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人形の傷跡  作者: Child-Dream
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12月23日(30)神子塚教授の述懐


 ――ここを開ければ、きっとすべての決着がつく。


 そう思ってノブに手を掛けた瞬間。


「!!? 開かない……!?」


 固く閉ざされた扉が、びくともしない。焦りが喉の奥をじわりと焼いたその時、中から落ち着いた老人の声が響いた。


「誰だ……!?

 阿久田の手の者か? 弓野からレポートを奪ったようだな。あるいは彼が裏切ったか。

 いずれにせよ、私の負けのようだ。このまま建物だけを壊したとしても、研究室は再生するだろう。」


 ――爆破。

 やはり、この研究室ごと吹き飛ばす気なんだ。


「……待ってください……!

 弓野くんは裏切っていません。」


 声が震えないよう、精一杯に言葉を押し出す。


「彼が持ってくるはずだった 5th Report は私が持っています。」


「その声は……!?」


 金属の重い音とともに、ロックが外れる感触が伝わってきた。


 扉が開く。

 中には、痩せた老人がひとり、薄暗い部屋の奥に座っていた。

 写真でしか知らなかった顔――しかし、一目で分かった。


 神子塚教授。


「まさか……明日美、明日美なのか!?」


「神子塚教授ですね?」


「幻でも見ているのか…? 本当に明日美なのか、いや……明日美は四年前に間違いなく……」


「私は明日美として育てられた者です。神子塚研の研究によって生み出されて、灰原助教授によって引き取られた。」


「何ということだ!? まさか……生きていたのか。」


 絶句する教授に、私は胸に抱えたディスクを差し出す。


「弓野くんから、レポートを渡すように言われました。」


「この 5th Report とともに私が告発すれば、研究室で行われてきたすべてを白日の下に晒すことができる。」


「研究室はどうなるのですか?

