秘めた想い
人通りのない、学校の帰り道。
同級生の友瀬と同じ高校の女子を見かける。
近づいてはいけない雰囲気を感じた。
立ち去ることもできたのに、足が動かない。
物陰に隠れて、向き合う二人を見つめる。
女子は頬を赤くして話す。
友瀬は口角を上げて頷く。
嬉しそうに女子が笑う。
話し声は聞こえないけれど、内容はわかった。
二人は手を繋いで歩き出す。
胸が痛むのを無視して、俺は家に帰った。
教室の窓際の席から、登下校の様子を見下ろせる。
友瀬が女子と並んで歩いていた。
二人は手を繋いでいる。
胸を鋭利な刃物で抉られるような痛みが走った。
一週間前に失恋したばかりだ。
社会は多様化しているとはいえ、同性に恋をする人間はまだ少数だろう。
友瀬と会ったのは、中学校に上がってからだ。
恋をしたと自覚したのは、いつだったのか覚えていない。
なにがきっかけで好きになったのかも。
気づいたら、いつも思い浮かぶのは、考えるのは、会いたくなるのは。
友瀬だった。
告白しようとは思わなかった。
想いを口にして友人を失いたくないし、自分自身も傷つきたくないから。
友瀬にとって、一人の友人でいる方を俺は選んだ。
なのに。
友瀬といる彼女を見て、薄暗い感情を抱く。
隣にいられるのが羨ましい、妬ましい。
もし、あそこにいるのが自分だったら。
頭を振り、湧き上がった考えを追い払う。
こんなことを思う自分が嫌になる。
失恋する日が来ると覚悟していたが、想像するよりもしんどい。
不謹慎にも、友瀬と違うクラスで安心している。
同じクラスだったら、不登校になっていたかもしれない。
思わず溜め息が出た。
「また溜め息ついてんのか、浜岡」
頭上から名前を呼ばれた。
俺は、声をかけてきた男子の方を振り返る。
「黒桐帰ってなかったのか?」
「今日は日直だったからな」
「お疲れさん」
「帰らないのか?」
鞄を片手に持ったまま、黒桐が聞いてきた。
「もう少ししてから帰るよ」
今帰れば、友瀬と彼女に会う。
二人を目の前にして、平常でいられる自信がない。
黒桐は鞄を机の上に置いて、自分の席に座った。
「……やっぱり、俺もまだいる」
「帰るんじゃなかったのか?」
「気が変わった」
「そっか」
黒桐は口を開いて閉じてを三度繰り返した後、俺の名前を呼んだ。
「……浜岡。来週の日曜日、空いているか?」
「空いているよ」
「ショッピングモールに、行かないか?」
黒桐から誘われるとは珍しい。
俺か友瀬が、遊びに誘うことが多かった。
たまには、気晴らしもいいだろう。
「いいよ。待ち合わせ場所は時計台で、時間は十一時でどうだ?」
時計台は、ショッピングモールから歩いて十分のところにある。
待ち合わせ場所に指定する人が多い。
「大丈夫だ」
黒桐は頷いた。
表情がいつもより柔らかく見えた気がする。
翌日、体育の授業はバスケだ。
球技が苦手な俺は、ボールを追いかけるので精一杯。
一回もボールを取れやしない。
黒桐は相手チームからボールを奪い、点数を稼いでいる。
観戦している女子たちが黄色い声を上げていた。
注目の的である本人は耳に入っていない様子である。
バスケは黒桐がいるチームが勝った。
授業が終わり、体育着から制服に着替える時、ふと気づいた。
「黒桐、体格いいんだな。なにかしてんの?」
「半年前から筋トレしてる」
「えっ、気づかなかった」
「筋トレって、すぐには効果が出ないからな」
俺は、自分の腕と黒桐の腕を見比べる。
やっぱり、筋肉のつき方が違う。
「お腹、触ってみていいか?」
「あ、ああ」
戸惑いながらも、黒桐は承諾してくれた。
服の上からお腹を触ってみる。
「俺も筋トレしようかな」
「ちょっと失礼するぞ」
黒桐が、服の上から俺のお腹を触ってくる。
なんか、くすぐったい。
「筋肉ないの、コンプレックスなんだけど」
「浜岡も俺のお腹触っただろ? おあいこだ」
「違うぞ、黒桐。別物だった」
黒桐のお腹を触った手には、筋肉の感触が残っている。
