後日譚② 仕事がしたい!①
黒の館の朝は、静かに始まる。
石造りの廊下に差し込む光は、どこか厳かで、それでも毎日の営みを淡々と告げるような柔らかさがある。
私はその静寂の中、ひとり廊下を歩きながらそわそわしていた。
マルクトは今日も朝早くから国家魔術師様としてのお仕事。
乳母だった名残で部屋の掃除だとかそういった雑用をしようとはするのだけれど、「若奥様がそんなことするなんて!」とかつての同僚に怒られながら道具をとりあげられてしまっていた。
そんなある日。手持ち無沙汰なわたしを見かねたのか、奥様であるシア様、そしてそのシア様付きの侍女であるノルンさんが朝のお茶会に誘ってくれたのだった。
「リーヴェさんとなかなかゆっくり話せなかったから嬉しいわ」
そう言って微笑むマルクトのお母様にあたるシア様は、めちゃくちゃ優しい。妖精のような小柄なその姿とマルクトと同じ(というかマルクトがシア様に似たんだけど)プラチナブロンドの艶やかな髪がキラキラと朝日に照り映えている。
絵になるってこういうことぉ……朝から目に優しい。
そんなことを思いながらわたしは紅茶をすすった。
「最近はどうなんですか、リーヴェ様?」
「あのぉ……仕事が、したいんですよね」
「お仕事?」
「はい!」
話題を振ってくれたノルンさんとシア様にわたしは思いきって相談してみた。
ふたりの視線がぴたりと私に向けられる。
シア様は、細く折れそうなその小首をかしげ、隣で栗色の髪をきっちり結ったノルンさんは、やんわりと微笑んでいるけれど目の奥が全然笑っていなかった。
「……リーヴェ様が、お仕事……ですか? どんな仕事をお望みで?」
どこか緊迫した雰囲気漂うノルンさんの問いに、わたしはええっとですね……と考えてみる。
この世界にはもちろん色々な仕事があるが、たいてい……どころか魔力があるのが大前提なことが多い。
「えっと……魔力がなくてもできるようなものしかできませんけど、わたし、みなさんの役に立ちたいんです! たとえば書類整理とか、台所の手伝いとか……なんでも! ノルンさんのお手伝いでもなんでもしますよ!?」
わたしはテーブルの上に手をついて前のめりになった…けど、ノルンさんは困ったように眉を下げ、真顔で言った。
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
「えええっ?! わ、わたし、ここに乳母として来る前から色々な雑用はしてました。そこそこお役には立てるかなって」
「いえ、そういう意味ではなく。リーヴェ様に何かあったら、マルクト様が暴走なさるのが目に見えておりますので」
ノルンさんの表情には「マルクト様のせいです」とでかでかと書いてあった。
「ぼ、暴走……?」
「たとえば包丁で指先を切られただけで、台所の全使用人が詰問される未来が視えます。『リーヴェの美しい白い指を傷つけた包丁はどれだ』、『道具の管理を怠ったな、誰の管理下だ!』……ほら、想像できますでしょう? 料理長の不憫な顔が」
ひいぃ、と私は小さく叫び、背筋を伸ばした。
想像できない、と言えないのが辛い。
マルクト、そういうとこある。
そんな未来、想像しただけで胃が痛い。でも、それでも……と続けようとしたとき、優雅な声が加わる。
「……そうね。あの子が暴走したら、正直わたしでも手に負えないもの」
「エルナド様が不在の時でしたら、黒の館自体がおわりますからね」
「そうねぇ」
シア様まで真顔だった。
えっ、当主様まで出てくるやつ…????
「いえ、あの……それは、さすがに悪いですね。で、でもマルクトは国家魔術師としてバリバリ活躍してるのに、わたしだけが館でお昼寝してるだけで申し訳なくて……」
わたしの声はどんどん小さくなっていった。まるで言い訳みたいで、自分でも情けない。
「でもリーヴェさん、あなたがこうして起きていてくれるだけで、わたしもマルクトも……みんな幸せなのよ」
シア様が微笑んだ。やさしい、けれどどこか寂しげな目だった。
「リーヴェさんはね、この家の平和の象徴なの。マルクトだけじゃないわ。リーヴェさんが笑っているだけで、どれだけ救われるか」
「それは、嬉しいです。でも……」
でも。
何もしないでいるのは、どうしても落ち着かない。私は誰かの役に立ちたかった。
「ごめんなさい、贅沢なこと言って」
「そんなことないのよ、むしろこちらこそごめんなさい。何かいいお仕事があればいいんだけど……わたしも考えてみるわ」
そういってシア様は腕を組む。
わたしも心の中で、決意した。
何かできることを、探そう。
魔力がないからって、ただの飾りでいるのは嫌だ。
みんなのことが好き。それに、正式に結婚したとき、わたしはこの世界で生きていくって決めたんだから。
(何か、ないかな……)
美味しい紅茶に、美味しいお菓子。優しさを噛みしめながら、わたしは考え込んだ。
(続)