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人形の傷跡  作者: Child-Dream
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12月22日(24)灰原助教授室


 二階の廊下は、昼間でもどこか薄暗かった。

 突き当たりまで歩き、真一に教えられた辺りをそっと指でなぞる。壁紙の継ぎ目、わずかな凹凸、床との境目――。


 廊下の隅に、注意して見ないと分からないような、小さな出入口があった。


 薄い金属板の縁が、ほんの少しだけ浮き上がっていた。

 そこには小さくプレートが取り付けられ、かろうじて文字が読める。


 『灰原助教授室』


 私は息を呑んだ。

 こんなところに、部屋が隠されていたなんて。


 躊躇う時間は、もう残っていない。

 私はそっとその小さな扉を押し開け、中へ足を踏み入れた。


 

 ここが……灰原助教授の部屋……。


 狭い部屋だった。研究室というより、こぢんまりとした個人の書斎のようだ。

 壁一面の本棚と、窓際に置かれた机。その上にはパソコンと書類が雑然と積み上げられている。


 誰も……いないみたいだわ。


 人気はない。それでも、ついさっきまで誰かがここに座っていたような気配だけが残っていた。


 少し調べてみた方が

 いいかもしれないわ。


 胸の鼓動を意識しながら、部屋の中を一歩ずつ見回す。

 その途中で、言葉にならない違和感がふっと胸をよぎった。


 なんだろう……この感じ……?


 ここに来るのは初めてのはずだ。

 それなのに、家具の配置や本棚の影、机の上の散らかり方さえ――どこか懐かしい。


 どこかで……見たことがあるわ……。

 おかしいわ……一度も来たことが

 ないはずなのに……。


 背筋に薄い冷気が走る。


 私は……この部屋にいる人のことを、

 よく知っている……。


 誰だったのだろう……

 私は、なぜこの人のことを

 知っているのだろう……。


 自分でも説明のつかない感覚に戸惑いながら、私はまず本棚へと近づいた。


 


 私に理解できるような本は、

 一つもないわ。


 背表紙には、難解そうな専門書のタイトルがずらりと並んでいる。

 情報工学、遺伝子工学、認知科学――学生向けの入門書など一冊もない。


 あれ……?


 ふと、視界の端にひっかかるものがあった。


 棚の脇に小さな紙が止めてある。

 何か、細かい数字が

 書いてあるようだ。


 メモ用紙が画鋲で留めてあり、そこに八桁の数字が書かれている。

 何でもない数字の羅列――のはずなのに、心臓が一瞬だけ大きく跳ねた。


 なんか、妙に目にとまったわ……。

 どうしてだろう……。


 小さな文字ではあるが、

 見慣れた数字の羅列がある。

 だから、目にとまったのだ。


 視界が急に狭まる。

 私はその数字を、ひと桁ずつゆっくりと追った。


 ??! これは?!!


 息が詰まり、喉がからからに乾く。


 この数字は……お姉ちゃんの

 下宿の電話番号と同じだわ?!

 間違いない……全ての数字が同じ!


 頭の中で、受話器越しに聞き慣れた呼び出し音が蘇る。

 何度も何度もかけ続けた、あの番号。


 偶然……?

 8桁の数字の羅列がすべて同じ……?


 あり得ない。

 もしこれが偶然なら、この世界はあまりにも悪趣味だ。


 私はメモをもう一度見つめ、それからそっと棚に戻した。

 気持ちを落ち着けるように小さく息を吐き、今度は机の方へ向かう。


 


 なんだろう……これは……。

 パソコンのディスプレイは点いたままで、スクリーンセーバーも立ち上がっていない。

 画面にはテキスト形式のデータベースらしきものが開かれていた。


 椅子に腰掛け、私は画面へ身を乗り出した。


 私は、そのデータを

 食い入るように見つめていた。


 カーソルが画面の端で瞬きをしている。

 何かの読み込み中なのか、行の先頭に小さなメッセージが表示された。


 *データベースの読み込みと表示を行います


 短い待ち時間のあと、画面が切り替わる。


 


