第7話 誓いの言葉
「マルクト……坊ちゃん……」
つい、昔の呼び名で呼んでしまったわたしに、マルクト――いや、もはや“坊ちゃん”と呼ぶにはあまりに美しく、あまりに大人びた彼は、なんともいえない表情を浮かべた。
嬉しそうで、少し切なげで、でもどこか誇らしげだった。
「“坊ちゃん”は、もう卒業したつもりなんですけどね。もう29なので」
冗談めかして肩をすくめながらも、その声はあたたかくて、胸がちくんと痛んだ。
だって、そうだ。
この人は、あの時の坊ちゃんじゃない。
「わたし……どれくらい、眠っていたんですか?」
わたしの問いに、彼はわずかに目を伏せた。
「20年だよ。君はあの日俺を庇って――ずっと、眠り続けていたんだ」
その声には、計り知れない年月の重みが滲んでいた。
20年――20年か。
わぁ。すごい。
昔の世界なら、一人の赤ちゃんが大人になっちゃう。途方もない長さだよ……。
わたしは10歳だった彼を庇って、死んだと思っていた。
けれど死なずに、生きていて。だけど何もできずに、ただ眠っていて――
ハッ、と、とっさに自分の手を見る。
変わっていない。鏡がなくても分かる。あの頃の自分――20歳の時と同じ姿のままだ。
でも坊ちゃんは29歳になっていて。しかも、こんなにも立派な青年になって――
「本当に、マルクト坊ちゃん、……なの?」
自分で言っておきながら、変な質問だと思った。でも確認せずにはいられなかった。
すると、彼は苦笑した。
「ええ。俺は、俺のリーヴェが守ってくれた坊ちゃんですよ」
まっすぐに伸ばされた手が、わたしの頬に触れる。
その手があまりにも大きくて、あの頃の小さな手を思い出して、また胸がきゅうっと締め付けられた。
「ずっと、待ってた。リーヴェ」
その言葉が、静かに落ちる。
「君がいない間、俺は君のいない世界で、君のいない日々で、生きてきた。ずっと、ずっと、今日だけを願って。だから目を覚ましたら、すぐに君に言おうって決めてたんだ」
彼はわたしの手を握りしめて、そっと囁く。
「――結婚しよう。リーヴェ。今日この日を、俺たちの結婚記念日にしよう」
え……いやいやいや!!!!!
ちょっと待って!?!?!?!?!?
脳内がパニック。
さっきの“我が妻”発言の衝撃がまだ尾を引いてるのに、また新たな衝撃が直撃してくる。
えっ、えっ、でも、えっ!? いきなり!?
「で、でも、でもでもっ」
あわあわと手を振って抗議すると、マルクトはふっと目を細めて、さらっとこう言った。
「まぁ、リーヴェに拒否する権利はないけどね。だって20年前に君からプロポーズしてくれているんだから」
「………………へ?」
きょとん。
君からプロポーズ済み。いつのことだろうか、そんなことを言った記憶はないんだけど!?
「君が“坊ちゃん、結婚しましょう”って、俺に言ってくれた日。あれが俺たちの婚約記念日だ」
あ、あれって――。
ふわんふわんふわん……と脳裏にあの出来事が蘇ってくる。
あの、坊ちゃんを庇って、死ぬと思って意識が遠のく中で、「もう死ぬからいっか……」って投げやり気味に言った、あのセリフのこと!?
はい、ありました。
完璧記憶にありました。
わたしの頭の中で、わたしが「ええ……あれカウントするんだ……」の旗と「お幸せにー!」の旗を両方掲げている。
「え、え、ええええええ!?!?」
混乱と羞恥で真っ赤になるわたしを見て、マルクトは嬉しそうに笑った。
「……ちゃんと証人もいるんだよ。父上も母上も、その場にいたし」
証人って、あの、父上と母上……つまり、当主様と奥様!?
あの時、駆けつけてきてくれてたんだ――とほっこりすると同時に、わたしはみるみる青ざめていく。
わたしの雇用主であるお二人。
なのに、その目の前で大切な愛息子さんに向かって――わたし、確かに言った。言ってしまった――
「坊ちゃん、結婚しましょう」って!!!
最悪だ。
青ざめてがっくりしているわたしを見て、マルクトはどうしたんだろうという顔をして首をかしげている。正直格好いいけど、イケメンはどんな顔してても格好いいなって思うけど、そうじゃなくて。
どうもこうもない。
言い訳させてほしい。
あのね、ホントに死ぬと思ってたんだよ!?
まさかこんな未来があるなんて、思ってなかったの!
「そんなの無効だよ!!!」と叫びたいのに、なぜか声が出ない。
「だから、俺の妻として、これからの人生を一緒に歩いて――」
「ま、待って待って!?!? 混乱してるから、もうちょっとだけ、その……じ、時間をください……?」
現実に追いつくには、あと三回くらい生まれ変わらなきゃダメな気がする。
それでも、わたしの手を包む彼のぬくもりは、確かだった。
ああ――ほんとに、坊ちゃん、大きくなったなぁ……。
現実逃避しながら、わたしは大きなマルクトの手のひらに手を握られていたのだった。
読んでいただけてとっても嬉しいです、ありがとうございます!
よろしければスタンプや★でご反応いただけると、すっごく嬉しいです!
これからも一緒に楽しんでいただけたらいいなと思っています。
よろしくお願いします。