第1部エピローグ:思い出の日記(マルクト視点)
俺がそれを見つけたのは、偶然だった。
いや、偶然とは言い難いかもしれない。
使用人により常に整然と保たれている黒の館が、俺とリーヴェの結婚式後の贈り物や装飾品の片付けでごたついて、館の一室――以前、リーヴェが使っていた小部屋の整理にまで手が回っていなかったから見つかったのだから。
ある意味、運命なのかもしれない。
懐かしい部屋だった。
彼女が「乳母」として過ごしていた頃のまま、小さな机に、古い木の椅子。時折遊びに行っていたことを思い出す。懐かしい雰囲気。質素でまじめな空気がそこに残っていた。
俺はたまたまその部屋に仕事で使う魔道具を取りに来て――ふと、何の気なしに引き出しの奥に細く綴じられたノートを見つけたのだ。表紙に何も書かれていない、茶色の革張りの小さな冊子。
――開いた瞬間、時が巻き戻る音がした。
『坊ちゃんは今日も元気でした。おやつを二回もおかわりして、魔力鍛錬の練習をこっそり見せてくれました。まだ五歳なのに、ほんとうにすごい子……。でも、少し寂しそうな目をするときがあって。抱きしめたら、ほっとして眠りました。こんなに小さな子なのに、こんなに強がって。胸が痛くなります』
ページをめくるたび、俺の記憶のなかで、幼い頃の自分と、変わらない優しさで微笑む彼女の姿が浮かんだ。
『魔力がない私でも、坊ちゃんのそばにいていいのかな』
『こんな私でも、彼の笑顔を守っていけたらいい』
読めば読むほど、胸がぎゅうと締めつけられた。
リーヴェは、ずっと、ずっと俺を見守ってくれていたのだ。
俺が小さな手で闇を握って孤独に耐えていたとき、そのすぐ傍に彼女のあたたかい心があった。
五年分の日記を読み終えるころには、知らぬ間に涙が頬を伝っていた。
リーヴェは、ただの乳母なんかじゃなかった――初めから俺の光だったんだ。
居間にいた彼女のもとへ歩み寄る。
「リーヴェ」
振り返った彼女の瞳に、不意に驚きが走る。俺が泣いたことに気づいたのだろう。
「どうしたの、マルクト?! 何かあった?」
何かを抱えていることに気づいたのだろう。
俺は黙って、そっとその日記を差し出した。
「……見つけたんだ。君の、日記を」
「えっ……あ、あああれ!?ちょ、ちょっと待って、あれはっ、もう、子供の落書きみたいなもので、わたしそんな――み、見たの?!」
「全部読んだ」
「やめて!!!」
ぱたぱたと恥ずかしそうに顔を仰ぐリーヴェ。その肩を優しくつかんで、俺はそのまま彼女を抱きしめた。
「ありがとう、リーヴェ。ずっと見ていてくれて。俺の全部を受け止めてくれて」
彼女の小さな体は、俺の胸の中で微かに震えていた。
「もう……恥ずかしいなぁ……。でも昔から、あなたはわたしの大切な存在だったんだよ」
その言葉に、胸がぎゅうと締めつけられる。
「……俺にとってもだ」
そっと額に口づけて、俺は彼女の手を引いた。
「ちょ……っと?!」
「読もう、一緒に」
「えええ……?!」
リーヴェは最初ものすごく嫌そうな顔をしていたけれど、しぶしぶ椅子に座り、日記のページを一緒にめくってくれた。
「……あっ、これ覚えてる! マルクトが泣いて、わたしの膝の上から絶対降りなかった日。朝からずっと抱っこしてたら腰が……」
「……あれは俺のせいだったのか。確か次の日腰が痛くて起き上がれなくて」
「うう、思い出させないでよ……」
笑いながら、でもどこかくすぐったそうに彼女は頬を染める。
「このページ……“坊ちゃんが初めて声を上げて笑ってくれました”って」
「……そんなことまで記録してくれていたのか」
「うん。今でも覚えてるよ、本当に嬉しかったの」
彼女の指先が、そっと俺の手を握る。
言葉のかわりに、ぎゅっと握り返した。
ページをめくるごとに、彼女の想いが染み込んでくる。誰にも見せなかった、誰にも渡さなかった、ただ俺だけのための記録。
「……俺のための記録、か……」
「そんな風に言われると、なんだか照れちゃうけど」
とびきり優しく微笑んでくれる彼女に、俺はもう一度、心の底から思う。
――リーヴェと出会えてよかった。
日記を閉じ、俺はそれを胸元にしまった。
「……大切にするよ、これ。ずっと」
「もう。じゃあ、鍵のついた箱にしまってね? 絶対に人には見せないで!」
「……どうしようかな」
「マルクト!!!」
そうやって、笑い合える日常が、今はこんなにもあたたかい。
むっとしている彼女の頬に手を当てて、俺は笑った。
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いったん、第一部完結となります。
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