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人形の傷跡  作者: Child-Dream
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12月22日(20)上条明日美の認証

12月22日(20)上条明日美の認証


【本文】


 扉を押し開けた瞬間、白い閃光が視界を撃ち抜いた。

 反射的に目を細める。暗闇の廊下に一本の光柱が立ち、その背後――光を肩口に背負ったような人影が浮かび上がった。


 懐中電灯は手には握られていない。

 首からさげたストラップにぶら下がり、揺れながら男の肩を照らしている。もう片方の手には――濡れた刃。包丁。

 刃先にまとわりつく暗いぬめりが、この地下で何が起きたのかを黙って告げていた。


「……船橋さん。あなたが!?」


 言い終えるより早く、ぽたり、ぽたり……と床を叩く音に気づいた。

 肩がわずかに傾き、懐中電灯の角度が崩れる。光が壁を滑り――


 カラン、と乾いた音を立てて床へ転がった。


 その瞬間を合図にしたかのように、船橋さんの身体も、糸の切れた操り人形みたいに前のめりに崩れた。


 私は転がった懐中電灯を拾い上げ、震える指でスイッチを探る。

 光を向けると、彼の後頭部に黒い花が咲いていた。

 鈍器の一撃――即死だ。


 あの密室で耳を刺した叫び声。

 やはり、あれは船橋さんのものだったのだ。


「もう……いや……誰か、助けて……」


 誰に向けたのでもない声が零れ、湿った壁が無言のまま吸い込んだ。

 光に照らされた船橋さんの顔には、生前に見たことのない表情が貼りついている。


 悔しさ。諦め。

 そして――何かに抗い損ねた人間の、最期の影。


 地下には、一ノ瀬さんの遺体がある。

 封印された部屋には、妊娠したまま時間を止められた女性の遺体が横たわっている。

 そこへ今、船橋さんの遺体が増えた。


 ならば――船橋さんを殺したのは、誰なのか。


 その問いが喉に刺さったとき、遠くで空気の揺らぎが生まれた。

 階段の上。閉ざされた闇の向こうで、微かな衣擦れと足音。


 一ノ瀬さんが命を削って稼いでくれた時間が、誰かをここまで連れてきたのだ。


 私は光を胸元に抱え、その気配へ顔を上げた。


―――


 階段へ続く扉のレバーを、何度も引いた。

 内側から押し、肩でぶつかり、鍵穴に指をかける真似までした。


 結果は同じだった。


 冷え切った鉄は沈黙を守り、わずかに揺れるだけで、開く気配すら見せない。


「だめ……何回やっても、開かない……」


 誰かが後から閉め、外から施錠した――そうとしか思えなかった。

 船橋さんを殺した“その誰か”が。


 では、なぜ私は殺されず、この地下に残されたのか。

 見逃されたのか。それとも、まだ“何か”をさせるために。


 暗い廊下の奥に、思い当たる扉がひとつだけあった。


 ――封印の部屋。


 私は光を先へ滑らせ、紙垂の残った扉を押し開けた。


―――


 中は、先ほどと同じ、時間が止まったみたいな冷気だった。

 台座の上、妊娠したまま静止した女性の遺体。


 誰も動かせず、誰も近づけず、ただ祈りだけが残された空間。


 祈るように視線を落としたとき、布の陰に、小さな折りたたみの便箋が挟まっているのが見えた。

 震える手で拾い上げ、折り目を開く。


> 民子さんへ

>

> 民子さん、どうか安らかに。

> 私は、上条明日美。

> あなたの末の娘。

> 最後に産み落とされた赤ん坊。

> あなたに代わって、すべての恨みを晴らします。

> そして、私の論文で、

> この忌まわしき研究室のすべてに

> 終止符を打ちます。


 息が浅くなる。


 “自分が誰か”とか、“世界で何が起きているか”とか、そういう輪郭はどうでもよくなるほど、文面は直接、骨の内側を掴んで揺さぶってきた。


