後日譚⑤ わたしに出来ること③
夜。
わたしは、今日は夫婦の寝室ではなく、かつて乳母として使わせてもらっていた自室にいた。
マルクトとどう顔を合わせていいのかわからない。
普段とは違う、小さなベッド。
厚いカーテンに閉ざされた窓。
蝋燭の炎がわずかに揺れている。
寝間着の上にふわふわのショールを羽織っていたけれど、寒さは全く消えなかった。
ベッドの端に座り、膝を抱える。
知らないうちに潤んでいた瞳が、滲んだ光を映していた。
(マル……)
思い出すのは、彼の悲しそうな顔ばかりだった。
わたしを守るために、彼は、たぶん、必死だったんだ。
実際、わたしは”任務”に赴いたことがない。
多分魔力が”ない”人なんて、耐えられないくらい、激しい戦いになるのかもしれない。
そう思ったら、マルの態度だって当たり前なわけで。
なのに、わたしは――自分のことばかり考えて。
「……ごめんね……」
掠れる声で呟いた。涙が頬を伝う。止まらなかった。
(わたし、ほんとにマルに心配ばっかかけてるなぁ……)
謝らなきゃ。
それに、ちゃんと話さなきゃ――。
■
逃げていちゃ、だめだって気づいたから。
わたしは、ぎゅっとドアノブを握りしめた。
胸の奥が、ずっとざわざわしている。
謝りたい。ちゃんと、顔を見て伝えたい。
でも、怖い。
それでも――
勇気を振り絞って、夫婦の部屋、その扉をそっと開いた。
扉が軋む音が、やけに大きく聞こえた。
それに反応するように、ソファーに座っていた人影が、ゆっくりと顔を向ける。
プラチナブロンドの髪が炎にきらめいた。
「……リーヴェ」
低く、かすれた声。
黒曜石のような瞳が、わたしを見つめる。
マルクト。
わたしの大好きな、大切な、旦那様。
彼は、長身を少しだけ丸め、暖炉の前にうずくまるように座っていた。
普段はピシッとした軍服を着ている彼だけれど、今は柔らかな室内着をまとっている。
すっきりした首元に、プラチナの髪がさらりと落ちて、やけに儚く見えた。
(こんなに、寂しそうにしていたんだ……)
胸が、ぎゅうっと締めつけられる。
わたしは、そろそろと彼に歩み寄り、そっと彼の正面に膝をついた。
マルクトは、驚いたように目を瞬き、けれど、何も言わずにじっとわたしを見下ろしている。
わたしは、両手で彼の手を包み込んだ。
少し、いつもより冷たい。
「……ごめんね、マル」
震える声が、ようやく漏れた。
「わたし、あなたのこと、ちゃんと信じてたのに。……大事に思ってくれてるって、わかってたのに。わたし、すごく……すごく意地になってたの」
ぽたり、と。
涙が、一滴、マルクトの手の甲に落ちた。
マルクトの長い指が、そっとわたしの頬を拭う。
「あなたの隣っていうことに、浮かれてしまったの――任務の過酷さも、あなたの心配もしらないで。わたし、思ってた以上に、あなたに守られてるだけっていうのがすごく悲しかったみたい」
「かなしい……?」
「うん……。だってわたしも、マルのことが大好きだから。だから、わたしもあなたの役にたちたい、貴方を守りたいの」
言えた。言えたぞー!
ないちゃったけど、ちゃんと言えた。
ぽたぽた涙が伝うけど、わたし、頑張った!!!
「……俺も、悪かったです」
低く、掠れた声。
「君を守りたい気持ちが強すぎた。……だから、リーヴェの願いを無視してしまった。君の気持ちを、ちゃんと聞かなかった」
マルクトは、強く、強く、わたしを引き寄せた。
抱きしめられる。
わたしの頬が、彼の胸に触れた。
(あったかい……)
鼓動が、耳に伝わってくる。彼も、震えていた。
「君を失うくらいなら、……君に嫌われてもいいって、本気で思ったんだ、でも――やっぱり嫌だ」
彼の声が、かすかに震える。
わたしは、胸が痛くて、苦しくて、たまらなくなって――マルクトをぎゅっと抱きしめ返した。
「マルを、嫌いになんか、なるわけないよ……っ」
顔を上げると、彼の黒い瞳と、まっすぐに目が合った。
マルクトは、目を伏せることもなく、ただ真っすぐに、わたしを見ていた。
すうっと顔が近づいてそっと、柔らかなキスが降ってくる。
頬に、ではなく、唇に。
甘くて、優しくて、震えるようなキスだった。
わたしも、目を閉じて受け止める。
(ああ……大好き……)
胸いっぱいに、熱が満ちていく。
「リーヴェ……愛してる。君が俺の妻でいてくれることを、本当にうれしく思う」
マルクトは、低く囁き、
再びそっと、今度はもっと深く、わたしにキスをした。
震えるほど、あたたかい。
わたしは彼の首に腕を回し、彼のぬくもりを一心に抱きしめた。
(続)




