世界を幾ら探し回っても私だけだからね。他にもいるかもしれないけどね。

 もし、世界に私と全く同じ思考の人がいた時は「わぁ〜貴方と私の思考は全く一緒なんだね!」と、営業スマイルならぬ人格破綻スマイルでもするよ。

 電気のついていない薄暗い部屋で、抱え込んでいた枕に口元を埋める。口周りにほんの少しの冷たさが触れる。

 カーテンに覆われている窓の外には、今にも雨が降りそうな雲が漂っていた。その上、薄く霧がかかっている。

 たしか、今朝の予報で雨が降るはず。

 はあ……雨がこの悩みも何もかもを流してくれないかな。

 そんなことを考えながら、不変と退屈の世界を今日も生きていく。



 薄暗い雲に隠れた太陽の薄暗い日を浴びながら、いつも通りに学校への支度をする。

 なんだか今日は、いつも以上に湿っぽい気がする。

 部屋の隅に立てている姿見を見ながら、通っている霧滝高校の制服に着替える。

 七月下旬が近づいてきた七月十八日、七月中旬。

 コートに似ているブレザーの袖に、我ながら華奢な細々しい腕を通す。襟から藍色の長髪を出す。少し崩れた後ろ髪を櫛で直す。

 濃紺のスカートを穿き、撥水機能の付いた紺のタイツを履く。

 変わらない作業のような支度を終える。まるで機械だ。

 毎日の思考の最初の文言は、この感想から始まる。

 この思考も機械的だな……。

「はぁ……」

 小さく溜息を吐く。柔らかな綿のような形の白い息だった。

(こんな風に鬱憤も悩みも、全部……全部吐き出してやりたい……)