 小さい頃……よく、けんかしたよね。


 テレビのチャンネルの

 取り合いとかしてて……、


 私はアニメが見たいって言って、


 お姉ちゃんは、

 なんだか難しそうな科学の番組を

 見たいって言って……、


 私……しまいには、

 いつも泣き出しちゃって、


 でも、お姉ちゃん、どんな時も

 結局、私に譲ってくれてたわ……。


 いつも、家には二人だったから……、


 お父さんが忙しかったから、

 いつも、家には私達姉妹だけ

 だったから……


 二人で盆踊りに行ったよね。

 夏には必ず……。


 いつも……二人だった……

 横でお姉ちゃんが笑っている。


 おそろいのゆかたを着て……、


 でも、そのうち、いつからか、

 お祭りに行かなくなったわ。


 そう、お姉ちゃんを男の子が

 迎えに来てた。


 お姉ちゃんはあの男の子が

 好きなんだわって思って、


 私、ドアのところで、

 一人で見てたわ。


 もうすぐ、クリスマスだよ、

 お姉ちゃん。


 いつも、お祝いしていたわよね。


 一度……ふふふ……

 思い出しても笑っちゃうけど、


 お父さんがいないイヴの夜、

 お姉ちゃん……

 サンタの代わりになろうとして、


 私が眠ってから、

 枕元にプレゼントを

 置いてくれたんだよね。


 でも、その後で、

 私の体を踏んづけて……、


 ふふふ……おかしいわ。

 お姉ちゃん、その後で、


 だって、明日美がまだサンタを

 信じていると思っていたんだもん……

 なんて言って。


 いくら、私でも、

 そんなことくらい、

 分かっていますよーだ。


 お姉ちゃん……お姉ちゃん……

 お姉ちゃん……


 その時にもらった、

 クマのぬいぐるみ……。


 今でも、

 ずっと、大切にしているわ。


 ――画面に表示されている文章を、私は息もできないまま読み続けていた。

 それは、誰かの“日記”のようでもあり、“手紙”のようでもあり――何より、私自身の記憶そのものだった。


 


 そ、そんな……これは?!!!


 指先がマウスを離れ、テーブルの上で震える。


 うそ……うそだわ……

 これは、なにかのトリックだわ……


 こんなはずがない。

 私と姉だけしか知らないはずの出来事が、画面の中で淡々と、正確に綴られている。


 ………。


 どう……考えればいいんだろう……。


 このパソコンに

 私の記憶が入っている……?


 頭の中で、何かが軋む音がした。

 自分という存在の輪郭が、一瞬だけぐにゃりと歪む。


「違うわ、あなたの記憶は元から

その一種類しかなかった。

あなた自身がよく解っていたはずよ。」


 不意に、背後から女の声がした。

 振り返るより早く、背筋が凍りつく。


 ハッ??!!


 椅子から立ち上がろうとした瞬間、背後から何者かの気配がぴたりと張り付いた。


 背後から現れた何者かによって、

 私の口に白い布があてがわれた。

 その瞬間から意識が遠のいていく。


 甘い薬品の匂いが鼻腔を満たし、視界の端が暗く塗りつぶされていく。


 しまった……今まで後ろに……

 ずっといたんだわ……。


 身体に力が入らない。膝が崩れかけたとき、耳元で、ささやくような声がした。


 ううん、今だけじゃないわ。

 ずっと……私は、あなたのことを……

 見ていた。


 薄れゆく意識の中……、

 私は背後から現れた人間が

 誰であるのかを感じていた。


 初めて会ったときから……

 あなたは、他人とは思えなかった。


 あなたは……私の何を知っているの?


 佳織さん……。


 最後に呼んだ名前が、自分の口から零れ落ちるのを感じたところで――

 世界は、完全に暗転した。



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