勝負なんてしていないのに、俺は負けたように感じた。
黒桐は、俺のお腹を触った手を見つめる。
「確かに違うな」
三日後の昼休み。
購買部で買ったサンドイッチとあんぱんを手に歩いていると、校舎裏から話し声がした。
「先輩、私と付き合ってください!」
女子の緊張して上擦った大きい声に驚く。
言った本人は、恥ずかしいだろうなと想像する。
告白するのは勇気が必要だ。
俺は、できなかった。
告白ができた人たちを凄いと思う。
嫌な記憶を思い出し、立ち去ろうとした。
「ごめんな。俺、好きな奴がいるから」
聞き覚えのある声を耳にして足が止まる。
相手の男子は、黒桐だった。
恋愛に興味がなさそうに見えるけれど、誰かに想いを寄せていたのか。
顔立ちは整っている方だし、ミステリアスな雰囲気も漂う。
女子が放っておく訳がない。
「聞いてくれてありがとうございます。失礼しました」
黒桐に告白した女子の声がして、足音が遠ざかる。
なんだろう。
俺も振られたような気持ちになった。
肺の中の空気を吐き出す。
手に持っている昼食を食べれそうにない。
「浜岡?」
黒桐から話しかけられて、目を逸らしてしまう。
「え、っと……」
「もしかして、さっきの聞いていたのか」
「ごめん。聞いたこと忘れるし、誰にも言わないよ」
「別に怒ってない」
「……そっか」
気まずい沈黙が流れる。
なにか言わなければと考えていたら、黒桐が俺の昼食を指差す。
「昼メシ食べないのか?」
「俺は食欲ないから、黒桐食べていいよ」
「それじゃあ体もたないだろ」
「けど……」
俺は視線を下げる。
「じゃあ、ひとつ貰う。もうひとつの方は食べろよ?」
黒桐は俺の手からあんぱんを取っていく。
「わかった」
校舎裏で、俺と黒桐は並んでパンを食べる。
黒桐はあんぱんを平らげ、俺がサンドイッチを食べ終えるまで待っていてくれた。
最後の一口を呑み込む。
直後、午後の予鈴が鳴る。
黒桐と約束した日曜日。
時計台のところで待っていると、スーツを着た四十代の男性が歩いていた。
きちんとした身なりで隙がない。
思わず目で追ってしまう。
洋菓子店の箱を手にしている。
意外な組み合わせだ。
甘党なのだろうか。
いや、頼まれて買った可能性もある。
突然、誰かの手で視界が遮られた。
「どこ見てんだ?」
拗ねたような声音がして、振り返る。
「黒桐か。誰かと思った」
「待たせたか?」
黒桐の口調が柔らかくなった。
「俺が早く来ただけだよ」
その時、懐かしい声が聞こえた。
「あれ? 浜岡と黒桐じゃん。久しぶり」
俺の想い人である友瀬が近づいてくる。
そういえば、偶然会うことは想定していなかった。
「久しぶりだな。一人なのか?」
黒桐が友瀬に聞く。
「俺は彼女と待ち合わせ中。喫茶店のパンケーキを食べたいって言われて来たんだ」
友瀬から彼女という単語を耳にした途端、俺は胸に痛みを感じた。
平常を装って、顔に笑みを貼りつける。
「そっか。デート、楽しめよ」
嬉しそうに友瀬は笑った。
「ああ。二人とも、またな」
友瀬は去って行った。
数分のことなのに、時間が長く感じた。
「浜岡、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
黒桐が心配そうに俺の顔を覗いてくる。
「大丈夫、だよ」
「本当か?」
言われて、喉の辺りが詰まるような感覚がする。
誰かに話せたら気持ちは軽くなるだろうが、まだ心の折り合いをつけられていない。
上手く話せる自信もなかった。
失恋って、こんなに引きずるものなのか。
すぐに傷が癒えるだろうって、どこかで甘く考えていた。
黒桐に心配をかけたくなくて、俺は無理にでも口角を上げる。
「本当に、平気だよ」
「俺の前では、無理するな」
そっけない口調だが、黒桐なりの優しさを感じる。
「ありがとう」
弱い俺は、黒桐にそれしか言えなかった。
「昼メシは、軽く食べれるものでも買うか。でも、どこで食べるかだな」
黒桐は、俺を無理させないよう考えてくれている。