 思考に浮かんでいたはずのフィルターから滲み出てきやがった弱みを消し去るように、頭に手を伸ばし爪で強めに掻きむしる。

「っ……」

 少し血が出た。ほんの少しの間、細い指に絡まった自分の毛を見る。

 日が昇ってきた頃の空に彩られた髪の毛は、指でいじると兎のように跳ね飛び、そのままゴミ箱の底に落ちていく。

 爪に挟まった血と掻き取られた頭皮が混じったそれをゴミ箱に捨てる。

「はぁ……」

 また溜息をつく。

 狭い部屋の真ん中に設置してあるテーブルに置いていたコーヒーカップを持ち上げ、口元に運び中身の温かいであろう黒い液体を味わうことにした。

 数分は置いたのに、まだ少しは湯気が出ていた。五秒ほど、カップの中に注がれた無糖《背伸び》コーヒーを飲む。

 少し微温くて──苦い。……でも、私にはコレが丁度いい。

 カップをシンクに置き、蛇口をひねって出した水に漬けておく。学校から帰ってきたら食器棚に置き戻しておこう。

 ベットに置いていた鞄を持ち上げ、壁に掛けられている電子時計を見上げる。

 時計には、カクカクの数字と文字が映し出されている。AM七時〇分、金曜日。

 それが今の時間と今日の曜日。学生にとって、二番目に最高の日。

 やっぱり一番は土曜日、土曜日サイコー。今日は金曜日だけど。

 しかも今日は先生たちの会議(三学期の話か?)があるそうで、授業は四時間目までの大サービス付き。

 更に三連休付き、最高中の最高。神様、仏様は本当にいたんだ。

 全学生の願望が成就された。そう思えるほど最高な日である。

 このまま水曜日も休みにしてくれ。……あとテストも無くしてくれ。

 ま、それは無理か。テストに関してはなんかいるらしいね、事情的に。


 チーン。

 その音を聞きとり顔を上げると、先程まで振動で発生させた暖かな光を放っていた機械が暗くなっていた。

 あ、レンジが鳴ったのか。

 その音の原因が何かを気づいて、トトトと歩いていき、レンジの中から表面が少し黒茶色の食パンを取り出す。

「アチチ、ッーー!」

 余りにの熱さに声を上げながらも、出来立てのチョイ焦げパンを指先で二つに千切り分ける。

 パンの繊維と言うべきか悩むところが、右と左に分かれていく。その繊維に阻まれ中に残っていたのだろう蒸気が顔にかかる。

「うわっ」

 ビックリした、目をギリギリで閉じてよかった。目にかかったら……イテテ。

 もしもの想像をして、存在しない痛覚を認識してしまった。

「ふぅ〜ふぅ〜」

 まだ熱が冷めそうにないパンに、ゆっくりと息を吹きかける。数秒後には、パンの熱は手に馴染んできた。

 ……よし、そろそろ食べ頃というものだろう。

 パンに齧りつく。

 口の中にパンの柔らかな感触が広がっていく。少し遅れて、鼻にパンのほのかな甘い香りが届く。

 最後に、心を和ませる満腹感が腹を満たす。

(はぁ〜パンって、本当に良いな〜)

 一人なのに、独り言にも出さない感想を思いつく。朝食はパン派なところがでてきたか。

 朝食も食べたし、丁度いいタイミングだ。そろそろ話をもとに戻すべきだ。

 なんとも真っ当な意見。さすが私(脳内会議に出席してる一人)、天才的だ。

 さぁ、話を戻すとするか……閑話休題。話がズレているかは気にしないとしておく。

 全学生のさらなる願望が叶うなら、水曜日も休みになるべきだ。そう思うが、そんな上手くいくわけない。

 それでも、このサイコーな時間を楽しもう。

 もしかしたら、登校中にスキップしてしまうかもしれない。そんなことをしたら、私のキャラが崩れてしまう。

 補強する暇もなく崩れ落ちる。難防陥落のハリボテと化す。

 ので、スキップはなし。……鼻歌にするか?

 いや、やっぱりやめた。

 登校中も授業中も下校中も落ち着いて、さっさと家に帰って、まだ読めていない小説を読むことにしよう。それが、この状況で一番いい選択だ。

(予習とか復習とか勉強をした方がいいでしょ、という誰かさんの意見は全面的に無視の方向でよろしく)

 オールもしよう。どうせ明日も明後日も、明々後日も休みだ。

 休みは好き勝手に過ごしてやろう。私は誰にも邪魔されない、自由だ……!

 そう考えていた私は、無意識に鼻歌を歌っていた。

 話を戻した途端にこれだ。ウッキウキじゃん、私。

 音楽でもかかったら、踊ってしまうのじゃないか?

 ま、そんな映画みたいなことは起こるわけがない。あり得ない、あり得なさすぎる。

 玄関から道路に出た瞬間にトラックに轢かれることもない。まず、ここは一軒家じゃない。

 アパートだ、それも個人所有のアパート。

 一階とかじゃなくて、二階とか三階に突っ込んでくるのか? トラックが?

 もし突っ込んできたとしても、異世界転生なんかはしない。世の中、そんなご都合主義にいかないよ。

 断言なんかしてるけど、昔は信じていたさ。異世界転生も、異世界召喚も。

 卒業したというのか、年をとったのか。まあ、簡単に言えば大人に近づいたんだ。

 大人に近づいた、とか言ってみたけど、数年後に自分が酒を飲んでる姿を想像することが全く出来ない。

 酒を飲んでるのが、大人とは限らないけどね。未成年なのに調子こいて、酒を飲んだような奴もいる世の中だし。

 みんなは、こんな悪い子にならないように、酒は二十歳になってからだよ、なんていう教育番組でもやらないようなことを誰かさんに言っておく。  

(誰もいないけどね。私だけだよ)

