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人形の傷跡  作者: Child-Dream
24/33

12月22日(23)技術官・兼松の真実


 ヴェルゲン症候群――。

 その病名が、頭のどこかに張りついたまま離れなかった。


 地下から戻っても、私はしばらく研究棟の廊下をさまよっていた。

 5th Report に書かれていた断片。真一という名。老化を早める病。

 点と点は、ほとんど線になりかけている。なのに、最後のところでどうしても躊躇いが出る。


 決定的な情報がほしい。

 感情ではなく、事実として突きつけられる何かが。


 私ははっと顔を上げた。

 ――四階の端末室。

 学生用に開放されたデータベースがある。医学系の論文や辞典にもアクセスできると聞いたことがあった。


「……そうだわ」


 私は廊下を駆け出し、階段を上る。

 この大学の知識の倉庫みたいな部屋なら、きっと何かが見つかる。


 端末室の扉を開けると、白い蛍光灯の下にパソコンが整然と並んでいた。

 誰もいない。静電気を含んだような機械の匂いだけが漂っている。


 私は一台の椅子に腰掛け、端末の電源を入れた。

 ブート音が響き、ログイン画面を抜けると、大学図書館のトップページが現れる。


「このデータベースから、何か情報が引き出せるかもしれないわ。」


 自分に言い聞かせるように呟いて、キーボードに手を置いた。


 画面には、無機質な文字が浮かび上がる。


「検索するキーワードを指定してください」


 指先が一瞬だけ迷う。

 まずは一番身近なところから当たるべきだろう。


 私はキーボードに「神子塚研究室」と打ち込み、検索ボタンを押した。


「検索したキーワードに該当するサイトは以下の通りです。」


 画面の下部に、いくつかのリンクが列挙される。

 私は一番上のものをクリックした。


「………。」


 無意識のうちにため息が漏れる。


「このホームページは神子塚研究室のメンバー紹介のようだわ。」


 画面には顔写真付きのプロフィールが並び、

 「研究内容」「業績一覧」「共同研究先」など、どこにでもありそうな情報が整理されている。


「----------

『神子塚研究室』

所属は帝都工業大学の

システム工学科……」


 スクロールしてみても、当たり障りのない紹介ばかりだ。


「他にも、特に目新しい情報は無いわ……。」


 私はブラウザを閉じ、検索画面へ戻った。


 今度は「5th Report」と入力してみる。


「----------

『5th Report』

端末の指示:この検索キーワードに

該当するサイトはありません」


 予想はしていた。それでも、胸の奥に小さな失望が広がる。

 地下のあのファイル以外に、5th Report は存在しない。

 それはある意味で、この研究の異常さの証でもあった。


 カーソルを再び検索窓に合わせる。

 数秒だけ、指先を宙に浮かせた。


 ――ヴェルゲン症候群。


 私は静かにキーを叩いた。


「データベースの検索結果を

下記に表示します。」


 画面が一度暗転し、別ウィンドウが開く。


「----------

ヴェルゲン症候群」


 タイトルを見ただけで、喉がひりつく。

 スクロールバーを少し動かすと、説明文が現れた。


「『近親婚により、

 老化を進める父型母型由来の

 遺伝子が共に揃ったために、」


 文章は淡々としている。

 ただ事実だけが、冷たいナイフみたいに並べられていく。


「10~20歳の間に、通常、

老年末期に現れる皮膚やその他の

老化兆候が現れてしまう遺伝病。」


 十代で老人のような皮膚。

 しわ。白髪。

 目を背けたくなる言葉ほど、目に焼きついて離れない。


「この病気にかかった人は、

老化を制御する遺伝子が

欠けてしまうため、」


 スクロールする指が震える。


「実際には20歳でも、

60歳くらいの顔に見える。』」


 最後の一行を読み終えた瞬間、椅子の背にもたれていた身体が、勝手に前のめりになった。


「それじゃ……真一さんという人は……!?」


 説明文を読み終えた瞬間、あの技術官の顔が脳裏に浮かんだ。

 実年齢とは釣り合わない、深い皺と白髪。

 ――いつも静かに花壇の手入れをしていた、彼。


 彼は、実験の犠牲者であり――この研究室の“核心”を知る生き証人だ。


 私は端末の電源を落とし、席を立った。

 胸の中で一つだけ、次に向かうべき場所の像がはっきりと浮かぶ。


 ――花壇。


 あの場所なら、きっと彼は来てくれる。

 そう確信できるだけの、いくつもの断片が、すでに私の中には揃っていた。


 

