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後日譚④ 誰がために①

 風がやわらかく吹き込む日だった。

 うん、絶好のお散歩日和!

 でもわたしは、ノルンさんと書庫で古語の資料整理をしていた。

 ほら、やっぱりお仕事ってだいじだからね!

 引きこもってるばっかってわけじゃ、ない……ないです!たぶん。


 日差しが小さな窓辺に落ちて、背後を温かく照らしていて気持ちいい。

 指先に紙のざらりとした感触が心地よくって、集中しているとつい時間の経つのも忘れてしまう。


「リーヴェ様、お疲れではないですか?」

「はい!大丈夫です……」


(ん……??)


 その時、ふとした拍子に聞こえてきた話し声が耳に届いた。

 聴きなれない声。おそらく訪問者だろう。

 ここ”黒の館”――ニグラード家は黒の魔術師の中でも名家なのでちょこちょこお客様がいらっしゃるのだ。


「それにしても、国家魔術師筆頭って……やっぱり怖いわよねぇ~」

「ねえ。マルクト様、あんなに若いのに」

「でもあれだけの魔力、納得よ。あれが“灰”の実力ってやつよ」

「さすがねぇ、ほんっと」

「いやになっちゃうわ、黒も白も使えるなんてねぇ」


 国家魔術師筆頭――マルクト。

 その名に、わたしとノルンさんの手がぴくりと止まった。


 大事な大事なこの家の若旦那様への噂話を、まさかこんな辺鄙な書庫の中でそこの若奥様が聞いているとはこの来訪者たちも思うまい……。

 まぁしょうがないよね。実際にマル、対外的にめちゃくちゃ不遜だし、愛想悪いし、強いのもほんとだし。

 はぁ、とため息をついたその時だった。


「リーヴェ様」

「どうしたの、ノルンさん?」

「……処します?」

「?? ヒェ……」


 ノルンさんの目が、本気だ。

 現当主でマルクトのお父様、エルナド様の幼いころからニグラード家に仕えている(何歳なんだろ……)ノルンさんの目が怖い。思わず変な声を上げながら、わたしはぶんぶんと首を振ってしまった。


「だ、だってマルさぁ……ほら、まぁ実際ちょっと、ほら、愛想、ないし?」

「それとこれとは別問題でございます」


 それはそうだけどさぁ……しょ、処しちゃだめだよ……!

 とりあえずぶんぶんと首を振り続けてわたしはなんとか来訪者の命を救った。

 感謝して欲しい!!!


(でも……意外なんだよねえ……)


 わたしが20年寝ている間に、彼が国家の頂点に立つ魔術師たちの中でも筆頭の座に就いた、ということは知っていた。けれど、いまだに少し実感がわかない。


 幼いころから、マルはもともと人の上に立ちたい性格ではなかった。

 子どもの頃から、特殊な体質だったのもあって群れよりも独りを選ぶようなところがあったし。

 野心家というよりは、静かな研究者肌だと思ってたんだよね。

 だから、思わず独り言のように呟いてしまった。


「でも、あんまり国家魔術師筆頭様って柄じゃないよね、マルって。強いからって理由でも、そういうの断りそうなのに……」


 ぽつりと出たその言葉に、ノルンさんの長い睫毛の奥にある金茶色の瞳が、ふっと細められる。


「……言ってしまっていいものか、迷いますが」

「え? なに?」


 ノルンさんは椅子の背に軽く手をかけてから、静かに口を開いた。


「国家魔術師筆頭。それは王都の禁書に最も近い存在です。王都の深部にある禁書の間――そこに収められた知識は、国家が存在する限り守られ続けてきた秘中の秘。ごく限られた者しか入れません。そのうちの一人が筆頭魔術師であり……その立場に、マルクト様は“わざわざ”就かれたんですよ」

「……え……?」

「リーヴェ様を目覚めさせる方法を探るために、です」


 世界の音が、一瞬止んだようだった。

 耳の奥が詰まったような、心臓の音が遠ざかるような感覚。


「そ、そんな……? だって、それって……」

「マルクト様は、私の知っている限り少なくとも二度、王家に頭を下げました。王家と交渉をし禁書の間の権限を得るため。そしてもう一度は、皇国との政略結婚を断るために。そのために、己の身と才を交換条件に差し出したのです。筆頭魔術師の座に立つことなど、あの方にとっては名誉でも野心でもない。ただの“リーヴェ様への道”だったのです」

「……」


 わたしは、言葉を失っていた。

 その間にも、ノルンさんは優しく続ける。


「眠るリーヴェ様のそばに立ち続けながら、マルクト様はずっと探していたのです。何か一つでも手がかりになる文献があるかもしれない。自分の地位と力をの全てを使ってリーヴェ様を救うと――。あの方は、ずっと、ずっとリーヴェ様だけを見ていたのです」


 手にしていた資料が、すっと滑り落ちた。

 何枚もの紙が、風にひるがえって床を舞った。けれどそれを拾う気にもなれなかった。



 あたたかな日差しのなか、わたしの心には冷たい何かが差し込んでくる。


「わたし……なにも知らなかった……。どうしよう」


 指先が震える。視界が滲む。

 あんなに笑ってくれていた。あんなに穏やかにそばにいてくれたのに。

 その裏で、どれだけの苦労と――どれだけの、孤独と、覚悟を、マルは抱えていたのだろう。


「リーヴェ様、申し訳ございません」


 ノルンさんが辛そうな目をしている。

 ううん、とわたしはおもいきりかぶりを振った。


「教えてくれて、ありがとう、ノルンさん」


 重ね重ね、もうしわけございません、と断って、それでもノルンさんは目を伏せた。


「でもそれでも――マルクト様の御心をリーヴェ様には知っていて欲しかったのです。どうか、知ってあげてください。あの方がどれほどあなたを想っていたかを」




 ■



 わたしは王城の敷地内にある、マルクトのいる国家魔術師の塔に向かっていた。

 今日は任務ではないはずだし、ここに詰めているはずだ

 ノルンさんの言葉が、まだ耳に残って反響する。


『眠っているわたしを目覚めさせる方法を探すためだけに、マルクトは筆頭魔術師になった』


 それは――とても重い事実だった。

 なのにわたしは、ずっと何も知らなかった。


(……マルに、会いたい)


 会って、何が言えるかなんてわからないけど。

 でも、それでも――声にならない声が喉の奥で震えていた。





ちょっぴりシリアスめなお話。

本編だとサラッと流されてたところです。

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