 もしかしたら、これは自分に言い聞かせているのかもしれない。

 こんなことを言うキャラじゃないけどね私。

「はぁ……」

 三度目の溜息を吐く。

 私には、こんなキャラは合わない。

 変な思考のせいで調子が少し狂った。



 ガチャ。

 扉にロックが掛かる音がする。

 よし、これでオッケー。

 これで泥棒なんか入ってこないぞ、安心安心……なんとも小学生のような思考。

 これは偏見か、ああ、大人に近づいても偏見を考えてしまう……社会に出る前に治さないと。

 それに鍵を掛けただけだと、普通に侵入されるよ……。

 窓とかを割って、窓枠乗り越えて侵入してくるよ。もしくは、ドアを抉じ開けて……凄い音が鳴りそうだけど。

 誰かが警察に通報してくれるよ……きっとね。

 でも、泥棒が家に入ってくるのは一人暮らしの私にとって、それは最悪だよ。

 鬼は外、福は内みたいに──泥棒は務所、座敷わらしは家に的な何かを。

 でもな〜、座敷わらし居なくなったら家が終わるじゃん、潰れるじゃん。

 そして、何処か別の家が同じ結末を辿るんだろうな──。

 頭を振って、思考を遥か彼方に飛んでいけーとする。

 まず、私は一人暮らしではあるが、居候だ。個人所有のアパートは、私の所有場ではないのだ、クックク……驚いたか諸君?

(なんか不安になっているが、読んでる人からしてみれば頭の中で一人会話してるだけでも、コイツ大丈夫なのか? と不安通り越して心配しているだろう。……恐らくな)

 小さい頃に親に聞かされたことのある妖怪の話を少し思い出して話をしているが、何となく心の底から自分の将来が不安になりだしてしまってきたので空を見上げる。

 空の表情は曇っていた。下手したら涙《雨》どころではなく怒号《雷》が飛んでくるぞ。

「雨……降りそう」

 そう呟いた。

 雨だけで済んでくれ、そんな思いを胸中に秘めながら。

 あ、傘を持ってきてない。……面倒くさいから取りに行くのやめよ。

 そういや、今朝の天気予報で午後は雨が降ると言っていたような?

 そんな風に考えながら階段を下りていると、階下から元気な声が届いてくる。

早上好おはよう!」

 中国語で挨拶をしてきたのは、階下のカフェで働いている李織。

 ショコラのような黒色と、大人しめのオレンジ色の髪が混ざっているツートンカラー。

 それをポニーテールに結ぶことで、可愛らしさが天井知らずになっている。

 ポニーテール……羨ましい。こんな髪型したいな〜、試しにやってみようかな?

 えっと……なんの話をしてたっけ? ああ、李織の話か。

 李織は日本人と中国人のハーフで、日本で生まれたけど一度は母親の事情で中国の方に数年いたけど、三年前に日本に戻ってきたという経緯がある。

 名前の由来は……分からない。知ろうともあまり思わない。

 名前の由来を聞いて、何がどう変わるのだろうか。何も変わらないだろう、普通は。

 話を李織のことに戻そう。

 父親が日本人でカフェの店長をしていて、母親が中国人でカフェの副店長。それに二人は、私が居候させてもらっている個人アパートの所有者でもある。

 そして、李織がカフェの看板娘。太陽そのモノのような笑顔を振りまく天真爛漫な彼女に、お店を訪れる多くの客は魅了されている。

 そんな娘に両親は深い愛情を注いでいる。

 厳選したコーヒー豆にするように。

 おっと、例えが悪かった。

 味わいはしない(食い気味に)。厳選もしない(強く食い気味に)。コーヒー豆じゃない(最も強く食い気味に)。

 これくらい言っておこう。

 たった一人の愛娘。そして、私のたった一人の親友。

 そんな両親の自慢の娘である李織に対して、私はツッコんだ。

 ツッコんだ、というより告白した。

 大事な告白だ。人と関係を持つ上で大事な事を一つ。

 秘密の告白は、一度はした方が良い。

 関係が深くなるかもしれない。関係が浅くなるかもしれない。

 どっちかのギャンブル(ギャンブルも二十歳からね)。

 変わらないこともあるけどね。無くなることもある。

 ま、そんな訳で私の告白。

「私、中国語わからない」

 中国語が分からない告白だった。

 いや、なんとなくは……少しくらいは分かるけど。単語くらいなら……だけど、挨拶とかは分かるよ。

 長話になると、分からなくなるなるんだよね……。

「…………」

「…………」

 お互い無言になる。

 き、気まずい。

 私の告白の意味を理解した李織は、少し慌てながら、

对不起ごめん!纱丽《沙莉》!」

 私の名前を呼んで、謝った(雰囲気ふんいきで分かった)。

 謝らなくていいのに、簡単な中国語しか分からない私が悪いのに……。

 帰ったら、中国語の勉強だな。

 でも、あの小説の続きを見たい……。

 私の尊敬する片衣利望菜和かたきりもなか著、の『』。ジャンルは、怪人ミステリーだったはず。

 千ページ以上の超長編の、六百三ページ目だったはず。

 それの一巻目、残りニ巻(完結済み)。

 私の中のを開いていると、李織が満面の笑顔で言った。

 この場合は、言い直しで合ってるかな?

