第16話 溶け合う
封印の間を解いて、わたしたちは”夫婦の部屋”に戻ってきた。
ベッドに腰かけ、どちらともなく唇がそっと離れて――ほんのわずかな距離で見つめ合った。
マルクトの黒い瞳の奥が、微かに揺れている。感情の波がまだ収まりきっていないのが、わかるほどに。わたしの頬に添えられた彼の指先は、まるで羽のように柔らかで、しかしどこか不安げな震えを帯びていた。
やがて、彼はそっと顔を近づけ、わたしの額にもう一度、唇を落とす。それは祈りのようで、願いのようで。そして、まるで許しを乞うように、手のひらでわたしの髪を撫で、頬をなぞり、背に触れる。
ゆっくりと、でもどこかぎこちなく。
わたしの肩が、少しだけ震えた。
こんなにも繊細な手つきで触れられたのは、たぶん初めてだった。
愛しさと、恐れと、憧れと、そしてなにより――渇望。
そう、これは――20年という時の重みだ。
わたしの指が、彼の胸元に触れる。彼の心臓の鼓動が、そのまま皮膚を通して伝わってきた。とても早く、でも確かに規則正しい。そっと、わたしも彼の頬に手を伸ばす。すると、彼はそのまま、わたしの手に額を押し当てた。
「……リーヴェ」
微かに震えた声だった。
「君が……君が、こうしてここにいるのが、夢のようだ」
彼の指先が、わたしの髪の流れに沿ってそっと滑る。肩、首筋、そして胸元へと、確かめるように、愛おしむように。わたしは笑った。安心させるように、やわらかく。
「……触れても大丈夫だよ」
その一言に、マルクトの身体が小さく震えた。
目を見開いて、何かを確かめるように見つめてくる。
「……本当に?」
「本当に」
わたしが頷くと、彼はゆっくりと、そっとわたしを抱きしめた。
やさしい腕の力だったけれど、その抱擁は、ずっと求めていたものだったのだと分かるほど、深くて、切実だった。
「……あたたかいな」
彼の声が、わたしの肩に落ちる。
すこし熱を帯びた吐息が、わたしの首筋に触れる。そして次の瞬間、そこにふわりと、唇が触れた。
恐る恐る、確かめるように。まるで神聖なものに触れるかのように、慎重で、遠慮がちだった。
「……君がだいじょうぶか……まだ、わからなくて……」
ささやく声は、まるで迷子の子供のように心細かった。
わたしは彼の頬に両手を添え、やわらかく笑いかけた。
「大丈夫だよ、マルクト」
そう囁いて、今度はわたしの方から唇を重ねた。
迷いも、罪悪感も、全部とけていくようなキスだった。
しばらくのあいだ、何も言わず、互いの温度を確かめ合うように触れ合い、抱き合い、重ね合う。やさしく、やわらかく、すべてを包むように。
やがて、眠るように、身体を横たえて――互いに背に腕を回す。
境界が、曖昧になって溶け合っていく。
■
夜が明けるころ、薄桃色の光が窓辺をそっと照らした。
朝の鳥が遠くで囀っている。
目を覚ますと、わたしはマルクトの胸に寄り添っていた。
彼の腕が、まるで宝物を守るようにわたしをそっと抱いている。
あたたかく、穏やかで、やさしい朝にわたしはそっと瞼を閉じた。
――なんだか、夢のよう。
でも、これは、現実。
夢みたいにやさしい、これがわたしの今だった。
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