 私の名前で書かれた誓い。

 “私の母”と呼ぶべき誰かに宛てられた、もう一人の「上条明日美」。


 胸の奥で、恐怖の霧が一枚はがれ落ちる音がした。

 代わりに残ったのは、熱を帯びた一本の芯。


 ――終わらせる。ここを。


 私は便箋を丁寧に畳んで胸ポケットへしまい、

 光を掲げ直して廊下へ向き直った。


「《5th Report》……手に入れる」


 出口が閉ざされているなら、突破口はひとつしかない。

 “地下の心臓部”、研究そのもの。


 私を見逃した“誰か”の意図がどうあれ、もう関係ない。

 意志は決まっている。


 暗闇の奥へ、私は歩みを進めた。


―――


 輪講室の跡には、教室の残り香だけが薄く漂っていた。

 机と椅子が壁際に寄せられ、そこだけ空気の密度が違う。


 視線を滑らせると、家具の陰――

 かつては気づけなかった金属の扉が、口を閉ざしている。


 近づき、掌を触れ、静かに息を整える。


 恐れていたときには近づくことすらできなかった扉。

 でも今なら行ける。


 胸ポケットの便箋が、体温で温かい。


 私は自分の名を、しっかりと言った。


「……上条明日美」


 低い作動音。

 淡い光がパネルを横切る。


「【装置】上条明日美を認証しました」

「【装置】ロックを解除します」


 カシャン、と錠が外れた音が骨まで響いた。


 この扉は声だけを識別しているわけじゃない――そんな気がした。

 怯えた声、脅された声には反応せず、自分の意思で終わらせに来た者だけを通す。

 まるで論文審査のように、覚悟そのものを審査する扉。


 私は一歩前へ進んだ。

 振り返らない。


 闇の向こうに、すべての答えと、すべての終わりが待っている。


 扉が横へ静かに滑り、冷たい空気が頬を撫でた。

 私は中へ踏み込んだ。


―――


 地下の空気は乾いていて、冷たい。


 実験準備室らしき小部屋に足を踏み入れると、机と本棚、戸棚が規則正しく並んでいた。

 人の気配は――ない。そう判断しかけたところで、奥から低い唸りが伝わってくる。ファンが回る音。ディスプレイの待機音。ここだけ時間が止まらず、機械だけが働き続けていた。


「誰かいるの? いるなら、出てきて」


 声は吸い込まれ、壁に淡く返る。応える気配はない。

 けれど背中を汗が伝った。――いる。説明できない確信が、皮膚の内側で震えた。


「やっぱり……そこに、誰か」


 瞬間、空間が揺らいだ。

 光の粒子が一点に集まり、輪郭を結ぶ。


「……私?」


 目の前に現れたのは、三次元の光で織られた「私」だった。

 ホログラフィーと呼ぶにはあまりに実在感がある。呼吸のテンポさえ同期しているように見える。


 壁際の装置が低く告げた。


「認証を行います」


 間を置かず、無機質な声が続く。


「『上条明日美』を認証しました。《5th Report》を開きます」


 闇に沈んでいたモニターがふっと明るみ、古いインターフェースが立ち上がる。

 長い眠りから覚めた獣が瞬きをするみたいに、文字列が走った。


 ――上条明日美の研究報告。

 ――このデータはプロテクトされています。

 ――検察庁の特定IPからのみ、アクセスが可能です。


 体が震えた。


 ここまで来て、外部からの“正義”を鍵にしていたのか。

 たしかに、怯えた者にも、脅された者にも開かせない扉の延長線上にある仕掛けだ。


 個人の復讐でも、密室の暴露でもない。

 正規の窓口から、世界に晒せ。


 ――それが、「私」の決めたやり方。


 私は画面に手を伸ばした。

 鼓動が、指先まで響く。


「……読む。必ず、読む」


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