「改めて、おはよう! 沙莉!」

 言い直しで合ってるみたい。

 その太陽のような笑顔を見て、私は微笑みながら返事する。

「おはよう李織」

「にっひひー」

 そんな可愛らしい声で李織は笑った。

 純粋無垢で無邪気な子供のような笑顔(笑顔の例えって、本当に色々あるね)。それが、私は好きだった。

 感傷に浸っていると、李織の顔が少しだけニヤける。

 疑問に思っていると、後ろ手で持っていた弁当箱をハイッ、と渡してくる。

 それを見て、私は確信した。今日の弁当は自信作だな。

 それを右手で受け取り、感謝を伝える。

「いつも忙しいのに、ありがとう」

 私の言葉に笑顔の李織の顔が更に崩れ、左手で頭を掻きながら、恥ずかしそうに言った。

「エッへへ〜。もっと褒めて、褒めて〜」

 その言葉に苦笑しながら、

「はいはい」

 返答をして、弁当箱を受け取ってない左手で李織の頭を優しく撫でる。

 私に撫でられて上機嫌になったのか李織は、

「私は今日、休みだから。沙莉の部屋でおベンキョーしておくね」

 日本生まれ日本育ちだが、李織の日本語にはまだちょっとした違和感があるから、毎日少しずつ日本語の勉強をしているのだ。

 そして、先生はこの私。

 慣れない口の動きで日本語を喋る李織の可愛らしい姿を見ながら、教えているのを私はほんのりニヤけながら楽しくやっている。

 

 いつもの日常。私の唯一の楽しみ。

 何が起きても、崩れてほしくない光景。

 ずっと側で見ていたい笑顔。

 いつでも一緒にいたい親友。



 一年二組。それが私の所属するクラス。

 後ろの扉を開けて教室に入ると、男子の騒がしい声や、女子のSNS等の話が聞こえてくる。

 今日も変わらない光景、少しは変わってほしい光景。退屈で死ねるような光景。

 教室に入って早々に呆れながら、自分の席につく。

 座る時に溜息もした。

 そのタイミングで、担任である小柄な女性の先生が扉を開けて、教室に入ってくる。

 担任の名前は井崎杏菜。

 小麦色で中央分けのショートボブ、薄琥珀色の瞳が可愛らしく覗いている。身長は、教卓から肩が出るくらい。

 小耳に挟んだ噂によると、年齢が三十路に近づいて、今だに結婚できてないのを気にしているそうだ。

 恋人もいないそうだ。小さくて可愛いのに。

「お~い、ホームルーム始めるぞー」

 そんな担任の声が聞こえると、話し合っていた男子も、笑い合っていた女子も自分の席につく。

 全員が着席したことを確認した担任は、クラスの委員長に指示を飛ばした。

 いつも通りの学校の一日の始まりだ。


 そして、いつも通りの学校の終わり。

 金曜ということもあるだろうが、更に途中には自習があったことにより、授業はいつもより早く終わった気がする。

 今日の李織の弁当の中は、まるで漫画に出てくる愛妻弁当だった。というか、間違いなく愛妻弁当だった。

 なにせ、ご飯にハートマークがあったからだ。

 渡す相手を間違えたのではないか?

 ……ん? 待てよ、愛妻弁当ということは、つまり! 李織に彼氏が出来たのか?! それは一目見て、李織に相応しいか確かめないと!

 まるで一昔前の父親のような思考である。

 下校の支度をしながら、考えるのを一旦止める。少し頭が痛い。

 さて……早く帰って、李織に日本語を教えるついでに中国語の勉強もするか……。そしたら小説の続きが読めるぞ!