 その場所に、兼松が待っていた。


 夕刻の光が斜めに差し込む中庭の花壇。

 色褪せかけた花々の向こうで、彼はいつものように姿勢を小さくして立っていた。


「兼松さん……

あなたが真一さんですね。」


 私の声に、彼は顔だけをゆっくりこちらへ向けた。


「……。」


 兼松――いや、真一は、ただ黙っている。


 その俯きがちな目は、よく見ると、

 少年のもののような

 純粋な輝きを帯びている。


 彼が時として、躁状態になるのも、

 あるいは、彼の純粋さの裏返し

 だったのかもしれない。


 彼の言葉を待つ私は、

 彼がロケットの持ち主を

 教えてくれたことを思い出していた。


 あの時の彼も、目に純粋さを

 宿していた。それこそが、

 本当の彼の姿だったのだ。


 口を開いた彼の声は、

 とても落ち着いていて、

 それでいて夢見る口調だった。


「よく、分かったね。」


 穏やかな声だった。


「そうだ。僕は、二十年前に

この研究室の遺伝子操作実験で

生まれた人間だ。」


「神子塚研究室で生まれ、

神子塚研究室で育った。」


「一度、脱出しようと試みた。

だが、見つかってひどく殴られた。

以来、ずっとここで暮らしている。」


「ふふ……外に出たとしても、

僕は狂人扱いされる

だけだろうけどね……。」


 自嘲とも諦めともつかない笑いが、口元だけで揺れた。


「僕の病気は、極めて稀な遺伝病

だから、いずれにせよ、まともに

取り合ってもらえないさ。」


「僕は、この研究室のすべてを

知り尽くしている。」


「だが、僕の言う事になど

誰も耳を傾けないし、僕自身も、

研究室を裏切る気力がない……」


「もう、残り少ない余生を……

静かに過ごせれば……

それでいいんだ。」


 風が花壇の花弁を揺らす。

 彼の言葉は、現実から半歩ずれた夢想のようでいて、どこまでも冷静だった。


「兼松さん……いえ、真一さん。」


 私は、彼の本当の名を呼び直す。


「私は、知りたいんです。

あなたの言葉を聞かせて下さい。

研究室の全てを明るみに出します。」


「私は、地下で、5th Report を手に入れました。」


 胸ポケットに触れると、薄いディスクの感触が指先に触れた。


「君……まさか……?」


「ええ……この研究室で行われた、

過去、そして現在にいたる殺人と

反倫理研究のすべてを告発します。」


「駄目だ。君が何を言おうと、

結局もみ消されるよ。阿久田は、

警察にさえ、介入できる存在だ。」


「証拠不十分の告発など、

握りつぶすことくらい、

簡単なことだ。」


「だから……だから、真一さんも力を貸してほしいんです。

死んでいった人達のためにも……。」


 真一は……下を向き、

 悲しいそうにかぶりを振った。


「無理だ。

仮に、僕が君と共に告発しても、

結果は同じ事さ。」


「僕は狂人と見られかねないし、

仮にヴェルゲン症候群が認められたとしても、」


「僕が実験によって、

人為的に生まれたという証拠が一切ない。」


「ふふ……偽の戸籍を作るなんてこと、奴らにとっては訳も無いことさ。僕には、架空の両親がいるんだよ。」

 淡々とした口調の裏で、長い年月をかけて諦めだけを積み重ねてきた人間の重さが滲んでいた。


「そんな告発をしたところで、

逆に僕らの方が、デタラメだと思われるさ。」


「第一、もう、この研究室から脱出することさえ、容易ではないはずだよ。」


「阿久田は人の命を何とも思っていない

その気になれば、君だって、すぐに殺されるはずだ……。」


 淡々とした言葉の中に、

 長い年月、ここで諦めだけを培ってきた人間の重さが滲む。


「不思議なことだね。

なんで、君は今まで生きてこれたのだろう。」


「みんなが……

君を助けてくれたんだ。」


「椎名さんは、いい人だった。」


「彼は、もちろん、

僕にそう言ったわけではないけど、

明日美さんが好きだったんだ。」


「過去にいた明日美さんのことを……

そして、君のこともね。」


「椎名さんは殺されてしまうと

