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後日譚③ 声と愛と呪いの本①

 ある日突然、わたしの声が出なくなった。



 朝、喉にかすかな違和感があった。夢の中でも何かを叫んでいた気がする――けどイマイチ思い出せない。

 ふと目を覚まして、隣に眠るマルクトの髪に指を伸ばしてみる。

 白金の柔らかな髪が、夜明けの光を浴びてやわらかく揺れる。

 その寝顔に「おはよう」と声をかけようとして――


 何も出なかった。


(ええ………っ????)


 困惑しつつ、喉に力を込めてもう一度。

 改めて声を出すってことを考えながら口を開いてみる。

 けれどただ、乾いた息が唇の間をすり抜けるだけ。息はある。痛みもない。なのに、声が、出ない。

 目を瞬かせて、もう一度。やっぱり、出ない。


(な、なになにこれ……何なの?!)


 小さく震える指でマルクトの肩を揺する。

 彼はすぐに目を開き、わたしの様子に気づいてすぐに飛び起きた。

 マルは朝があんまり強くないのだけど今日はさすがにありがたい。


「……リーヴェ? ……どうした?」


 わたしは口を動かしてみせた。


「……声が……出ない?」


 頷くと、マルクトの顔から血の気が引いていくのが見えた。

 布団から身を起こした彼の手が、迷いながらわたしの喉元に触れ、そしてすぐさまドアを開けて出ていく。


(……こっちの世界でも声が出ないって、なんか相当なことなんだなぁ……。風邪かなぁ?)


 寝起きの中、そんな呑気なことを思うわたし。

 だが思っていた以上に、この件は深刻な話だったのだ。



 ■



 館中が、わたしの喉のために動き始めた。

 薬草に詳しいノルンさんは、何種類もの薬草茶や、蜂蜜漬けの果実、喉にいいとされる香草の吸入まで用意してくれた。あれこれ一気に試したため、わたしの寝ている夫婦の寝室はすごいにおいだ。



「そもそも声が出ないという状態はとても危険なのよ。声がでないと、魔術が使えないでしょう?」


 そういってわたしを診察してくれているのは、マルクトのお母さまで癒しの白魔術の使い手であるシア様だ。

 そっと首に触れられ、心配の色を載せたその紫の瞳がきゅっとひそめられる。


「?」

「リーヴェは魔術を使わないのでピンと来ないかもしれませんが、魔術を使うときに俺たちは『詠唱』という方法を取っています。詠唱できなければ術が発動しませんから、声が出ないことは大問題……なにか恐ろしい術式が施されている可能性があります」


 隣にいるマルクトの説明になるほど、とわたしはコクコク頷いて見せた。

 だからみんなこんなに慌ててるんだ。

 シア様はそっと手に白い光を纏わせる。わぁ~あったかい……白魔術の癒しの光。

 でも結局ただ心地いいだけで喉は治らなかった。


「母上の白魔術でダメなら、魔術での治癒はむずかしそうですね」

「そうね……」


 そう呟いたシア様の声にうなだれるマルクトの顔色がみるみるうちに険しくなっていった。

 口元を硬く結び、怒っているようにも見える。だけどその眼差しは怒りではなく――焦りと、痛みの色に染まっていた。


「リーヴェ、何でもっと早く言わなかったんですか」


 詰問するような口調でマルクトにそう言われ、わたしは口をへの字に曲げる。

 今朝起きたばかりのことだ、むしろ最速で彼には伝えている。

 確かに声が出ない、ってことに対しては自分でもまだ混乱していたし、まさかこんなに大ごとになるとは思わなかったし。でもそれを伝えようとしても、声が出ないのだから――どうしても伝わらない。

 筆談ならできるかな、と紙とペンを探していると、そっと手を握られる。


「?」


 見上げると、マルクトの瞳にうっすらと涙が滲んでいた。

 マル、泣かないで、と口の動きだけで伝えるとマルクトはぐいっと乱暴に瞳をぬぐった。

 あああ坊ちゃん、目が赤くなりますよ、と乳母時代の癖で心配になる。


「俺の……無力さが悔しい。俺が灰である意味が、こういうときにこそ発揮されるべきだったのに……っ」

「マルクト、落ち着きなさい」


 シア様だった。ゆるく首を振り、じっとマルクトを見上げる。


「あなたが取り乱したら、リーヴェさんの心が余計に落ち着かなくなるでしょう?」


 その一言に、マルクトはうつむいた。

 わたしとマルクトを等分に見て、シア様は一度頷く。


「大丈夫。あなたはリーヴェさんのためにできることを一つずつしてあげればいいのよ、焦らないで。わたしたちもついているのだから」


 その言葉に、マルクトはゆっくりと頷いた。

 ありがたさしかない……、という視線でシア様を見つめる。にっこりとほほ笑むその姿――天使!



 まぁなんとかなるだろう、とわたしは持ち前の呑気さで日々を過ごしていた――けれど。

 数日が経ってもわたしの声は出ないままだった。



(続)



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