 授業中に思いついた帰った後の作戦を脳内で復唱する。

 余りにも簡単に思いつく作戦すぎる。

 しかし、この作戦に穴などない。

 そう確信しながら席を立つと、思い出した。

 李織に彼氏が出来たか聞かないと、勉強ついでに尋問しよう。

 そう思い立ったと同時に、クラスメイトの少女二人のとある会話が聞こえた。

「ねぇ、知ってる? あの噂」

 その会話は、噂話だった。

 なんだ? 恋愛関係か?

 質問されたもう一人の少女が、答える。

「噂? もしかして裏山の上にあの館?」

 それに対して、質問した少女は首を縦に振る。

「そうそう、その館」

 なにやら、恋愛などではなく、奇妙で興味深い噂があるらしい。

 しかも館だと! 小説好きには堪らない噂だ。

 ミステリーの匂いがする、もしくはホラー。

 もしかしたら、どっちも!

 そう心の中で少しばかり興奮する。

 私がそんなことを考えているのを知らずに、少女は噂の館について語りだした。


 少女が語った館の噂は、余りにも現実味がなかった。

 その館は、天候なんか関係なく深く濃い霧に囲まれていること。

 その館は、無人のはずなのに人がいる気がすること(気がするって……)。

 そして、一番コレが現実味のげの字すらない話だった。


 ──その館には『吸血鬼』が住み着いているらしい。


 ヴァンパイア、バンパイヤ、ヴァンパピール、ラミアー、エンプーサ、ブルーカ、ドルド、グール、キョンシー。

 いろんな呼ばれ方と、いろんな種類がある吸血鬼。

 日光に焼かれて、大蒜を嫌い、十字架を忌み、聖水に溶かされ、聖書を恐れ、鏡を避ける。

 種類も多ければ、弱点も多いのか、どんな不死身なバケモノだ。

 まあ、いいや、そんなオカルトじみたモンスターが、バケモノが、怪物が、人外が。

 それが、あの裏山の館に住み着いている。

 その言葉を聞きながら、窓の外を見る。

 窓の外には山が立ち尽くしていた。

 山は山でも、裏山だけどね。裏山はあるのに、表山が存在しないのか。

 学校の裏に山があるから裏山があって、学校の表に山があれば表山になるのかな? 裏門があるなら、表門があるのと同じで。

 学校に表裏があるのかは別として。

 その山の森の奥には、館が建っている。

 それにしても、あの山……霧深すぎない? ホラゲーレベルに霧が濃いぞ。

 私がまた、そんなことを考えているのを知らずに、その話を聞いた少女は、そんな噂話を信じられない、という顔をした。

 それに対して、噂話をした少女は、

「せいぜい噂程度だから」

 と、注釈をいれた。

 それを聞いた少女は、

「だよね〜」

 と、軽く胸を手で撫で下ろし安心した。

 二人は噂話が終わると「あの店のクレープを食べに行こう」と、言いながら教室を出ていった。

 教室には、もう私しかいない。

 『噂程度だから』

 その言葉が、頭の中で繰り返される。

「その噂……気になる」

 無意識のうちに、私はそう呟いた。

 時刻は、午前十二時二十三分。

 まだ雨は降っていない。

 今、山を登ったとしても門限の八時までには帰れるだろう。そんな甘ったるい思考と山岳者なら止める格好のまま沙莉は帰路に着いた。



 作戦変更。

 学校からの帰路きろについた私は、脳内で呟いた。

(口にしていたかもしれないが、まあ、いいや。半径十メートルには、私以外いないのは分かってるし)

 というか、人っ子一人としていない。

(閑散としている。静かすぎない?)

 通学路にもなっている商店街を歩いているが、昼間なのにも関わらず、お店の人や客の一人も辺りに見当たらない。

(もしかして、異界入りした? 赤い濃霧はかかってないけど)

 死してなお動く屍なんかもいないし、ただ、人が周りにいないだけだろう。

 そう思いながら辺りを再度、確認しても人っ子一人見当たらない。

(それにしても異常だな。まだ昼間なのに、街中に人がいないなんて。だんだん怖くなってきた……ん?)

「何……あれ?」

 道路の真ん中に標識がある。よく見てみると、標識には縦に真っ直ぐ伸びた矢印が描かれていた。

(よく分かんないことが起きてるし……道に迷いそうだから、標識の通りにしてみるか……え?)

