一話
いつか絶対、金持ちになってやろうと思っていた。
貧しいながらに自分を学校に行かせてくれた家族に恩返しがしたかったし、何より楽にしてやりたかった。
勉強して働いて働いて、ヘトヘトになっても苦ではなかった。
愛する家族の為なら。
でも、出逢ってしまった。
上手く話せなくても、言葉は限りなく自由だ。絵は諦めても言葉を紡ぐことは止められない。必要なのは紙とペンだけ。大金も必要ない。時間を作ればどんな場所でも文章は書ける。
字を読めて字が書ける。俺は何て恵まれているのだろうか。
寝る間も惜しんでペンを持ち、貪るように沢山の本を読んだ。
そして、追いかけたい背中を見付けた。
無駄のない、それでいて写実的な美しい文章。真っ直ぐな言葉に惹かれた。あの人のようになりたかった。あの人のいる場所までいつか辿り着きたかった。
『小林くん。これ読んでみたらどうかな?』
そう、信じていた―――
『プロレタリア?』
これだ、と思ったんだ。
まるで今まで自分が見てきた現実そのものだ。この現実と戦っている人達がいるのか?言葉の力で?
(俺が目指すところはここだったんだ、、、)
金持ちになりたいなんてどうでも良い。
職を失って安全を捨ててでも、果たしたい使命が出来てしまった。
その苦しみを近くで見てきた、小説の書ける俺だからこそやらねばならない。
全ては、プロレタリアート解放の為に!
言葉は、武器だ。
鋭く、研ぎ澄まされた言葉は強大な力の喉元を暴く。それを知っている権威達は口を噤めと言わんばかりに武器を取り上げ、体中に『罰』を与えた。それでも我々は武器を持つのだ。生きて書いて叫び続けないといけないのだ。
理不尽に苦しむ皆の為に。
、、、いつからだろう。
俺の言葉は、愛しい誰かの為に捧げるだけのものではなくなった。
愛の言葉に嘘はない。ただ、それ以上に、、、赤い旗の下、俺の言葉はいつしか大勢の為の力になった。
もう、戻れない。
家族と笑い合う日々にも、愛する人と一緒になって幸せな家庭を築く道にも。
『正義』を掲げ、『悪』に立ち向かう為に多くの悪を飲み込んで、闇に隠れて生きることしか、もはや許されない。
戻りたいとも思わない。
俺という『個』など、遠に捨ててしまった。この命は、社会の為に使うと心に決めたのだ。
いつか愛する人を含む、全ての人が救われると心から信じて―――
でも、どんなに道を違えても、この変わらない思いを書き記したい。どうしてだろう。あんなにも簡単に自分の生涯を捨てられたのに。この望みだけは危険だと分かっていても叶えたかった。せめてもう一度、書いていたかった。
英雄になりたい訳じゃなかった。
愛する人達に幸せになってほしくて、この社会を変えたくて、その為だったら自分が犠牲になっても構わないと、今でもそう思っている。俺に後悔なんてない。
ああ、でも、でも、、、
俺の言葉なんて権威の力に塗り潰されて、きっと全ての本が焼き払われて、俺の魂も俺の作品も何もかも、忘れられるんじゃないかと思うと、、、
今はそれだけが怖い。
死が忍び寄る。暗闇に侵されていく。
冬のある日、権力と闘ってきたプロレタリア作家が死んだ。後に彼は偉大な作家として後世に名を残す。