思った。僕は、彼が君に

力を貸さないように祈ったものさ。」


 そこで一度、真一は視線を逸らした。

 記憶の中の椎名さんと向き合うように。


「僕は、君からロケットを見せられた時、

何か運命なのかもしれないと思ったよ。」


「そして、椎名さんが、

君を助けようとすることも分かっていた。」


「その結果、椎名さんが

殺されてしまうことも……ね。」


「彼は4年前に明日美さんが

殺された時、何もできずに

傍観していた自分を責めていた。」


「だからこそ、椎名さんは、

君を何としても助けようとし、」


「一方で、阿久田サイドは、

椎名さんを危険視していた。」


「柿崎さんにしても同様だ。

彼も結局四年前のことに、ずっと苛まれていたんだ。」


 私は、じっと真一の言葉を聞いていた。

 自分の知らない「私の物語」が、彼の口から次々と形を持って現れてくる。


「君は、うまく立ち回った。」


「だが、君は、実は君を助けてくれている存在があることを

薄々気付いていると思う。」


「そうだわ……。20日の夜……

麻衣子さんを撃った人……。」

「そして……地下室……での、

もう一人の人物……。」


「それだけじゃない。」


「常に、阿久田サイドを牽制して、

君に危害が及ぶのを回避していたんだ。」


 頭の中で点と点が線を結び始める。

 私は、自分がどれほどぎりぎりのところで生かされてきたのかを、ようやく理解し始めていた。


「君は、5th Report を読んだというのに、

肝心なことはちっとも聞かないね。」


「疑問は、外にだけあるのかい?」


「目を反らさないで……

自分のことを見つめられるかい?」


「僕は……僕は……

それができなかった……けど、

君にはそれができると……言うの?」


「今、ここを出ても……殺されてしまう……。

阿久田の作りあげた殺人者が戻ってきてしまう。」


 私の胸の奥で、別の種類の痛みが広がる。

 自分自身の出生、実験の意味――

 5th Report に書かれていた「上条明日美」という名前。


「灰原の部屋に行くことだ。」


「助教授室?」


「ああ……。そこに行けば……

あるいは……。分からないね……

もしかしたらだけど……。」


「灰原助教授が味方をしてくれる、ということなの?」


「いや、違うよ。

それは、僕の口からは言えない。」


「………。」


「だが、灰原は、

阿久田と神子塚教授を憎んでいる。」


「彼は、復讐を行おうとしている。」


「私と共に 5th Report を掲げて、告発に立ち上がってくれるということ?」


「………。」


「彼の復讐計画は、既に始まっている……。」


「二階の廊下の突き当たり……

そうだ、僕がいつもいるところだ。」


「あそこの廊下の壁をよく探ってみることだ。

助教授室に入ることができる。」


「だけど、そのことが、

明日美さんにとって、いいことなのか……僕には解らない。」


 言葉の最後は、ほとんど風に紛れそうなほど小さかった。


「今……私のことを明日美さんって呼んだわね。」

「四年前も、そうやって、呼んでいたのね?」


 問いかけると、真一は顔を上げた。

 目の奥に、堰き止めていた何かが一気に溢れ出す。


「そう……そうだよ、明日美さん……。」


「その時も……僕は泣きながら……

止められなかった……けど、

君にはそれができると……言うの?」


「明日美さん……死なないで……

明日美さん……大好きだよ……。

ああ……あ……あああ……ああ………」


「明日美さん……

ああ……明日美さん……。」


 嗚咽まじりの声が、夕闇に滲んでいく。

 私はただ立ち尽くし、その全てを受け止めるしかなかった。


 灰原助教授の部屋。

 二階の突き当たりの廊下の壁。

 そこに、この物語の“運命”が置かれている。


 私は胸の内ポケットのディスクをそっと押さえながら、

 次に向かうべき場所を、はっきりと心に描いていた。



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