後日譚⑤ わたしに出来ること①
「……リーヴェ、王宮からの通達がありました。あなたも一緒に任務に赴くようにと」
「ふぐ?」
部屋に入ってきたマルクトの声音は、暖炉の炎のように静かで、けれど、どこか張りつめていた。
わたしの返事が変な声なのは、びっくりしたのとちょうどココアを飲んだその瞬間だったからだ。
別にいつも返事が変なわけではありません!
ここは居間。
壁にかかる古びた絵画、ふかふかのソファ、あたたかな暖炉。キッラキラのガラスのランプに照らされて、闇の中でも柔らかい光が漂っている。ニグラードのお部屋は「黒の館」といわれるだけあって大体どの部屋も暗めではあるんだけども、落ち着いた暗さでこう…「キヒヒヒ……」と黒マントに骸骨がでてくるような暗さではないのだ。
落ち着くし、センスがいい。
帰宅したばかりのマルクトは、国家魔術師様の中でもなんかすごい人しか着られないらしい煌びやかで重たい外套を脱ぎながら、わたしに視線を向けた。
「今回の任務には、古書の解読が必要になるかもしれないと、王宮が判断したそうです」
わたしは、ぱちりと瞬いた。
「……え、ということは……わたしも、その……役に立てる!?」
かすかな期待が、胸に灯った。王宮がわたしを必要としている――いや、それ以上にちゃんとした仕事を得て、マルクトの隣に立てるかもしれない、というこの喜び。
「はい」
「やったー!! 任務の日っていつ!?」
マルクトは、低く答える。けれど浮かれたわたしに続けた次の言葉が、小さな希望を容赦なく打ち砕いた。
「――ですが、俺が棄却しました。リーヴェを連れて行くことは、ありません」
「ええっ!?」
その瞬間、胸の奥が、びりびりと痛んだ。
「ど、どどうして……!」
思わずカップをおいて立ち上がる。わたしは思わず、声を荒げていた。
「ま、マル! それってあなたが勝手にきめることじゃないでしょ!?」
「妻の動向は夫が決めるものです」
うぐぐこの世界のうっすら男尊女卑なのよくない……いや、マルの唯我独尊っぷりからして王様相手でもねじ伏せた可能性あるぞ。
そう思いながらも立ち上がり、わたしは目の前のマルクトを見上げた。大きい。背が高い。すらっとしてる。格好いい――じゃなくて。
彼はいつも通り、端正で、静かな顔をしている。でも、その黒い瞳の奥には、何か硬く凍りついたような決意が滲んでいた。
瞬時に私は判断する。
あ、これダメな時のマルだ。
頑固一徹。昔からこの目の時は、絶対に引かない。
「危険すぎるからです」
「でも、でも……わたし、役に立てたかもしれないのに! 実際役に立てるんでしょう?」
ダメだって、わかってるけど、必死で叫ぶ。胸が苦しくて、呼吸が浅くなっていく。
(役に立ちたかった。マルクトの、隣にいたかった。何より――)
魔力”なし”でも、ちゃんと役に立てるって、証明したかった。
「たとえどんな王命であったとしても、俺はリーヴェを危険な場所へ連れて行くつもりはありません。他の古書解読員を連れていきますから」
マルクトの声は、酷く冷静だった。
それがまるで、わたしを子どものように扱っているみたいで、耐えられない。
普段だったら引き下がっていたかもしれない。
でも、我慢できなかった。
「……わたしの気持ちは、どうでもいいの……?」
「リーヴェ?」
言った途端、胸が張り裂けそうになった。けれど、止まらなかった。
「あなたと並んでいたくて……あなたの助けになりたくて……! ずっとがんばってきた! 魔力がなくてもいいって言われたってずっと苦しかった。そんなの、あなたみたいに」
有り余る魔力がある人には絶対にわからないよ!
そう、言いそうになってハッと口をつぐんだ。
幼いころから多すぎる魔力に翻弄されて、誰にも触れてもらえず苦しんできたマルクト。
彼にそんなことは――絶対に言えない。
でも、わかってしまったんだろう。マルクトは、ふいに顔を歪めた。
黒い瞳に、苦しげな色が浮かぶ。
「リーヴェ。……そうですね、俺には魔力がない気持ちはわからない。ないほうがいい、と思うほどには……俺は、魔力に満たされ過ぎている」
掠れるような声だった。
言ってないけど、言ったようなもんじゃん!!!
やってしまった。
冷水を浴びたような冷汗がさあっとわたしの背を流れていく。
「でも、今回の件は聞けません。リーヴェが危ない目に遭うより、ずっとマシだ。嫌われたっていい」
(――そんな……)
全身から、力が抜けた。すとん、と再び居間のソファーに座り込むわたしを見て、マルクトが唇をかんだのがわかった。
(マルクトは、わたしを守ろうとしてる。わかってる。……でも、それでも、やっぱり、寂しいよ)
守られるだけなんてやだ。
マルクトの気持ちもわかる。わかってる。
わたしを大事に、本当に大事にしてくれてるんだって――でも。
「そう……なんだ」
「…………」
マルクトも、それ以上何も言わなかった。重苦しい沈黙だけが、部屋いっぱいに広がる。
そして彼は静かに居間を出て行った。
―――
どれくらい、そこに座っていただろう。
「リーヴェさん?」
上から、ふわりと優しい声が降ってきた。
顔を上げるとそこには、薄い水色のナイトドレス姿のシア様が立っていた。
マルクトと同じプラチナブロンドの髪が夜の光に淡くきらめき、紫の瞳が、心配そうに揺れている。
暖炉の火に照らされるそのお姿はまさに天使だった。
「何か、あったのね? マルクトのこと?」
「……あ、あの……っ」
「ああ、泣かないで……、これを」
そっとハンカチを差し出され、堪えていたものが、決壊した。
「う、うう、マルクトに……わたし、……っ、王命で、でも、つれて、いってもらえなくて」
(言葉がうまく……出てこないよ……)
シア様に心配かけたくない。そう思うのに、涙が、ぽろぽろと零れた。
冷静に考えれば、王命が出て浮かれてたのに、マルがそれを勝手に断っちゃって、それでわたしが拗ねてるっていう、ただそれだけ。
ホントにそれだけのことなのに。
(いろんな気持ち、混ざっちゃってうまく言えない……)
何を言っているのか、自分でもうまく言葉がつながらない。
シア様は、何も言わずにそっとソファに座ると、わたしの背を抱きしめてくれた。
「ゆっくりでいいのよ、リーヴェさん。ゆっくり、話して」
「はひ……」
鼻がずるずるする。めっちゃ汚い。ハンカチについちゃうし申し訳ないし、涙も止まらないし。
でもシア様の小さいけれど優しい手が、背中を撫でてくれて――ちょっとだけ落ち着いてきた。
「シア様ぁ……」
わたしは、ぐしゃぐしゃに泣きじゃくりながら、そのあたたかさに縋った。
(続)




