第11話 灰の魔術師様
次の日。
朝、目を覚ますと、マルクトはもう身支度を終えていた。
「おはようございます、リーヴェ。侍女たちを呼んできます、準備してもらいましょうね」
漆黒のマントに白銀の刺繍が光る。なんかよくわからないこの立派なマントは、王国の魔術師のランクをあらわしているんだそう。彼の柔らかなプラチナブロンドも、いつもの少し寝癖のついた姿ではなく、丁寧に撫でつけられ、隙のない威厳を纏っていた。
瞳も、夜のように静かで、でもどこかいつもより冷たく見える。
「じゅ、準備……ですか?」
「はい、今日は王宮へ行きますので」
そう、何気ない調子で言われて、わたしは思わずポカンと口を開けた。
「え、お、王宮? 王様?? な、何でですか?」
「君と結婚したと、王に報告しますので」
「……えっ、王様に?」
「はい。俺は王直属の魔術師ですし、元々別の婚姻話が持ち上がっていたので」
ちょっと待って!?
今この坊ちゃん、サラリととんでもないこと言ったよね?!
え? 直属? 王様の?
あと聞き捨てならない、別の婚姻話。
「そ、それっていいんですか? なんかこう国際問題になったりしません???」
「知らないけど、なるならなるでいいんじゃないですかね。リーヴェは俺が全力で守りますから」
「えええ、あの、わたしだけじゃなくて、その」
「父上と母上も、俺たちの結婚に賛成ですから。大丈夫ですよ」
はいちょっと待って……。
気を失いそうになりながらどうにか立ち上がる。ほら「やっぱり結婚とか無理です」って言わなきゃ……と思った瞬間、わたしは部屋にわらわらと入ってきた侍女さんたちに囲まれてしまった。
「リーヴェ~!久しぶり! ああでも今は若奥様かぁ」
「ふふふ、若奥様どうぞこちらへ」
乳母時代からの知り合いがもちろん多くて……というかみんな知り合いだよ!!
嬉しそうにニコニコしてるその姿、目じりの皴に20年の経過を感じながらわたしは彼女たちに手を取られて引っ張られて衣装部屋へと連れ込まれてしまった。
「はい、リーヴェ様、こちらへどうぞ~!」
「さ、様?!」
「様に決まってんじゃない、マルクト坊ちゃんの奥様なんだから!」
あれよあれよという間に連れて行かれ、湯浴みに、香油に、全身磨き上げられ――
ぬるぬる、すべすべ、つやつや。
最後に着せられたのは、黒を基調にした、白金の装飾が煌びやかなドレスだった。なんでも黒の館の奥様の正装なんだそう。黒を基調にして白レースをあしらっているそれは、軽やかに見えるのに思った以上に重い。動きにくいし肩は張ってるし、スカートの裾も広がっていて、自分じゃないみたい。
「気品を保つためにはこの程度、当然よ!!」なんてみんなに言われたけど、正直結構しんどい。
でも鏡に映った自分を見て、思わず目を丸くした。
誰……これ……?
磨き上げられた茶色がかった黒髪はこめかみあたりから編みこまれてふんわりと肩過ぎまで流されて優美な曲線を描いている。青みがかった瞳は化粧のおかげが妙に潤んで大きく見えて潤んでいる。
肌もなんか――滅茶苦茶白い。たぶんこれは20年寝ていたせいだけど。
わたしを迎えにきたマルクトがだきしめようとして皆に衣装と化粧が崩れます、なんて止められていた。うん、正直ヒールで足がぷるぷるしてるからだきしめられたらあぶなかったかもしれない。
■
そして、やってきた王宮の大広間。
そこに立った瞬間、そのまばゆさにくらりとした。
天井は見上げるほど高く、金と宝石の装飾が眩しい。
ビシッとバシッと突き付けられる視線を受けながら、緋色の絨毯の上を、わたしはマルクトに手を引かれながら歩いていく。
その両側には武装した騎士たちと、王宮付きの白と黒の魔術師さんたち(たぶんマルクトの同僚ってことだよね?)が整列していて、なんかもう、どこ見ても偉そうな人しかいない。
息が詰まりそう。
(足……もつれそう……何これぇ……)
緊張と普段は身に着けないような衣服と、起きたばかりなのに高いヒールを履いた足がもつれそうになるのを、マルクトが支えてくれた。
その手はいつものようにあたたかい。
でも、マルクト自身はまるで別人だった。
王宮にきたときからそう。冷えた瞳、漆黒の中には光すら射さない。
無表情を貫いたまま、王の前に立ち、彼はすっと一礼し、冷ややかな声で言った。
「我が妻、リーヴェ・ニグラードをここに紹介いたします。婚姻の手続きは既にすませておりますので、ご報告にあがりました」
堂々とした、隙のない声音。
その言葉に王様は頷いてくれたけど、周囲からざわ……と反応が起きる。
――灰の魔術師様が、結婚を?
――相手は魔力なしの平民?
――帝国の皇女さまとの婚約は?
そんな目が、声が、空気が、わたしに突き刺さってくる。
でもその中に立つマルクトは、毅然と、誇り高く、堂々と美しかった。
冷ややかな黒の瞳が前を見据え、柔らかなプラチナブロンドが王宮の光を反射して輝いている。
ああ、この人は、わたしの知っている“坊ちゃん”じゃない。
乳母として手を引いてあげていた、わたしだけに甘えていたあの子じゃない。
彼は、今や国内外に名を知られた魔術の天才。
王の側近で、黒と白を超えた絶対的な存在で、世界にとって特別な魔術師。
(わたしが、手を引けるような存在じゃないんだ)
思わず後ずさりそうになる足を、必死にこらえる。
(20年――わたしを諦めないでくれたマルクトには、答えたい。でも無理だ、わたしには無理)
気が遠くなるのを感じながら、かすかに唇が震える。
彼は高みに立っている。ただの乳母が、肩を並べていい相手じゃない。
なのに――「妻」? 嘘でしょう?
息が苦しい。
喉が詰まる。
世界が遠くなっていく。
(大丈夫です、リーヴェ)
マルクトの手が、ぎゅっと強くわたしの手を握った。
冷たい王宮の空気の中で、唯一、あたたかい熱がそこにあった。
だけど――心は叫んでいた。
(結婚なんて、やっぱり無理だよ…!)
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