 なぜ、研究室の長であるあなたが、自分の研究室を閉じようとするのですか?」


 問いかけると、教授はしばし目を閉じ、重い息を吐いた。


「……

 私はこの『人間総合構築学』の行く末に、人間の真に豊かな未来が待っていると信じていた。

 だが、やがてスポンサーでもある阿久田という一人の権力者に専横され、研究を倫理に反する形で私物化されてしまった。」


 教授の視線は、遠い過去を見つめているようだった。


「四年前、明日美が告発しようとしたとき、私は自分の研究者としての人生を否定することができず、

 私は娘を捨てて、研究室を選んだ。阿久田に逆らうことができなかったのだ。

 皮肉なものだ。娘を失い、初めて私は、生命の尊さを学んだ。


 総合人間構築学。私が一生を捧げたそれは、何一つ価値の無いものに変わってしまった。

 最後に私は自分の罪を清算しなければならない。」


 その目は、諦めと、それでも揺らがない決意をたたえていた。


「5th Report の転送は完了した。今から、この研究室を爆破する。

 私と研究室のすべてを白日の下に晒し、この忌まわしい研究室を解体することで、せめてもの償いとしたい。」


 ここまで来て、やっと理解する。

 ――神子塚教授は、自分ごとすべてを終わらせようとしているのだ。


「さあ、もう時間がない、行きなさい。

 すまない……何かしてやれることがあれば良かったのだが。」


「……お願いがひとつだけ、あります。」


「……言ってみなさい。」


「学生さんたちの研究データを残して下さい。」


「……!?」


 驚いたように、教授が顔を上げる。


「私にとってこの研究室は、決して忌まわしい場所ではなかったんです。

 出会えた学生さんたちはみんな優しくて、真摯に研究をしている素敵な人たちでした。


 世の人々のために研究している彼らに、私は尊敬の念を持ちました。

 研究成果はそうした皆の努力の結晶です。だから、研究室のすべてを無くすのではなく、学生たちの研究データだけは残してほしいのです。」


「……

 そうか、その通りだ……私も大事なことを忘れるところだった。


 だが、もう、爆破の時は迫っている。今からデータを移すには数分を要する。それが君の命取りになる。」


「待ちます。」


「爆破の時間はもう変えられない。君まで巻き添えになるべきではない。」


「受け取ってから行きます。

 大丈夫です、私は生きるつもりです。皆に助けてもらった命ですから。」


「……」


 私の言葉を聞いて、教授は静かに端末へ向き直った。

 キーを叩く音だけが、重苦しい部屋に響く。


 その横顔は、どこか穏やかだった。


「最後に会えたのだな。」


「えっ……!?」


 教授はふと視線を奥へと移し、ガラス越しの小さな棺に目をやった。

 そこには、静かに眠る一人の女性――民子の姿がある。


 教授はそっと棺に手を伸ばし、慎重に何かを取り出した。


「それは……!?」


「この髪飾りは民子が最後まで身につけていたものだ。」


「私と同じもの……!?」


「研究利用のために生まれたのではない。本当は君は望まれて生まれてきた子供なのだ。」


「えっ……!?」


 私は差し出された、もう一つの髪飾りを両手で包み込む。

 地下にずっとあったはずなのに、不思議と温かさが伝わってくる気がした。


「私と民子とで名前をつけた。君の名前は……明日美ではなく……」


 教授が告げようとした“本当の名前”を、私はそっと遮った。


「……そうか、聞かない方がよいのだな。」


「ええ、いいんです。

 私はこれからも明日美として生きていきます。みんなにそう呼んでもらっていたから。」


 それが、私の選ぶ「自分」だ。


 その時、端末から軽いアラート音が鳴り響いた。

 学生たちの研究データの転送が無事に完了し、起動用ディスクが私の手に託される。


「さらばだ……明日美。私が言うことではないが、幸せに生きることを願っている。」


「この研究室に来れてよかったです。

 さようなら、神子塚先生。」


 私は深く頭を下げ、部屋を後にした。


     *


 地下通路に出た途端、建物全体を揺らすような爆音が響いた。


「爆破が始まった……!?」


 階段を駆け上がろうとするが、すでに一部が崩落している。


「階段はもう登れない。どうする……!?」


 私は一瞬だけ迷い、別の道を選んだ。

 ――輪講室。あそこからなら。


 かつての輪講室の扉の前に駆け寄ると、機械音声が冷たく告げる。


「上条明日美を認証しました。」


「通れた……! こっちからなら外に出られるかも。」


 あの日、5th Report を手に入れた部屋へと走り込む。


「ここは 5th Report を手に入れた場所……!」


 目の前に、以前と同じホログラフィーがふわりと浮かび上がる。

 もう動くことのない“元の明日美”の姿。


「ありがとう……」


 私は小さく呟き、その背中を振り返らずに駆け抜けた。


 再び爆音。地下は激しく揺れ続ける。

 階段を登りきった先――


「そ、そんな……!? 出られない。」


 地上へと通じる古い階段は、上部が完全に崩れ落ちていた。

 これ以上進めない。頭上からはなおも瓦礫が降り注ぐ。


「……」


 私はそっと目を閉じる。

 皆の研究データを持っていなければ、助かっていたかもしれない。

 それでも――後悔は、不思議となかった。


 ただ、みんなに申し訳ない、それだけが胸を締め付けた。


「……」


 そのとき、小さな音がした。


「誰か……?」


 足元に、見覚えのある小さな影が滑り込んでくる。


「弓野くんの子猫ちゃん!? どうして!?」


「明日美さん、諦めないで……!! 今、行くからね。」


「弓野くん!? いるの!?」


「早くこっちに……!!」


 崩れた階段の隙間から、懸命に瓦礫をどける弓野くんの姿が見えた。

 子猫が先に通れたおかげで、わずかな隙間の位置が分かったのだろう。


 手を伸ばす。

 彼の手が、力強く私を引き上げる。


 階段に近かったことが幸いして、私はどうにか地上へと抜け出すことができた。


     *


 焼却炉のそばに出ると、すぐさま研究室の建物から離れるよう走り出す。


「走って!! もうすぐ建物全体が崩落する!!」


 弓野くんの叫びに背中を押されながら、私は一瞬だけ振り返った。


 そこには、一週間前に初めて見上げたときと同じ――

 いや、それ以上に重く、意味を持って見える神子塚研究室の建物があった。


 たった一週間なのに、その中で過ごした日々は、もう懐かしさすら帯びている。


「さようなら……」


 心の中で呟いた瞬間――。


 轟音。

 威容を誇っていた建物が、光と砂塵の中で木っ端微塵に砕け散る。


 私たちはその場にうずくまり、飛び散る破片から身を守りながら、胸の中のディスクと髪飾りを必死に抱きしめた。


 意識が遠のいていく。

 爆破の衝撃と土煙が視界を白く塗りつぶす中――


 ぼんやりと、誰かの気配を感じた。


 佳織さん。

 一ノ瀬さん。

 椎名さん。

 柿崎さん。


 みんなが……みんなが、そばにいるような気がした……。



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