 振り回される髪を気にせずに、辺りを見渡す。

 半径二メートルしか見えない。いつの間にか濃霧がかかっていた。

「なんなのよ、これ」

 未知数の不安と、一滴の恐怖を感じた。

 スマホのライトを点ける。

 効果は薄いが、頼もしい明かりが辺りを照らす。

 明かりを標識に当てる。

 さっきまでは標識は真っ直ぐの矢印が描かれているだけのように見えたが、ライトで照らすことによって見えていなかった文字が見えた。

 真っ直ぐの矢印に重なるように『裏山の館』と書かれているのが読めた。

 裏山の館。教室で聞いた噂、辺りを囲む濃霧、人がいる気がする。


 ──その館には『吸血鬼』が住み着いている。


 先程まで私の中にあったはずの不安と恐怖は、好奇心と探求心に変わっていた。

 明かりを矢印が指す方向に向ける。

 視線の先には、深く濃い霧の向こうに裏山の館が建っている。

 私は、その館に向かって走り出していた。

 片手に持ったスマホのライトで照らし、もう片手で霧を払いながら走る。心から溢れそうになる好奇心と探究心に駆られながら走っていく。

 館の噂の真実を確かめるために、なにより個人的な興味のために。



 ギイィィィィ。

 重々しく軋む音を立てながら、館の正面玄関である両扉が開いた。

「ゴホッゴホッ」

 随分長く放置されていたようで、埃が表現もできないほど凄いことになっていた。

 辺りを飛ぶ埃を手で払いながら、広々としたホールに土で汚れた黒のローファーで踏み入る。

 上にはシャンデリア。両横には、埃を被っているが見るからに絢爛豪華な扉。正面には踊り場の先が二つに分かれている扉と似たような装飾が施されている階段。

 そして、後ろには重厚で最も埃を被っている閉められている両扉……?

「まっ、待って待って待って待って!!」

 生まれて初めての絶叫かもしれない。

 いつの間にか閉められている扉を握りしめた拳で叩いたりしても、思いっきり蹴ったとしても、ガッシリと閉められている扉はビクともしない。

 逆に私の拳と足が痛い。つま先を押さえながら記憶から滲み出てくる既視感を思い出す。

 ホラーあるある。いつの間にか出口の扉が閉められている。殴ったり、蹴ったりしても、銃で撃ったりしても、傷つきも壊れもしない。

 正しく絶望的状況である。

(今朝、映画のような展開はしないと言ったが、前言撤回。しました。はい、映画のような展開しました。するとは思っていなかった)

 いや、こんな噂の館に来た時点で既に映画のような展開だが、出口が閉められたのは痛い。痛すぎる。

 どうしよう。思いつく言葉はそれしかなかった。

(それくらいしか思いつかないでしょ、普通)

 窓から出るか? でも、それだと来た意味がない。

 一番、出口を確保しておけばいい。二番、出口なんて気にせずに突き進む。

 三番、この館に住む。四番、ここで死ぬ。

 五番、携帯で助けを求める。

(まずは、一番からやってみよう)

 そこら辺に倒れていた長身の燭台を持ち上げ、蝋燭を立てる先っぽが窓に槍のように突き刺さり、そこから脱出……なんてことにはならなかった。

 精々、カスリ傷がついた程度だ。こんなんじゃ何時までやっても小さな穴すら開くことはないだろう。

 一番はバツ。次は二番。

(心の準備が……)

 二番は先送り。次は三番。

(こんなところに住んだら李織に会うのが大変だし、部屋から荷物を持ってくるのも大変。買い物にも山を登り降りしないといけない。……いや、外に出れてるじゃん!?)

 三番もバツ。次は四番。

(一ッ番イヤッ! こんなところで死ぬなんて!! 考えるんじゃなかった、ここで死ぬなんて……!)

