12月22日(22)レポートの謝辞と脱出
◆第五章:この論文の今後の取り扱い方
もしこの《5th Report》が破棄されず外へ出ることができたとしても、阿久田要蔵は必ず握り潰しにかかる。
彼の影響力は、政治だけでなく警察機構にまで及ぶ。
ゆえに、最初に届けるべき相手は――権力に屈しない媒体だ。
世論に火をつけ、調査の必要性を“社会の常識”として押し上げる必要がある。
その頃、私はもう生きていないかもしれない。
しかし、真一がいる。
彼はヴェルゲン症候群を抱えてはいるものの、この地下で起きた事実を知り尽くしている。
どうか一刻も早く、彼を保護してほしい。安全な場所で、彼の証言を聞いてほしい。
彼の言葉は、この報告の重要な裏付けとなるだろう。
願いはただ一つ。
良心ある者たちが動き、阿久田要蔵をはじめとする諸悪に裁きが下ること。
そして、名も残されず散っていった御霊が――ようやく安らかになりますように。
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◆謝辞に代えて
論文の慣習に従い、最後にお世話になった人々のことを記しておく。
研究室の学生たちは、皆純粋だった。
自分たちの研究がどう悪用されるかなど想像もしないまま、ただ未知へ向かう知的好奇心に身を任せていた。
なかでも椎名さんにはよく助けられた。
感情を顔に出さないが、視線の端々に優しさが滲んでいた。
おそらく、私の動きをどこかで察していたのかもしれない。
柿崎さんには、一度、危うく露見しかけた。
小心な彼には、この重さは耐えられない。
何も見ずに済んでよかったと、今では思う。
後から入ってくる後輩たちも同じだろう。
世間知らずのまま、「役に立ちたい」という一心で研究に向かう。
私の告発の余波が、もし彼らに及ぶことがあっても――
どうか知ってほしい。
彼らの出発点は、まぎれもなく善意だったということを。
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そして最後に。
私の生みの親であり、育ての親でありながら血はつながっていない――奇妙な父、神子塚武寛について触れておく。
彼は罪を負うべき人間だ。
科学に取り憑かれ、倫理の柵を越えたことを本人もどこかで悔いていた。
純粋な科学者であり、同時に心の弱い人だった。
阿久田の要求を拒めず、研究を続けた。
大きな、大きな罪だ。
それでも私は、彼に育てられた。
科学を語るときの父の声は、誰よりも穏やかで優しかった。
地下の遺体を私が見つけ、それを肯定したとき――
一瞬だけ、父の顔に走ったのは安堵ではなく、深い絶望だった。
私は、その視線を正面から受け止められなかった。
父は、探究の果てに自分が狂気へ踏み込んだことを恥じ、
娘を同じ轍へ連れて行きたくはなかったのだろう。
だが、彼は弱かった。
研究と決別し、自ら罪を告白することがどうしてもできなかった。
だから、私がやる。
父の罪は裁かれなければならない。
それが私にとってどれほど辛くても。
《5th Report》が完成したとき、
父は狂気の科学者として私を抹殺しに来るのか。
それとも父親として、娘を抱きしめるのか。
陰鬱な地下室でその可能性を反芻しながらキーボードを打つ私は、
もはや運命の呪縛から逃れることなどできなかった。
その呪縛は、おそらく――私が生まれ落ちた瞬間から続いていたのだ。
私は科学の信奉者だ。
世界の現象は科学で説明され、記述できると信じている。
ただし、人の運命だけは別だ。
運命は、神と、その人自身が決める。
生まれながらに運命を背負わされた者が、
これ以上現れないように――
この《5th Report》を世に送り出し、その可能性に終止符を打つこと。
それこそが、数奇な私の人生の、せめてもの意味である。
――上条 明日美
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## ◆地下からの脱出
5th Report のCD-ROMを手に入れた。
震える指でラベルをなぞり、私はそっと息をつく。
ディスプレイの電源を落とし、円盤を胸の内ポケットへ滑り込ませた。
暗がりの中、ふいに光が立ちのぼった。
ホログラムの“私”――声紋と意思で認証されるシステムが再び投影される。
彼女は何も言わず、ただ視線で示した。
同じ認証システムを備えた扉。その先に、上階へ続く階段がある。
扉が静かに開いた。
階段に足をかけるたび、地下の冷気が剥がれ落ち、別の温度が肌に触れる。
そして最後の一段を上り切った瞬間――
白い。
眩しいほどの光。真夜中に潜ったはずなのに、世界は同じ日の真昼の顔をしていた。
私の内側だけが、何度も別の時間を往復していたのだ。
研究棟の外気を胸いっぱいに吸い込む。
振り返ると、地下の闇がただ静かに口を閉ざしていた。
耳の奥で、5th Report の要点がゆっくりと反芻される。
権力は告発を潰そうとするだろう。
けれど、世論へ届けば必ず“扉”は開く。
私がいなくなっても――真一が証言してくれる。
真一。
ヴェルゲン症候群。
私はその名を口の中でそっと転がす。
硬質な響きが、舌の上でひやりと尖った。
「……真一さん。あなたは、どこにいるの?」
返事は風に混じって消えた。
それでも迷わない。
私は研究棟へ歩を返し、胸ポケットにしまったCD-ROMを握りしめた。
向かうべき場所は、もう分かっている。
――“あの名”を辿ること。
そこから、すべてが繋がるはずだ。




