表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人形の傷跡  作者: Child-Dream
32/33

12月24日(31)ゆめ―研究室のみんな

 ――ゆめ、なのだろうか。


 私は帝都工大の一室にいた。見慣れた机、積み上がった論文、ぎっしりと詰まった試薬棚。

 いつか、心の底から「ここにいたかった」と願った、その場所。


「一ノ瀬さん、実験の結果が出ました。」


 私はプリントアウトしたばかりの紙束を胸に抱え、一ノ瀬さんの席へ駆け寄った。


「ご苦労さん……どれどれ、ちょっと見せてごらん。」


「どうですか?」


「うーん、ちょっと、データにノイズが乗ってしまっているなぁ。」


「だめ……ですか?」


「そうだね……もう一度、実験をやり直した方がいいね。」


「はい、分かりました。」


 一度でうまくいかなかった悔しさが、胸の奥でちくりとする。

 それでも、一ノ瀬さんは柔らかな声で続けた。


「あ、でも、一応、そのデータも全部記録しておいて。使える結果が出てくるかもしれないし。」


「そうですね!! そうしておきます。」


 失敗ですら、誰かの役に立つかもしれない。

 そう言ってくれる大人が、ここにはいる。


 ふっと視界が白くフラッシュして、場面が切り替わる。


「だいぶ、慣れてきたみたいね。」


 振り向くと、佳織さんがそこにいた。腕を組みながら、少しだけ口元を緩めている。


「佳織さん……。ありがとう、お蔭様で。

 何度もやり直しばっかなんですけど……。」


「ふふふ……一回でうまくいくなんてこと、私も滅多に無いわよ。」


 冗談めかして言われて、思わず笑ってしまう。


「私……お姉ちゃんの話を聞いていたから、ずっと、憧れていたんです。

 私も、いつか、大学の研究室に入って、研究していたいなあって……。」


 その「いつか」が、今ここにある――そう思える瞬間だった。


 再び、世界が光に包まれる。


「椎名さん、私、もう一度、実験をすることにしたので、データの解析をお願いできますか?」


「ああ、いいよ。」


 椎名さんは、手元のモニタから視線を外さずに短く答える。


「でも、そろそろ、君も自分で解析プログラムを組めるようになった方がいいな。

 この実験が終わったら、教えるよ。」


「本当ですか?! ありがとうございます!!」


 胸が躍る。

 その横で、柿崎さんが腕を組んでこちらを眺めていた。


「………。

 フフフ……楽しそうだね、明日美さん。なんだか、研究者の顔になってきたよ。」


「ええ、楽しいですよ。」


 私は、少し照れながらも素直にそう答えた。


 また視界が揺らぎ、時間が飛ぶ。


「でも、思っていたより、全然大変だったです。」


 私は笑いながら、手のひらについた小さな傷を眺める。


「なんだか、力仕事をしているみたいな感じです。」


「こうやって、明日美さんが研究した成果も、近い将来に人々のために生かされていくわ。」


 佳織さんが、穏やかな目で言った。


「………。

 はい。」


「世界中の研究者たちが、ずっと昔から同じようにして、一生懸命、研究してきて、

 そして、人々の暮らしは豊かになったし、病気で亡くなる人もずっと減っていったの。」


「頑張ります。」


 本当に、そう思った。


 この場所で肩を並べて働けるなら――。

 そう思った瞬間、世界が音もなく崩れていく。


     ◇


 12月24日。


 誰かが、私の名前を呼んでいる。


「……明日美さん?」


 まぶたの裏の暗闇が、少しずつ明るくなっていく。

 目を開けると、白い天井と、見慣れない蛍光灯。消毒液の匂い。

 枕元には、心配そうにこちらを覗き込む真一さんの顔。


「明日美さん……目が覚めたんだね?」


「あ……あれ……? ここは?」


「もう、大丈夫だ。」


 安心させるように、ゆっくりと言葉を選んでくれる。


「僕は神子塚先生に言われて、一足先に建物を出ていたんだ。

 そして、明日美さんを見つけて、爆発の混乱の中を、抜け出してきたってわけさ。」


