温泉
「疲れた〜。」
部屋にある布団に飛び込む。
布団は柔らかく、飛び込んだとしてもその柔らかさのおかげで痛くはない。
「そうね。さすがに、二里近く往復するとなるときついわね。」
しかし、当のイレーナは相変わらず涼しい顔をしており、本当に疲れているのか分からない。
「はい。水。」
「あ。ありがとうございます。」
水を受け取り、飲む。
乾いていた喉を、冷たい水が通り潤す。その感触は、なんとも心地が良い。
横では、イレーナも水の入った竹の水筒で水を飲んでいた。
そして、ふぅと軽く息を吐くその姿は、まるで熟練のマラソン選手のように見えた。
そんな風にして少しの間休んでいると、イレーナが、備え付けの赤い服をかごに入れる。
そして、髪をほどいて、可愛らしいリボン渡してきた。
「黒影、これから私は、用事を済ませに行くから、それを少し預かっててくれない?」
「いいですけど……どこに行くんですか?」
その言葉を聞いたイレーナは、きょとんと少し不思議そうな顔をした。
「決まってるでしょ。温泉よ。」
「えっ!?それなら、俺も行きます!」
黒影は、布団に張り付いた体を引き起こす。
ちょうど、お風呂に行きたいと思っていたところだ。汗――かどうかわからないが、体中がベトベトしていて少し気色悪かった。
だが――
「何言ってるの?ここは、日乃村の住人しかいないんだから、あなたの姿が見られたらだめでしょ。」
イレーナの無惨な回答が、黒影の心にぐさりと針のように突き刺さる。
「あぁ、そうだった。」
傷心とともに、再び布団の中に顔を沈める
何だか、イレーナがこの姿をまじまじと見ているような気がする。
「……じゃあ、私、行ってくるわね。」
気まずい雰囲気になったからか、イレーナがささっとドアの外に出ていった。
黒影は、その姿を呆然と見ながら、また、布団に頭を沈める。
「入りたかったな。……本当に。」
黒影の空虚な言葉が、ほのかに暗くなった部屋の中に木霊する。
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「はぁ〜疲れた。」
イレーナは、体を伸ばす。
ここ数日間、あれを調べるために寝ていなかったからか、湯船に浸かると疲れが、一気に押し寄せてきた
「気持ちいいわ〜。」
体を伸ばすと、お湯に入っていることも相まって、筋肉がほぐれて気持ちがいい。疲れが取れているという感じがする。
「……やっぱり、無理してでも黒影は入れるべきだったかしら?」
あの小綺麗な白衣とは裏腹に、黒影からは汗の匂いが充満していて、臭いと感じることがある。
正直、近くにいるだけで、少し顔をしかめてしまうほどだ。
「まあ、私の匂いかもしれないけどね。」
そしてその少しの冗談も、全体に飽和した後に煙のように消え去っていった。
時間が悪いのか、ここには誰もおらずただただ静かであり、その自分の声がよく聞こえる。
「それにしても、今どこにいるのかしら。」
最近会っていない、懐かしい顔が思い浮かんだ。
誰よりも強く、美しい彼女が。
「いつになったら、またお会いできるのかしらね。」
その言葉が木霊して消え去ると、イレーナはお湯から出て、脱衣所に向かう。
あの時のことを思い出したせいで、せっかくの気分が台無しだ。
一気に、疲れが戻ってきたような気さえする。
少し鬱々とした気持ちを抱えながらも、公金寺から支給の浴衣を着て、脱衣所から出る。
すると、そこには見慣れた顔の双子が立っていた。
「「イレーナお姉ちゃん!!おかえり!!」」
「ただいま。君子、姫子。」
二人の頭をぽんぽんと軽く撫でる。
髪は、入浴をした後なのかほのかに暖かく、触っていて心地がいい。
「「早く、お話を聞かせて!!」」
「そうね。」
本当に、二人の姿を見ていると心が安らぐ。というより、子供を見ると心が安らぐ。自分を正当化できる。
だから、黒影のことをほったらかしてでも、二人の姿を眺めていたいが、そういうわけにはいかない。
「あ。ごめんなさい。少し用事があるから、一時間ほど待っていてほしいの。」
「「ええー」」
「少しだけだから、ね?それに、今日はあなた達が好きな英雄の物語を聞かせてあげるから。」
少し、気分が下がったように見えた君子と姫子が、今度は逆に嬉しそうに見える。
「「うん!!」」
そんな風にして、楽しくおしゃべりをしながら、イレーナは双子を連れて黒影のもとに向かう。




