第2話 黒の館
「ここが……黒の館」
上の方まで見ようとすると、首が痛い。そして奥の方までみようとしても視線が届かない。
わたしの新しい職場――になるといいな――な黒の館は、めちゃくちゃ広かった。
ニグラード邸――通称・黒の館は、わたしが思っていたよりずっと広くて、ずっと静かだった。
恐ろしい黒魔術師たちが住まう場所。日の差しこまない影の家。そんな噂まで聞いていたのに、門をくぐった瞬間に感じたのは、冷たさじゃなくて澄んだ静寂だった。
うん、すごく清廉な気分。昔の世界の空気で言うと、お寺とか神社とかそんな雰囲気だ。
中庭には霧がうっすらとかかり、整えられた石畳の間から咲く白い花が、朝露を受けて微かに揺れている。まるで誰にも踏み荒らされることなく、ひっそりと息づく世界。そんな印象を受けた。
呼び鈴もなにもないから勝手に正門から入っているけれど、これ、大丈夫だよね??
「お、お初におめにかかります! わたし、リーヴェと申します!! ギルドの依頼を受けてきました! よろしくお願いします!!」
正門の先、館の前につけられた門の呼び鈴を鳴らし、震える声で名乗った。
可哀想なくらい声がふるえていて心の中のわたしが「しっかりしろ!」って叫んでる。
わたしの声に返事はなく、館の重厚な扉は急に開いた。軋む音が鳴ると思っていたわたしはあまりにも滑らかなそれに、思わず息を呑む。魔術なのかな。すごい。
恐る恐る足を踏み入れると、螺旋階段のある玄関ホール。いかにも立派な館然したその入口には背筋を伸ばした女性が立っていた。
いわゆる白黒のメイド服にロングスカート、清楚な出で立ちだ。
「ようこそ、おいでくださいました。私は奥様付きの侍女・ノルンと申します」
亜麻色の髪をひとつに結い上げた優しそうな女性だった。栗色の瞳をした、穏やかな笑みの美しいお姉さん。真っ黒なローブを着た人が「キヒヒヒ…」とか言って現れるかと思ったわたしは拍子抜けした。
ノルンさんは、歩み寄るとそっとわたしの手を取った。
「遠方よりお疲れ様でした。すぐにマルクト坊ちゃんのところへご案内いたしますね」
その優しい声に、少しだけ緊張がほどける。
でも、まてよ。
坊ちゃん?
マルクト坊ちゃん。
その――あの――その方が、触れる者全部傷つける、その噂の坊ちゃん??
(怖い……なんて言ってられないけどやっぱり怖いよ……! 魔力もちの人たちがそんなにケガさせられてるっていうのに……)
今更ながら「魔力がないなら大丈夫なんじゃないの」なんていう楽観的な考えが心配になってきた。
(わたし、もしかしたら死んじゃったり……?!)
お父さん、お母さん。リーヴェ15歳、いい人生でした……じゃなくて。
でも、わたしが大量のお金を稼ぐなんて、これくらいのことをしないと……!
「こちらでございますよ。迷子になりやすいのでご注意を――ふふ、奥様は最初に嫁がれた際に迷われておりまして……かわいらしかったですわ」
にこにこと思い出し笑いをするノルンさん。
奥様――ええと坊ちゃんのお母さまにあたる人だよね?
どんな方だろう……と思いながら、歩く黒の館の内部が想像と全然違うことにわたしはびっくりしていた。
だって「黒の館」だよ??
真っ黒な真っ暗な「キヒヒヒヒ」を想像するに決まってるじゃん?!
でも廊下には深緑の重厚な絨毯が敷かれ、窓の外には手入れの行き届いた庭が広がっていた。花々が咲き乱れている、というよりは薬草とかそういった類のものが広がる畑って感じだけど――思っていたような陰鬱さはなく、むしろどこか落ち着く空間。
だけど――。
「坊ちゃまにお会いになる前に、ひとつだけお話しておきますね」
ノルンさんの声が少しだけ真剣な色を帯びた。
「これまで、何人もの乳母や魔術師が、坊ちゃんの世話に参りました。でも皆……触れた途端に激しい力で拒まれてしまうのです」
「……拒まれる、って? どういうことですか?」
「魔力の力ではじかれてしまうのです。マルクト坊ちゃんの魔力は、あまりに強すぎて……普通の人間には耐えきれません。抱き上げようとするだけで体が焼けるような痛みに襲われてしまいます」
「……」
「最悪、命の危険も」
「ヒェ……」
言っちゃった! ヒェっていっちゃった……!
思わず口元を手で覆う。
不敬だ!って殺されないかな、とビクビクしていたけど、ノルンさんは聞き流してくれたみたい。
「ですから、無理だと思ったらすぐにお下がりくださいね。リーヴェさんが傷つくのは、当主様も奥様も、それにマルクト坊ちゃん自身も望んでおりません」
丁寧な口調のノルンさんの優しさが、余計にわたしを緊張させた。
魔力ではじかれる。
拒まれる。
でも、確かにはじかれる「魔力」がなければ、どうなるんだろう?
わからないけれど――わたしは、まだ見ぬ坊ちゃんに思いを馳せながらノルンさんのあとを迷子にならないように懸命についていった。
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