第9話 少しずつ
魔術師の住まう館――というと、なんかこうもっと厳かな空気を想像するかもしれないけど、「黒の館」はその名に違えて結構あったかみのある屋敷だ。そしてそれは部屋の内装も。
真っ黒でおどろおどろしい場所では、決してない。
当主様と奥様との会話を終えて「ここが俺とリーヴェの部屋です、ゆっくりしましょう」なんて連れてこられたこの部屋は、厚手の絨毯、マホガニーの調度品。窓辺には小さな鉢植えの花が並び、夜風にそよいで揺れていた。
壁には銀の糸で織られたタペストリーが飾られ、深い黒の布地に煌めく文様が浮かび上がっている。
なんかこれ、全部高そう。おいそれと触れない。
記憶にある坊ちゃんの部屋からこの部屋へのグレードアップに、わたしの心がついていけなかった。
おもちゃとか積み木とか絵本とかさぁ……沢山あったのに。沢山、片づけてたのに……。
完全にここは、大人の男の部屋だった。
そして、この部屋の一角にある、大きな天蓋付きのベッド……の端っこで、わたしは座ったまま固まっている。視線の先には、髪をかきあげながらわたしを甘く見つめる寝間着姿のマルクト。
「どうしたんですか、リーヴェ」
寝間着といっても黒いガウン。鍛えられた胸筋が見えるそのラフな服装は――どうみたってその、誤解を恐れず言う、夜のにおいがすごい!!!
「緊張、してますか?」
でもその声は優しくて、どこか愉快そうでもあった。
――ええ、してますとも!!
心の中で思い切り叫んだけれど、もちろん口には出せずわたしは小さく首を振る。
「そんな……こと、ありませんよ? だって……わたし、坊ちゃんの乳母ですし……?」
声がどんどん小さくなっていくのを自覚しながら、わたしはチラリと目の前の彼を見つめた。
目の前のマルクトは、昔の「坊ちゃん」ではない。年齢だけではなく、立ち姿も、気配も、すべてが違う。そもそも10歳から29歳にぶっ飛んだ彼をみて「わぁ坊ちゃん、大きくなりましたねぇ」なんて受け入れる方が無理だと思う。
スラリと伸びた長身に、鍛えられているであろう肩幅。プラチナブロンドの柔らかな髪に、夜のような漆黒の瞳。
その形のいい瞳に、わたしだけがくっきりと映っている。
大きくなったら、格好良くなるんだろうなぁ、なんて思いながら面倒を見てはいたけれど――まさかこんなに格好良くなるとはね!!! とはいわない、さすがに。
「緊張しなくていいですよ、リーヴェ。今日はただ一緒に寝るだけですから」
にこりと微笑んで、マルクトは手を差し伸べた。
その言葉にホッとして、それからその言葉尻にわたしはサ―――ッと青ざめた。
今日《《は》》?
「でも、これからはずっと同じ部屋だし、ベッドも一緒に使うし……そういうこと、少しずつ慣れていきましょう」
「……ヒェ…」
またヒェって言っちゃった!
いやあ、ちょっと待って、なんてのんびり返そうにも、彼の目には本気が宿っていて、何か余計なことを言うといますぐひん剥いて押し倒されそうな気配すら感じたのでわたしはとっとと寝ることにしたのだった。
■
大きな天蓋つきのベッドはごろごろとわたしが転がっても落ちないくらいには大きかったけれど(つまりこの部屋はバカでかいのである!)、ぴったりとくっついてくるマルクトと離れられないため、なんだかとっても窮屈だ。
せ、狭いです……と言おうとして、わたしは口をつぐんだ。
(でも――マルクト坊ちゃんは、わたしが寝てる間誰とも触れ合ってなかったんだよね――)
改めて、彼の状況を思う。
黒と白の狭間に生まれて、強い魔力のせいでわたし以外とふれあうことが出来なくて。
誰よりも優しくて、この20年ずっとわたしを助けようとしてくれていた人。
(そっか――――)
正直いきなり大人のイケメン、星の王子様になってしまったマルクトの外見に気持ちがついていけないせいで冷静な状況判断出来てなかったけど。じわじわと20年もの間、わたしが目覚める方法を探し続けてくれていた、その事実が押し寄せてくる。
「……マルクト、あなた……」
「ん? どうかしましたかリーヴェ」
あなたのマルクトですよ、なんて言いながら頬を摺り寄せてくるもんだから、それはそれ、と置いておいて。
「今、どんなお仕事、してるんですか?」
き、緊張して思わず話題をそらすように変なことを言ってしまった。
まぁいいや、ちょっと気になるし。
口をついて出た言葉に、彼は一瞬、目を細めた。
「今は王宮で魔術師団の筆頭をしています……まあ、名目上は、ですが。実際は、外交とか、結界の維持とか、あと……国の代表として魔術使ってあれこれしている、感じですね」
「すご…………」
「すごくないです。必要だったからしてるだけで」
「ひつ、よう……?」
「まぁそんなことはどうでもいいんですよ」
ぐっと手を引かれて、わたしはその胸板に抱かれる。
けれどその腕の中は、思ったよりもぬくもりがあって、優しかった。
昔のあの、小さな体でぎゅっと抱きついてきた「坊ちゃん」の面影が一瞬だけ、重なる。
――もう、こんなに大きくなっちゃって。
「そ、そうですか……ありがとうございます」
「他にも何かききたいことなどありますか? リーヴェが望む限り、何でも従いますし話しますよ」
「……何も、ないです……」
なんでマルクト、腕でしっかりわたし動けないようにしておいてそんなこと言うかなぁ……。
赤くなりながら顔を伏せたわたしに、マルクトが笑ったのがわかった。
その夜。
結局ハグしてはさすがに緊張してしまって眠れない――というわたしの主張がみとめられ、背を向けあって眠ることになった。隣で穏やかな寝息をたてる「元坊ちゃん」のほのかなぬくもりに、少しだけ安心して目を閉じる。
なんだかわたしの意見を全面的に聞いてもらっているようだけれど、そもそもまだ結婚はしていないはずなのに同室で一緒の寝台をつかってるわけだから前提条件からしておかしいのだけど……。
(でも、ほんとにこれでいいのかな……? だってマルクト、今国の代表する魔術師って言ってなかった……???)
胸の中に浮かぶ不安を、今はまだそっと夜の闇に沈めながら、わたしはふかふかの布団にくるまった。
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