 ――あの爆破の中から、ここまで。

 その言葉の意味を咀嚼するだけで、胸の奥がじんわりと熱くなる。


「神子塚先生の書類と 5th Report は、学会筋から警察の方へと提出された。

 ほら、見てごらんよ。」


 真一さんが指差した先、病室のテレビでは報道特集が流れていた。


『神子塚教授が全ての事実を公表――』

 教授自身は研究室の爆発で行方不明のままだが、その直前に残された膨大な資料と証言が――


 一部では内容の信憑性を疑問視する声があるものの、証拠として極めて客観性が高いこと。

 教授が学会の重鎮であることから、検察や科技庁を含めた調査チームが発足すること。

 スポンサーであった前文部相・阿久田氏が長年資金提供していたこと。

 そして――その長男が証言を行っていること。


『阿久田氏に対する実刑判決は、ほぼ必至であるとの見方が大勢を占めている――』


 ナレーションが淡々と伝えるその一文に、私は小さく息を呑んだ。


「勝ったんだ……。」


 ぽつりと、真一さんが呟く。


「明日美さんの力が……いや、二人の明日美さんの勇気と努力が、阿久田に勝ったんだ。」


「弓野くん……?」


 胸の奥から、抑えきれない名前がこぼれた。


「彼も……助かったの? 今、どこにいるの!?

 弓野くんは最後、私をかばってくれた。私が無事だったのは、彼が……」


「彼のことは大丈夫。

 確かに瓦礫が当たって大怪我をしたけど、命には別状はない。」


 その一言で、全身から力が抜けそうになる。


「今はここじゃなくて警察病院にいるよ。重要参考人ではあるし、彼自身が証言を望んだからね。」


「弓野くん、無事だったのね。

 良かった……」


 涙があふれそうになるのを、枕に顔をうずめてごまかした。


「あと、船橋と麻衣子……。

 いや、船橋達と麻衣子達は……。」


 「達」という言葉に、思わず顔を上げる。


「彼らも怪我をしているけど、助かったらしい。

 阿久田がいなくなった今、もう、彼らをコントロールしようとする人間はいない。

 これから、普通に暮らせるさ。」


「………。」


「なんか……顔色がすごく悪いよ。

 ……もう少し休みなよ。無理もないよ。疲れているんだ。」


「………。」


 安堵と虚脱と、言葉にできない想いが渦を巻いて、私は再び、静かな闇の中へ沈んでいった。


     ◇


 また、「ゆめ」を見ている。――これは、きっと四年前の…。


 薄暗い研究室の一角。

 椎名さんが、いつものように無愛想に立っている。


「思いとどまることはできないのか?」


 ――椎名さん……やっぱり、あなた、知っていたのね……。


『ええ……できないわ。

 私がやらないと、誰がやるというの?


 これらの事実を闇に葬り去ることはできないわ。


 あなた方は、今まで通り、研究を続けるべきだわ。

 あなた方を必要とする人々は、世界中に無数にいるわ。あなた方は科学の担い手になるべきよ。


 私に関わっていると、後で困るわよ。

 全然、無関心でいてほしいの。』


「明日美さん……。あ、あの……」


『心配してくれて、ありがとう、椎名さん。

 とても、うれしかったわ。』


 静かな沈黙のあと、椎名さんが、ぽつりと呟く。


「明日美……

 俺は……君を救えなかった。


 臆病者の俺を……君は許してはくれないだろう……。」


 場面が滲むように切り替わり、柿崎さんの顔が現れる。


「明日美さん……ごめんよ。」


『私は、あなたを責めたりしない……』


 そう言いたいのに、声は届かない。


「僕は知っていたのに……何も手助けできなかった……。

 いや……僕は、研究室を敵に回すのが怖くて、君を見殺しにしてしまったんだ……。


 ああ……さぞかし、僕を恨んでいるだろうな……。」


 ――恨んでなんか、いない。

 あなたたちは、最後まで、ここに残った人たちだから。


 胸の奥で、言葉にならない想いが、ゆっくりと溶けていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