第4話 邂逅
階段を登って辿り着いたその場所は、「空白」の中で1番といっていい程の高さだった。
さっきまでいた場所も屋外だったのにもかかわらず、この場所に来て初めて開放感を感じた。その平坦な様は、学校の屋上を思い起こさせた。
昔は家でも立っていたのか、いくつかの木の柱だけが立っていた。その柱それぞれに電球が吊り下げられ、周辺を照らしていた。その光は、今日の俺にとって初めての朝だった。
そして空間の1番奥。
冷たい鉄の椅子の上で、その男は佇んでいた。
色あせた外套に包まれたその姿は、錆色の景色の中でありながら、不思議な存在感があった。
手に持っているのは、紙芝居の舞台のような大きさの辞書のように分厚い本。
遺物が積み重なったこの世界を、静かに見下ろしていた。
その人間は、あまりにも自然にこの場所に存在していた。
この世界から彼が生まれた。あるいは、彼がこの世界を創った。そんな考えが浮かぶ程、彼はこの世界で重要な存在だと感じた。
男がおもむろに立ち上がり、振り向いた。鉄を踏む音で既に気付いていたのだろう。勝手に老人だと思っていたが、その顔は若々しく見えた。
「初めまして。」
穏やかな声が、低く響いた。
「…こんな言葉を発したのは、久しぶりだな。」
後に続いた呟きは微かなものだったが、この場所では変わらずよく響いた。
「初め…まして。」
挨拶を返しつつも、俺はまだ現状を呑み込み切れていなかった。この空間に大したリアクションもしていないのに、1番重要に見える存在に触れるタイミングすら選べなかった。というか、初めましての返しって初めましてでいいのか…?
「えっと…初めましてが久しぶりって、どういうことですか?」
とりあえずは、先程の言葉に対する疑問から解決することにした。別に聞かなくても分かることだった気もするが。
「ああ。そもそもここはずっと封鎖されていたんだ。でもそこまで危険な物はないし、この景色は独特だが美しいだろう?だから私が君が通ったであろう扉を作ったんだ。それでも、相変わらずここに来るのは私ばかりでね。その言葉を口にしたのは40年くらい前なんだ。」
当たり前のように返された答え。その中にある決して小さくは無い違和感。
「お前…何者だ?」
そんな言葉が口から漏れる。この場所での呟きは、会話を成立させるのには十分だということを忘れていた。
「それは私にも分からないな。自分が何かなんてのは自分にも分かるもんじゃないし、君が考えたのを採用するのはどうだろう?」
「…自分からは話せないのか?」
呟きが聞こえていた驚き、誤魔化しのような返答への苛立ち、それらがあった中での返しとしては上出来な方だろう。
「…ふむ、そう言われると別に隠すつもりも無い。私から話すとしよう。声が聞きやすいよう近くに来るといい。」
思ったより穏やかに終わった。男は手招きをした後、何処かへ歩き始める。
「しかし、その話は少し長くなる。他に疑問があるのなら、今のうちに質問してくれ。」
そう言い、男は隅にある物置のような所の扉を開けた。
「それなら…ここはどんな場所なんだ?」
「大した所じゃ無いさ。壊れた物が積もって、それが繰り返される。そして、ここだけは誰も片付けなかった。ただ、それだけの場所。神秘もロマンも無い場所だ。」
ガチャガチャと、金属がぶつかり合う音が聞こえる。
「じゃあ、なんであなたはここに…というか、名前は?」
「ははは、タメ口でいいよ。特に階級も無い。名前は、私の正体と一緒に話すことにするよ。ここにいるのは…」
言葉が途切れる。物音も聞こえない。
「まあ、懐かしいからかな。大事な場所でもあるし。よいしょっと!」
ガラガラという音が響いた後、男が扉を開けて出てきた。片手には最初から持っていた本、片手にはパイプ椅子を持っている。
「待たせて申し訳無いね。中の物が軒並み崩れていたんだ。さあ、これに腰掛けて、楽にしてくれ。」
「いや、質問に答えてもらって、全然待ったとは思ってないです。」
「タメ口でいいと言っただろう?私は何でも無いようなものさ。年齢も丁寧に接する理由にはならない。少なくとも私には。」
相変わらずその言葉には、違和感が存在している。
「…それも、あなたが何者か。ということに関係してるのか?」
「…ああ、そうだな。」
俺がパイプ椅子椅子に座ると、男も自分が座っていた所に座り、本を開いた。
「それでは、始めよう。」
とある男の今へ続く人生の物語を。