#52 第五十噺
「雑木林にパトロールに行きませんか?」
と、慈光亘アルバイト(32)は、小学校教諭、齋籐音奈(25)に声をかけた。
亘は、束になった塾のチラシを腕に抱えていて、それを受け取った女子児童にぷっくりシールを配布していたが、
…それも底を尽き、後は音奈が出てくるのを待っていたのだった。
「え……」と音奈は目をあちこちに泳がせてから「い、今からですか??!」と声を裏返らせた。
「ご都合が悪いですか?」「あ、いえ!行きます!行きます!」彼女は一度丸い眼鏡をはずし、手探りで取り出したウェスを使って汚れたグラス部分を拭き取り始めた。
「や、やだ!これ違う!」と言って眼鏡をかけ直した音奈が、真っ赤な顔をしてコットンシートをしまう。
すぐに、彼女は慈光亘の顔をチラッと見たが、彼は何も気付いていないようだった。
……そうか。慈光さんは女のこういう汚ない部分を見たことがないんだ。だからこのコットンシートを見ても、これが何か分からないんだ………。
亘は、無表情で教師を観察し、腰にかけて曲線を描く女性らしい体型を見て「フン…」とどこか自嘲気味に笑い、「では暗くなる前に行きましょう。」と言った。
急なお誘いに戸惑った様子の音奈は、それを越えた嬉しさを表情に滲み出させながら、自分よりも拳一つ分背が高いだけの慈光亘の背中についていくことにした。
「犯人は現場に戻ると言いますからね。」と彼が言うのを聞きながら、音奈は……昨日、焼却炉に入れる前にもう一度、どうにか判別出来るページを探して、あの気持ちの悪い本を見返したことを思い出していた。
……あんな気持ち悪いものを見たら、……きっと慈光さんはショックを受けてしまう。その時は、私が守らないと。
「齋籐先生。」「は、はい!」
「万が一変質者があそこに現れたら、ボクの後ろに隠れてください。危険だと思うので。」
「あ、ありがとうございます…」と音奈は答えた。「……で、でもああいったものを好むオタク?とかいうモノは、まともに女性の目を見れないと聞いたことがあります。逆に私が前に出た方が逃げ出すのではないでしょうか?悲鳴を上げたりすると喜ぶらしいですから、逆に冷静でいようと思います。」
「また、何かの受け売りですか?自分の体験から得ていない知識は、本当の知識ではないですよ?」
「実存主義の一種ですか…?」と音奈が言う。
「……それに齋籐先生?相手は□リコンなんですよね?貴女には興味がないと思いますよ。」
「え……あ、そ、そうですよね。小さい子にしか興味がないんでしたよね……と言うか、そもそも漫画の女の子にしか興味がない可能性がありますよね?多分、自分に自信もないし、女の子にモテたこともないし、気持ち悪い顔をしていて……、ちっちゃいんじゃないですか?(背も。)あと多分一般社会に潜伏する為に常識人の皮を被ってるんだと思います。アハハ…笑っちゃいますよね。キモ。」
慈光さんの背中が、心なしかしぼんで見えた。
「み、見てきたようなことを言うんだな……」と立ち止まった亘が独り言のように小さな声で言う。
………お前のようなババアに何が分かる……。お前にはもう女としての価値がない。お前のピークは…そう。小6くらいだった。今は……スーツのパンツがはち切れそうになった無知無知の太もも……そして知性の欠片もない牛のような上半身…上カルビ、上ロース……。ペラペラと喋るタン塩にはレモン水をぶっかけて黙らせてやろうか……?
