第20話 ふたりのはじまり
大勢の人に囲まれて、祝福されて、名前を呼ばれて。
花の香りが濃くて、光がまぶしくて、まるで夢の中にいるようだった。
そして今、ようやく静かな夜がやってきた。
黒の館の奥にある、二人の寝室。
ふわりとしたシーツと、ほんのり香る花の匂いが気持ちを落ち着かせてくれる。
ようやく、ふたりきりになれた。
マルクトは、私のドレスの腰紐をそっとほどいてくれて、私は彼のジャケットを脱ぐのを手伝って、胸元の花飾りと固い襟を外してあげた
ゆっくり、少しずつ、日常の顔に戻っていく。
それでも、今夜はいつもと違う。
今夜はわたしたちにとってきっと、特別で、大切で――ちょっと、緊張してる。
そんな内心バクバクのわたしを見て、マルクトはふっと笑った。
「……式、無事に終わりましたね」
「うん、なんとか。ちょっと派手すぎたんじゃない?」
わたしは苦笑しながら、彼の髪に手を伸ばした。
プラチナブロンドの美しいの髪。
昔、まだあどけなさが残る顔で「結婚する」と言ってきた彼の姿がふと重なる。
「マルクト、なんか……大人になったね」
ぽんぽんと、頭を撫でてやる。「よしよし」「いいこいいこ」そんな言葉が自然と口をついて出る。
すると、マルクトがふいに眉をひそめてむくれてみせた。
「……この甘やかしも悪くはないですけど」
そう言うと、彼はわたしの手首を引いて抱きかかえると、ベッドにばふんと音を立てて倒れ込んだ。
布団がふわりと揺れて、彼の髪が散る。
「“坊ちゃん”は、こんなことしませんからね」
ベッドに横たわったまま、わたしの上に乗り見下すその瞳は、もう“子ども”のそれじゃなかった。
艶を帯びた黒の瞳が、まっすぐに見つめてくる。
「マルクト……」
ゆっくりと彼の手が伸びてきて、わたしの頬に触れる。
そして、ためらいなく、唇が重ねられた。
甘く、深く、熱く。
けれど、優しさのにじむキスだった。
頬がほんのり熱くなる。でも、逃げる気にはならなかった。
「……私ね、マルクト」
小さく呟いて、彼の胸元に手を置いた。
「魔力がないってこと、ずっとどこかで気にしてた。……あなたにふさわしくないって、思ってた。昔も、それは今も。たぶんこれは――ずっと、そう」
ほんとうは、ずっと後ろめたかった。でも――
「あなたが選んでくれたから。……わたし、自分のこと、ちゃんと好きになってもいいんじゃないかなって、思えたの。魔力がなくても、わたしはわたしだって」
マルクトは、黙ってわたしを見ていた。
そして、ふっと笑った。
「……そうですよ、そう言ってるじゃないですか」
そしてもう一度、キスが降ってくる。
今度は、ほんのり熱を帯びていて、息がかすかに混じる距離。
「君が魔力を持っていないなんて、俺にとってはただの事実でしかない。それに”どうでもいい”」
額をぴたりと合わせて、彼は囁いた。
「君が君であることに、意味がある。君が“リーヴェ”だから、俺は好きなんです」
胸が、きゅうっとなった。
こんなにも真っ直ぐに愛を向けられて、どうして応えずにいられるだろう。
彼の手が、わたしの肩を優しく抱く。
「大丈夫ですか?」
「……うん。大丈夫」
小さく頷いたわたしの肩に、その大きな手が滑る。
照明が落とされ、部屋の中はやわらかな影に包まれる。
肌に触れる手は優しく、くちづけは、何度も何度も。
静かに、甘く、私たちはひとつになった。
■
鳥のさえずりと、カーテン越しの柔らかな陽ざしが、まどろみの中に差し込んでくる。
あたたかい。
心地よい体温に包まれて、わたしはそっとまぶたを開いた。
視界に映ったのは、すぐそばで眠っているマルクトの寝顔だった。
きれいな顔。まつげが長くて、呼吸が穏やかで、無防備で。
子どもの頃にはなかった、すこし大人びた顔つき。
けれど、こんなふうにわたしの隣で中で眠っている姿を見ていると、あの頃の「坊ちゃん」の面影がちらりと蘇る。
「……ふふ。あんまり変わってないかも」
思わず、笑みがこぼれた。
昨夜のことが夢のようで、でもちゃんと現実で。
まだ少し、身体がふわふわと熱を帯びている。
すこし動こうとしたわたしを、マルクトの腕がそっと引き寄せた。
「……おはようございます、リーヴェ」
低く、寝起きの声が耳元にかかる。
ゆっくり目を開いたマルクトが、わたしを見つめて微笑んだ。
その笑顔が、なんだかくすぐったい。
「おはよう、マルクト」
「……昨日の続きですか? 物足りませんでした? それとも――」
「ち、ちがいますっ!」
あわてて否定する私に、マルクトはくすっと喉を鳴らして笑った。
ちょっと悪い顔。大人になったなあ、本当に。
「……でも、ほんとに、大丈夫だったんですか?」
「え?」
「触れることも、こうして抱くことも。俺、今でも少しだけ怖かったんです」
囁く声は静かで、少しだけ震えていて。
「君まで、俺に触れられなくなったらどうしようって」
その不安の深さに、胸がきゅうっとなった。
わたしはそっと、彼の頬に手を添える。
「……大丈夫」
ほんの少し身を寄せて、彼の唇にそっとキスをした。
「もう怖がらなくていいの。わたしはここにいるよ」
マルクトは少し目を伏せたあと、もう一度わたしを強く抱きしめてくれた。
「……暖かいな」
彼がぽつりとこぼしたその言葉に、わたしの胸もじんわりと熱くなる。
もう、どこにもいかない。
どこにも、いかせない。
「マルクト」
「はい」
「……しあわせ?」
「当たり前です。間違いなく俺は、世界で一番幸せですよ」
ベッドの中、布団にくるまって、まどろみのなかで交わされる朝の会話。
わたしはただ、そのぬくもりに包まれて、そっと目を閉じた。
――私はもう、「坊ちゃんのお世話係」じゃない。「マルクトの妻」なんだ。
そう思うだけで、なんだかくすぐったくて、あったかくて。
胸の奥がじんわりと満たされていく。
「リーヴェ」
「なあに?」
名を呼ばれ、振り向いて、口づけられて。
鳥の声が、また窓の外から聞こえてきた。
今日は、穏やかないい一日になりそうだ。
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