 頭を両手で抱えて地面に思いっきりぶつける。ドゴッ、と硬い地面と頭を打つ音が響く。

 纏わりつく吐き気というデバフを自ら課した沙莉の頭の上では、お風呂にプカプカ浮かべるような数匹のアヒルが円を描くように泳いでいた。

 四番もバツ。

 次は五番。現実的で一番マトモな考え。

 携帯の電源をつける。………………圏外だ。

 なんでだ、と思ってはいるが頭も肩もガックリと落とす。顔色もサァ〜と青くなる。

 もしかしたら行方不明と報道され警察が捜索を行って見つかるかも知れないけど、何時間も何日も経っても見つからなければ、四番に直結してしまうことになる。

 五番も……バツ。残った番号は、二番。

(……嫌だな。でも、これしかないんだよね)

「ふっ、ふぅ〜ふぅ〜……」

 無駄に緊張しながら胸に手を当て、深呼吸をする。

(もうこうなったら、やってやる! 吸血鬼だろうがなんだろうが来たら、これで……殴ったりしてやる!)

 武器として先程の燭台を両手に構えながら、二階へと続く階段の一段目に足を伸ばす。



 薄暗い廊下に、古びた床を踏みしめる音が響く。

 少しして、暗さを払拭する明かりが射し込む。

 円錐形の明かりは、廊下に散らばって埃を被った本の山や、食品のゴミを順番に照らしていく。

 最初は思いもしなかった。

 まさか、ジャコビアン様式の洋館の中は散らかりに散らかっているなんて。

(まあ、放置された古い建物だ。それならこうなりはするか)

 見渡すだけでも落下する埃や羽音を立てて飛ぶ蝿が目につく。

(……ん? なら何で食品のゴミがあるのだろうか?)

 廊下には、扉を塞がないようにまとめて配置されたであろう空の食品の袋とパックがあった。

 周りを目視で誰もいないのを確認してから、しゃがみ込んで、食品のゴミを手に持ち上げて見てみる。

「……え?」

 驚いた声が出たのは、手に取ったあんぱんの袋に記されていた賞味期限と牛乳のパックに記されていた消費期限が、ここ一週間の日にちだからだ。

 居候だが、ほとんど一人暮らしのようなものなので言うが、食品の賞味期限と消費期限を普段から気にしており、あんぱんなどの和系の甘味は好んで食べるし、牛乳に関しては週に何回か飲んでいる。

 私の記憶が正しければ、あんぱんの賞味期限は二日から三日で、牛乳の消費期限は七日から十日ほどのはずだ。

 そこから考えると、最近もしくは今も誰かが『この館』にいることになる。

 震え上がりながら思考を回す。

 無人のはずなのに、人がいる気がする。そうなると、噂の通りになる。

 しかし、吸血鬼がいることが確定したわけではない。吸血鬼のようなファンタジーではなく、現実的に考えれば犯罪者がいてもおかしくはない。 

 実際にいたらどうやって逃げよう……。

 この燭台で対抗する?

 手汗が浮かぶ両手で燭台を握り直す。頬を冷や汗が一筋流れていき、顎に伝っていき垂れて、落ちる。

 恐怖と不安が冷静に勝り、あんぱんと牛乳のコンビと云えば、警察の張り込みの定番という物語あるあるを忘れているのだ。

 もし犯罪者がこの館にいたら、という思考を走らせていると、変な気がした。

 気配というべきか、第六感的なものだった。

 既に、私の視線はそこに釘付けになるようになっていた。

 廊下の突き当たりの部屋にライトを向ける。



 雨が降り始める。

 霜霧のような雨が降る。桐の葉に雨粒が当たり、小さく分裂して弾ける落ちる。

 傘など持ってきてすらいない沙莉は、扉のドアノブに手をかける。

 力を加えずとも、いとも容易く扉は開かれた。

 廊下以上に暗い部屋だった。

 明かりを点けようと思い、壁に付けてある片切スイッチを押してみたが、明かりが点く気配は全くしない。

 仕方なく、スマホのライトで辺りを照らす。

 右、左と確認する。

 右には腰くらいの高さの棚に化粧台。左には天井につくほどの高さの本棚。

 これといっておかしな物は一つもない。

 ライトの光量を調整して中央を、目の前を照らす。買い替えたばっかのスマホに付いていた意外と便利な機能の一つ。

 そこには一つの寝台があった。いたって普通の天蓋ベッドだ。

 純白のカーテンが中と外の境界線としての役割を今も果たしていた。

 一歩、また一歩と静まり返っている天蓋ベットに歩を進める。

 軽く目を閉じながら、恐る恐る燭台の先でカーテンを開ける。

(…………? 何も起きない。何もないのかな?)