そこまで亘が考えたところで、困った顔をした音奈が視線をさ迷わせ、
「あ!見てください!もう朝顔が花をつけてますよ!今年は雨はないけど、熱帯みたいに蒸れて、草いきれがムンムンしますよね!朝顔のお花、萎れちゃって……かわいそう。」と言って、皺になった花びらの先端が捩れ、項垂れている部分を指でツンツン…と押した。
「朝はちゃんと起き上がって開くんですかね?」と、丁度亘の腰辺りにしぼんだ蕾を見ながら質問する。
彼は黙ってその質問をやり過ごし、
「さ、貴女の言っていた雑木林に着きましたよ。ここのことですよね?」と言った。
***************
緊張した様子の音奈を先に歩かせて、亘はこの若い女教師に、クヌギの木の下にある背の高い叢を、わざと案内させていた。
彼自身…、自分が何をしたいのか分かっていなかった。
だが、これだけは確かだった。この女から自分が受けた辱しめと、同じだけの屈辱を味合わせてやる……。同じことを子供達に言われるのとはワケが違う。子供達に言われるのは……そう……うん。アリだよね……。
亘が、「齋籐先生~何かありましたかー?」と、とぼけて声をかける。
「こ、こっちに来ないでください!!」と必死な叫びが叢から聞こえてきた。
ニヤニヤとしてしまう顔を懸命に抑え、「どうかしましたか?」と近寄っていく。
密集した細く長い草を掻き分けて亘が、人1人分の小さな空き地に入り込むと、
しゃがんだスーツ姿の女教師が手をバタバタさせながら「慈光さん!み、見ちゃダメ!」と叫んだ。
亘が無言で覗き込むと、
知ってはいたが、そこには『縮毛矯正!!生意気委員長!』のポロリ生出しページが、その他もろもろをもろ出しにしたまま開いて落ちていた。
「こ、こ、これ!お、おかしいですよね?!そしてなんでまた私にそっくりなのですか??!」
「似てる?……どこがですか?」
亘の言葉を聞いて、「へ?」と音奈が頭を上げた。
「だ、だってほら!この髪型と眼鏡!顔!あ、ダメ、ダメ!こっち見ちゃダメ!!なによこれ!なんでこの子、全校集会なのにこんなシチュエーションになるのよ?!キモい!キモい!こんなことは許されない!□リコンはみんな死ね!死ね!死ね!」
「……どこがキミに似ているって?(今のお前は豚のように脂肪の塊がついているだろ)」
「え」と音奈が再び固まる。
「齋籐先生?よく見てください。それはただの絵ですよ。誰にも似ていないし、誰も傷付けていない。」
音奈は慈光亘の顔を見て、………ま、まさか……と考えていた。
……まさか、慈光さんは……心が綺麗過ぎて……これが変態的な少女の姿に見えていない……とか?
慈光さんは、これはただの絵だと言っている。
そう。これはただの線と塗り潰したインクなんだ………。
慈光さんはこの絵は私に似ていないと言った……。そうだ。よく見ればこれは記号でしかない…。目だって大き過ぎるし、鼻や口は小さ過ぎる。
どうしてこれが人間に見えるの?どうしてこれが女の子に見えるの?眼鏡をかけただけのキャラクターが…どうして私に見えるの……?
………恥ずかしい。私の心はなんて汚れているんだろう……。
「どうかしましたか?」と問いかけてくる亘に、音奈は、「そ、そうですよね!」と叫んだ。
「これはただの絵……というよりただの線。こ、こんなの、ちっともいやらしくないですよね?」
亘は一瞬驚いたような顔をしたが、「……そうですよ」と努めて穏やかな風を装って女性教師の傍らに寄り添った。
亘が彼女から本を受け取り、白いページを捲り出す。一部がカピカピに固まって開かない場所もあったが、
彼はわざと音奈に見えるように「こんなもの、全く気にしなくていいですよ。害はない。ただの絵です。無視して構わない。」と指でページを操り、徐々に呼吸を荒くなるのを隠しながら、
この漫画のクライマックスシーン、丸眼鏡の委員長が、身体にタスキだけを巻いた姿で、お腹の下に途切れ途切れに色付きの墨汁を噴射しながら跳び回り、大きな紙にダイナミック書道パフォーマンスをする場面を開いてみせた。
「う………」と音奈が頬をヒクヒクとさせ、亘は、バクバクと動く自分の心臓を悟られないように、女性教師から僅かに距離を取った。
「いやいやいやいや、無理でしょ??!」と音奈はついに叫び、「慈光さんの純真さは度を越してます!」と勢いよく立ち上がって、
その拍子に、頭上に突き出していたクヌギの枝に顔がぶつかりそうになり、
「うひゃ??!」と声を上げた音奈の鼻の上から銀色の丸眼鏡が弾け飛ぶと、彼女は尻餅をついた。
「めがね!!みぇがね!?みぇがね!?」と彼女はブンブンと腕を振り回す。
すかさず亘は、落ちた眼鏡を遠くへ蹴り飛ばすと、
ズボンのベルトに手を当てて、ガチャリ!!と1回転させた。
ウィィィィィィィィン!ガチャガチャガチャン……!とバックルがパネル状に裏返りながら左右にホックが外れ、キュゥィィィィィン…ガチャガチャガチャン!という金属音を響かせて彼の身体はトランスフォームを開始していた。歯車のように腹部のファスナーを展開させながら、グィィィィィィィン!ガチャン!ウィィィィィィィィン!と今度は肩近くまでシャツを捲り上げる。
