第5話 不老の記憶
昔々、あるところに、1人の男がいた。
…どうした。話し方が気になるのか?
御伽噺みたいなもんだ。これでもいいだろう?
…そうか。じゃ、「私」にするか。
その時の私は二十歳になって一ヶ月。
家族は父と母、兄と妹、そして私の5人。当時の妹は学校の寮で過ごしていたから、家では4人で暮らしていた。
その日は休日。私に外に出る用事も無い。
そんな日はいつも家にいた私だが、その日は何の気まぐれか、散歩に出かけることにした。
健康を気にしてたのか、何かの気晴らしか、それとも本当にただの気まぐれか、目的地も決めず歩きたいと思った。
家族も驚いていた。母についでの買い出しは頼まれたがね。
その日の外は、何だか不思議な感じだった。なんというか、寒色だったんだ。
ああ、それは青だ。
それは暗さでは無かった。
でも、寒さを感じないのが不思議なくらいに。
壁も、地面も、人も、光も。
まるで、フィルムを通して見ているかのように。
うっすらと、でも、確実に。
全てが、青かった。
だが、その時は全く気にしていなかった。気にしても仕方が無かったからな。青みがかった店員から商品を受け取った後は、見慣れていたはずの街をぶらぶらと彷徨っていた。
「ここで、少し別の話をしよう。」
突然、本が閉じられる。
「話が気になるとこだったよな?それを切ってまで話すことなのか?」
「まあ、そうだ。これ以上は遅いと思ってな。それより、楽しんでくれて何よりだ。」
男の微かな微笑みは、次の言葉の前には消えていた。
「君は…死についてどう思う?」
男の声が、一際重く感じられた。
「…誰か、死んだのか?」
「いいや。ただ、必要な話ってだけだ。」
男の目が、濁って見えた。
「…分からないとしか言えないな。というか、あまり考えたいことじゃ無い。」
「そうか。それなら、不死に関しての物語を読んだことはあるか?」
当たり前かのように、次の質問が飛んできた。
「ああ。俺が読んだやつの不死は、牢屋の中で狂って自傷して終わったな。」
「そうか。」
声が震えている割に、男は酷く安定しているように見えた。
「まあ、そうだろう。不死になったやつは大体、死なないことに絶望して終わるんだ。」
「私は、死ぬのが怖かった。」
俺に向けての言葉では無かった。ただ、心の内をさらけ出していた。
「死は救いだとは思えなかった。自己犠牲もあり得ないと思った。寿命や死因なんてもの、から目を背けた。私が死んだ後の世界、私が残したものの未来に私がいないということ、それがたまらなく怖かった。」
「それが、私だった。そして、今の私になった。」
「…なんというか、隠す気が無いな。」
「それは言っていただろう。だから話している訳だしな。それでは、物語を再開しよう。」
再び、本が開かれる。
しばらく彷徨った後も、変わらず街は蒼かった。濃くも薄くもならず、ずっとそうだったとでもいうかのように。
いつの間にか、自分が何処にいるのか分からなくなっていた。間違いなく正気で、建物の詳細も分かるのに、自分が進む先に何があるのか分からなかった。
思いも寄らない出来事は、突然起こるものだ。
私は扉を開けた。当たり前のように。家のものでは無く、どこだったかも思い出せない。もしかしたら、何の前触れも無く目の前に現れたかもしれないその扉を。
中は部屋だった。RPGなら5×5マス程度にしかならなそうな大きさを、当時も珍しかった煉瓦の壁で囲っていた。
天井は素材が分からない程に暗いのに、光源で部屋を覆っているかのように、壁の隙間から藍い光が漏れていた。
その中に、何かがいた。人型だった。人では無かった。碧かった。
葵いスーツに身を包んでいた。
顔は…思い出せない。顔では無い、いや、固体では無かったはずだ。普通なら零れ落ち、霧散するであろう物質が、人の身体の上に乗っていた。
『ようこそ』
それは話しかけてきた。1人の人間の確かな声が、部屋から響いてきた。
「な、なんだ?誰だ!」
私はその言葉がその人型から発されたと思わなかった。
「ここはどこだ」と言わなかったのは、奇妙な街に毒されていたのかもしれない。
『それは重要な事ではありません。私は重要な存在ではありません。』
言葉に合わせて、人型の顔のパーツが動いていた。
「…お前が喋ってるのか?」
『はい。ここに来たあなたは、手に入れる事ができます。』
「どうすればいい。どうすればここから出られる?」
『手に入れても、手に入れずとも、あなたの後ろの扉を開けば、あなたの知っている街に帰ります。』
後ろを振り向くと、雰囲気に合わない木の扉があった。
通ったら消えているような扉では無かったようだ。
「そうか…手に入れるってのは、何のことだ?」
帰れると知って警戒が解けたのか、割と非科学的なものに興味があったからか、すぐさま扉を開けて逃げるという考えにはならなかった。
人型の方を向くと、人型の手には杯があった。
透明な杯の中には、水色の液体が入っていた。
『不老不死』
ああ、葛藤したよ。5分くらい突っ立ってずっと悩んでいた。不老不死をテーマにした物語もいくつか読んでいたし、家族の事も大事だった。そもそも信憑性すら無いに等しい。正反対の効能でさえあるかもしれない。
それでも、それらの不安を無視できる程に、私は死に恐怖していた。そして、未来を判断材料にできる程、私は賢く無かった。何よりも、この機会を逃せば、それはもう二度と訪れないと思った。
「…これを飲めばいいのか?」
杯に手を触れ、持ち上げる。
『全て飲まなければいけない訳ではありません。重要なのは、望んで飲んだという事実です。』
「…そりゃどうも。」
案外寛容だと思いながら、杯を口に付けた。そして、
空い液体を飲み干した。