失恋したせいだとは、言い出せない。
「俺の家で、お昼食べるのは、どう?」
「平気か?」
俺は頷いた。
お弁当を買って、俺の家で食べる。
父さんも母さんも出かけていて、誰もいなかった。
空になった弁当の容器を片付ける。
「ごめん、黒桐。せっかく遊びに誘ってくれたのに」
「こっちも悪かった。浜岡、最近元気なかったからな」
「心配させちゃったか」
「昔から浜岡は無理をするからな。そのおかげで俺は助かったけど」
「そんなことあったか?」
黒桐は頷いた。
「小学生の時、俺が転校して最初に仲良くなったのは、浜岡だったな」
当時の記憶を手繰り寄せる。
俺がいたクラスに、黒桐が転校して来た。
黒髪で顔立ちが整っていたから、女子がかっこいいと騒いでいた。
一方、男子は気に食わなそうにしているのが数人いた。
黒桐は勉強もできて、運動もできる。
それが気に障ったのか、黒桐をいじめる男子が三人いた。
俺は、黒桐がいじめられているとは知らなかった。
ある日、体育館の裏で黒桐がうずくまっていた。
「どうしたんだよ。なにかあったのか?」
俺が近づこうとすると、黒桐は後ずさった。
「こっち来んな!」
「なんだよ。心配しているのに」
黒桐の袖口から痣が見えた。
「その腕……」
誰にやられたんだと、口にできなかった。
痣を隠すと、目尻を上げて黒桐が睨んでくる。
「なんだよ。お前には関係ないだろ!」
涙を流すことなく、懸命に耐えている黒桐を見て、俺は目頭が熱くなった。
「ご、ごめん。お、同じクラスなのに、いやな思い、しているの、気づかなくて……」
突然泣き出した俺に、黒桐は目を丸くする。
「なんでお前が泣いているんだよ?」
「だって、黒桐が、泣かないから」
「変な奴だなぁ」
そう言いながら、黒桐は俺の背中を優しくさすってくれた。
俺も泣きながら黒桐の背中をさする。
先生が探してくれるまで、俺たちは慰め合っていた。
その日から俺と黒桐は一緒に行動をするようになった。
当然、いじめっ子たちの矛先は俺にも向かう。
俺は力が強い方ではないが、殴られても、蹴られてもめげずに立ち向かった。
いじめっ子たちは面白くないのか、次第に俺と黒桐に近づかなくなる。
中学校は、いじめっ子たちと違った。
「浜岡が俺のために泣いてくれた時から、ずっと見ていたんだ」
なんか、黒桐の雰囲気がいつもと違う。
「えっと……」
俺はなんて言えばいいのかわからなくて、飲みものを口に含んだ。
「友瀬が好きなのも、わかった」
危うく口の中のものを吹くところだった。
「あ、悪い。タイミングが悪かったな」
黒桐に謝まれる。
呼吸を整えて、飲み込む。
胸にしまっておいた恋心を、気づかれてしまった。
顔が熱くなっていくのを感じる。
「……それは、友瀬も、気づいてんのかな?」
「あいつは、他のことで気づいていないだろ」
黒桐の言う通り、それもそうだった。
「失恋してんのも知られてて、恥ずかしいんだけど」
穴があったら、すぐに入りたい。
いや、いっそ誰か穴に埋めてくれ。
黒桐が呟いた。
「俺しか知らないから、平気だ」
誰にも言わないでいてくれたのか。
気づいたのが黒桐でよかった。
「迷惑かけてごめん。時間かかるだろうけど、立ち直るよ」
「それは、いつになるんだ? 俺は、いつまで待てばいい?」
「これ以上、迷惑かけないようにするよ」
いくら友人でも申し訳ない。
黒桐は首を横に振る。
「違う。浜岡が失恋しているから、元気になるまで待とうと思っていた。弱っているところにつけ込むのは、いやだったから。でも、もう限界だ」
「黒桐……?」
「ごめんな、浜岡。嫌なら、拒んでくれていいから。話もしなくていい。だけど、俺を受け入れてくれたら、嬉しい」
黒桐の手が、俺の頬に触れた。
緊張しているのか、不安なのか、手は震えている。
嫌だとは、思わない。
黒桐に触れられているところから、体中に熱が巡る。
心臓が速く脈を打つ。
俺は、まぶたを閉じる。
息を呑む音を耳が拾う。
数秒後、唇に柔らかい感触がした。