彼は、所々毛の生えた腹筋のない腹を不自然に前へ突き出すと、最終トランスフォームを完了させる為に、突起部先端にある開口部の狭いカバーを、呻きながら後ろ側へ強くスライドさせた。
「めぇがねはどこぉ!?……慈光さん??私、眼鏡がないと……何も!見えないんです!!一緒に探してくれませんか!?」
突如正体を現した変質者が、草の上を這う女性教師の進行方向に立ち、彼女が顔を上げたのを見計らってビーストモードを解放する。が、その矢先、瞬時に手に持った本の上に、……白いスパークを撒き散らしていた。
そのまま彼は、四つん這いでこちらに近寄ってくる音奈の方に身体を向け、いまだ多幸感に溢れた気だるい余韻に浸りつつも、だめ押しで力の抜けた器官から、放物線を描く物を彼女に向かって解き放った。
………ボチボチボチボチ……と重い音が草に落ちていく。
「何ですか??この音は。慈光さん?どこにいるんですか??」と音奈は叫んで、手のひらが水溜まりに触わったところで動きを止めた。
再びトランスフォームを開始した慈光亘は、元の姿に戻り満足げに女教師を見下ろすと、
「齋籐先生?ありましたよ!ありました!眼鏡を見つけましたよ。」と言って、先ほど踏み割ったグラスを差し出した。
「……割れてしまったようですね……」「そんな……」「おい、二度とコケにするなよ?」
「え?」
「二度とコケるなよ、って言ったんです。ほんとドジですね?…て、言ったんです。て、言うか歳ですね?」
「も~う!歳じゃないです~!………」
亘は暴れる音奈に手を貸してやり、慎重に頭をぶつけないように彼女を雑木林の外へ導いてやった。
フッ……。どうだ?…散々オレのことをバカにしやがって…。だが、とうとうオレのトランスフォーム後の姿を見せつけてやったぞ………。は、は、は、無様だな……。
齋籐音奈は手を引かれながら……ブルブルと震える身体を必死に悟られないように手を引かれ続けていた。
………まさか………まさか……慈光さんが変質者だったなんて…………。あんなに優しい人が………。
……………。
実は音奈は、
眼鏡無しで完全に見えなくなるほど視力は悪くなかったのだ。なので彼女は一部始終を詳細に観察していた。
……恐ろしかった………。そして……あり得ないくらい小さかった………。しかも早かった………。平常時も非常時も、カワらぬところがまた何とも………。
どうしよう………。
…………。
こうなってしまったからには……。
「慈光さん………」
「ん?」と機嫌が良さそうな亘が答える。
「……演技はもう必要ないですね。」と音奈が言う。
「はあ?ナニを言って……」
「良かったです。本当のあなたがそういう方で……」
音奈はスッ………と彼の手を振りほどくと、
ジャケットの下で、腰のベルトについた金色のバックルを触り、ウィィィィィィィン!ガチャンガチャンガチャン!!と白いスーツの上下を解除していった。「トランス…フォーム。」ギュゥィィィィィィィィィン!ガチッ!キュウィン!ガチャガチャガチャ、ガチャン…!
「さ、齋籐先生??」
「音奈ちゃんて呼んでくれてもいいんですよ?」
ガチョンガチョングィィィィィィィン!!
齋籐音奈は、慈光亘の目の前でトランスフォームを完全終了し、
熟れた身体中に貼り付けられた、ウンチクと、言論の自由と、弁証法を書きなぐった漫画本のページを露出していた。
「????」亘が唖然として、後ろへ下がる。
綺麗に脱毛された白い肌には、無造作にテープでベタベタに固定した紙が揺れていて、同じやり方で身体のあちこちに、汚れた□リコン少女の姿がコラージュされていた。音奈ははあはあと興奮したように激しくお腹を伸縮させて、
「慈光さん……私ね?女の子に…戻りたいの……」と言った。
「ねえ?私、かわいい?」…ビュル?ピュッ………ボチョボチョボチョボチョ………
亘の目線は、痙攣する音奈の足元に溜まる不潔な池に注がれていた。きょとん。とした表情でこちらに全身を見せつける齋籐音奈は、
「このことは内緒だよ?もし喋ったら……、貴方の情けない秘密も…塾の子供達にバラしちゃうからね?」と言った。
「「「「滅!!」」」」
と、鋭い声が空気を切り裂き、旋回しながら青い光の残像が曲線を描くと、
音奈の身体が無言でビチャッ!と濡れた地面に倒れた。
逃げようとした亘の背中を白い影が追いかけ、ぶわん!!と風が舞うと、
そのまま身体がズザァァァと横倒しになる。
ザ………。と砂利道をえぐりながら白い着物の女性が砂ぼこりを上げて静止すると、
荒削りの狐の面の下で、赤く隈取りした目を光らせた。
そして、スタスタと淀みなく歩いてくると、倒れた男のズボンを引っ張って中を確認する。
彼女は「……ひこばえ神か……。」と呟いた。
「で、こっちの子は百蟻の女王か?………ったく。蛍は何をやってるんだ。退治する時はきちんと息の根を止めないと。やれやれ……この人達、すぐに除霊してあげないとこのまま神化してしまうぞ」と言って首を振る。
そして彼女はキュルキュルキュル……スパン☆と椿模様の山刀を腰に差し直すと、
「思ってたよりも三々賀村、ヤバいんじゃないの?」と呟いて、周囲の神々の気配を嗅いだ。
これにて連休スペシャルを終了致します。面白かったら評価をお願い致します。