 目を開けてみる。

(……ッ!?)

 廊下の突き当たり、その部屋の中央を陣取っている天蓋ベッドのカーテンの向こう。

 それは棺桶だった。西洋風の重厚な棺桶が天蓋ベットを包み隠すカーテンの中に鎮座していた。


 ──その館には『吸血鬼』が住み着いている。


 耳の奥底に残っていた噂が頭の中を反芻する。だけど、

 小さく安堵の息を吐く。それでも油断はできない。

 もしかしたら、腐乱死体があるかもしれないからだ。

(た、試しに開けてみるか……)

 やけに心臓の鼓動が早く感じる。呼吸も少し荒くなる。

 意を決して、棺桶の蓋を持ち上げる。

「ッ……んいしょっ……!」

 燭台の先で押すと意外と棺桶を閉めていた蓋が、覗くことですら嫌と感じてしまう奥の暗闇へと倒れて消える。床にぶつかる大きな音が鳴る。

 鼓動が更に早くなる。呼吸もどんどん苦しくなってくる。

 過呼吸に近しい状態だろう。左手で胸元を押さえる。目尻には涙が浮かんでくる。

(止まって。止まって、止まって止まって止まって止まって止まって! 止まって止まって止まって止まって……!!)

 心身とも心臓の鼓動が落ち着くのを望んでいるが、ナニカがそれを強く拒む。鼓動が暴れる、獰猛な獣のように暴れる回る。

 棺桶の中から二体のソレがゆっくりと上半身を起こす。

 上に乗っかっているソレは、美少女で薄白銀色の腰まである長髪。下の乗っかかられているソレは、美少年で白銀色の襟元を漂う程の長さの髪。

 二体の美形のソレ。

 美少女のソレは完全に全裸で、白い肌は少し不健康そうだが肉付きの良い彫刻に近い美術的身体をしていた。美少年のソレは襟元の乱れた白のシャツと黒のズボンを着込んでおり、首元から覗いている白い肌は美少女のソレの肌より健康的に見えるが、儚い脆さを感じさせる。

 二体の瞳は透明な鏡のように、私の姿を映していた。二体の瞳に、私の瞳の翡翠の燐光が浮かんでいた。

 二体の口が少しずつ開いていく。

 心臓の鼓動が、全身に激痛のように響き渡る。脳が見るない縄にきつく締め上げられているような圧迫感が強まっていくのを感じる。

 絵に描いたような綺麗な歯が見える。そのうちの犬歯にあたる歯が、鋭く尖っていた。

 吸血鬼の歯。獲物の首元に噛みつき、新鮮な生き血を吸うために鋭く尖り伸びた歯。時には仲間を増やすためにも用いられると言われてもいるが、実際に目の前に本物がいる場合は関係ない怖さを宿している。

 それが私の目の前で、ギラギラと輝いている。徐々に視界が狭まってくる。

 私は、もう一息もできていなかった。口はパクパクと開閉を繰り返しているだけで、一向に呼吸を行う様子はない。

 目の前の世界で光っている光が、ゆっくりと軌道を描き始めている。手は空を切り、片足は浮き上がり地を滑る。

(あ、倒れていってる)

 直感で自身の状況を認識する。

「吸、血……鬼」

 締め付けられる感覚が残ったままの喉で、絞り尽くされた掠れている声で呟き、沙莉は床に気を失って倒れた。

 床には赤のカーペットが敷き詰められていて、沙莉が苦しんで倒れたのが影響しているのか、その光景はまるで血溜まりに倒れた死体のように見えた。

 沙莉はこの時、生まれて初めての気絶を経験した。それは一度起きてしまえば、あっさりと彼女を底知れぬ暗闇に誘った。

 霧雨は窓の外の世界で、百合の花を濡らす。

 ──パキキ。

 その百合のうちの一本が、一瞬で薄氷に変容する。

 薄氷の百合は霧雨に濡れて、宝石のように輝きを放っていた。

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