第3話 「はじめまして、マルクト様」
案内された部屋は、意外にも広く、窓から柔らかな光が差し込んでいた。
小さな子供用ベッドの脇には、黒いレースのカーテンが揺れている。
そこに――マルクト坊ちゃんはいた。
白く、まだ弱々しい手足。
5歳くらいかな?
ふわりとしたプラチナブロンドの髪が、陽の光を受けて銀色に輝く。
目を閉じて、静かに眠るその顔。肌はまるで陶器のようにつるっつる。まつ毛も繊細で愛らしくて――でも、どこか哀しげだった。
「あちらがマルクト坊ちゃんです」
「……マルクト様」
思わず囁くような声で呼んでしまった。
だって――かわいい。
めちゃくちゃにかわいいんだもん。
天使? 天使だ。ここに天使が居ます!
ノルンさんがそっと近づき、布団を少しだけ整えた。
すると――その瞬間だった。
「……っ!」
周囲の空気が、ピリリと弾けた。まるで空間そのものが緊張し、わたしを排除しようとするような、そんな「圧」が押し寄せる。ノルンさんが顔を少しだけゆがめた。
思わず足がすくむ。
怖い――そもそも魔力自体、全部怖いけど。
それでもわたしは一歩、踏み出した。
ノルンさんは横に控えながら、それでも緊張した表情を見せている。
眠っているマルクト様におそるおそる手を伸ばしながら――わたしは、ふと思った。
この子って、ずっとこんな風にみんなに触れられてきたの?
ノルンさんも、きっとマルクト様を可愛く思ってるはず。会話の端々からそれがにじみ出てた。
それに話を聞く感じ、当主様も奥様も可愛がってるんだよね??
関係も悪くなさそう。 それでも、きっとこの魔力のせいでだっこすらしてあげられなくて、触れられない。
(……きっと、さみしいよね)
なんだかしんみりしちゃった。
鼻の奥がツンとする。恐る恐る触ろうとしてたことが、なんだか坊ちゃんに悪い気がした。
(ええい! もう、いいや! 痛い目に遭ってもいい!)
「……大丈夫だよ、マルクト様」
声をかけながら、わたしはそっとまだ幼いその頬に手を伸ばした。
柔らかな頬にそっと触れる。
うぉっふ! ふかふか……すべすべ……つるつる!!
そして――何も、起きなかった。
暖かい。
小さな命の鼓動が、手のひらを通して伝わってくる。
「……!」
ノルンさんが、目を見開いた。
「リーヴェさん……あなた……!」
まるで魔法をつかったかのような驚きにみちているその表情に、ええと……といいながらもじもじわたしは口を開く。
「ええと、その……。わたし、うまれつき魔力がないんです。だから、きっと……マルクト様の力にも、影響されないのかなぁ~……って……」
「魔力が……ない?」
「えへへ……はい、まぁ、あの……そう、です……」
へらりと笑うしかなかった。
この世界で「魔力がない」がとんでもないことなのはわかっている。ノルンさんがあっけに取られているのがわかるけれど、いずれわかることだし、あとから「やっぱり魔力がない者なんて雇えません!」なんていわれたら泣いちゃうもん。
今、言っておいたほうがいいと思った。
「あのぉ……魔力がなくても、わたし、雇ってもらえますか?」
驚きと、安堵と、どこか感動すら入り混じった表情で、ノルンさんがわたしを見つめている。
そして「ええ」と一つ頷いて、「だ、旦那さまと奥様にご報告を……!!」と部屋から駆け足で出て行った。
残されたわたし、そしてマルクト様。
その時、ぱちりとマルクト様が目を開けた。
「……!? おまえは?」
そうなるよね。そりゃそうだよ。
突然しらない女が自分に触ってたらそりゃあ怖いよね……。
警戒を孕んだ漆黒の瞳がじっとわたしを見つめる。うん、かわいい。でもそれは、大人の魔術師たちさえ畏れる色。髪のプラチナブロンドの白が神々しくて――かわいい。
そう、魔力のないわたしのとってはこの”色”も関係ない。
めちゃくちゃ可愛い。何の問題もない!
天使は寝ていても天使だけど起きていても大天使です!!
「はじめまして、マルクト様。わたしはリーヴェ」
できるだけ柔らかい声を出してにっこりと笑う。警戒心を解くように、できるだけゆっくりと、穏やかな声で。リーヴェ、と幼い口がわたしの名を繰り返す。
「わたしがこれから、あなたのお世話をします。どうぞ、よろしくね」
正式にはまだ雇われてないけど。と心の中で付け足して――雇われますように、とも付け加えつつ――わたしは笑ってみせる。
「…………」
あっけにとられたマルクト様は、ただ私を見つめている。
そして頬に触れているわたしの手に小さな手を重ねて、泣きそうな顔で笑った。
「あったかいな……。だれかに、さわってもらえるのなんていつぶりだろう……」
「!」
「父上が、ふれてくれた。でも父上の手が、痛そうで」
「……マルクト様」
「母上も、そうだった――傷つけて、しまうから」
その言葉に今までを考えてわたしは再び鼻の奥をツンとさせた。
正直泣いちゃいそうだった。
今まで、触れあってもらえなかった分、わたしがこの子を可愛がる! 守る!
「じゃあ抱っこしちゃいますね!」
「え?」
よいしょっと、そのベッドからマルクト様を抱き上げる。
ぎゅうと首筋に手を回してもらって、わたしはその身体を抱きしめた。
誰にも抱けなかった子を、わたしが抱けた――ただそれだけで、胸の奥に小さな灯がともった。
これは、きっと運命なんだ。
魔力のない、わたしにしかできない仕事――この子を、愛し、守ること。
「リーヴェ」
そっとわたしの名前を呼ぶ坊ちゃんの声が可愛くてかわいくて。
わたしはそっとその髪を撫でて頬を摺り寄せた。
「坊ちゃん、これからはわたしがずーっと一緒にいますからね!!」
わたしたちは顔を見合わせて笑いあった。
そう、20年後、あんなことになるとは夢にも思わずに――――。
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