第8話 外堀、うまる
「……で、でもわたし、なんで生きてるんですか? そのあたりよくわかってないんですけど」
目を覚まして、
ここが20年後だと知らされて、
星の王子様――もといマルクトの“結婚しよう”宣言にあわあわし、
左手の指輪の存在がチリチリ気になり……もう頭がぐるぐるだ。
結局、結婚の話しかしないマルクトには一旦退散してもらって、わたしはいま当主様と奥様――マルクトの御両親でありわたしの雇用主だったエルナド様とシア様、ふたりと応接室のふかふかのソファーの上でお話している。
そう、そもそも。
結婚だのなんだの言う前に、わたしが死んでないという事実がこわい。
わたしは、マルクトを庇って死んだと思っていたのに。
「わたし、あの時、死んだと思って……思ったん、ですけど」
歯切れが悪くなるのは、わたしが死に際に言い放ってしまった「坊ちゃん結婚しましょう宣言」があるからだ。できるだけそこへの言及を避けつつ、わたしは疑問をぶつけた。
「そうね、リーヴェさんは確かに致命傷を負っていたの」
プラチナブロンドの艶やかな長い髪に、紫の大きな瞳。小柄で華奢な妖精のような外見のシア様が相変わらずにこやかな笑みを携えて話し始める。その笑みは昔と変わらず眩しかった。も、もしかして魔力もちって歳を取らないのかな?
「わたしの白魔術で傷は癒せたわ。でも――そのとき、敵の呪詛があなたにかかったのがわかったの」
「じゅ……そ?」
「敵からの呪いよ。でもあなた自身に魔力がなかったから、その呪いは効果を発揮することなく身体に蓄積されて……リーヴェさんの身体はそのまま眠りに落ちてしまったの」
「……魔力がないと、呪いって発動しなんですか?」
「そうみたいね。そもそも魔力がない存在をリーヴェさん以外に知らないからどうなのかはわからないけれど……。魔力が存在していたら呪詛と反応して結びついて、リーヴェさんの身体は壊れていたかもしれない。でも、あなたには魔力がなかったから呪いとしては発動しなかった」
少し考えて、わたしは口を開く。
「わたし……魔力が、なかったおかげで、生き延びた……ってことですか?」
「そうとも言えるかもしれないわね。リーヴェさんは、生きたままの”時止め”状態だったの。今までずっと」
なんてこったい。
わたしがずっと眠っていたのは、魔力がなかったせいで、呪いが“発動”も“解除”もされなかったから。
「では、どうして今、目が覚めたんでしょうか……?」
「それはわからないわ。でもわたしとエルナド、それにマルクトが二十年、あらゆる治療法を探し続けて試していたの、だからそのどれかが効いたのではないのかしら」
「に、にじゅうね……ん」
「ええ」
「――目覚めて、よかった」
なんでもないかのようにそう言って笑うシア様と静かに頷くエルナド様。
この黒の館の当主様でマルクトのお父様であるエルナド様は口数が少なくて表情もほとんど変わらない。相変わらず背が高くて、黒の長い髪がさらさらと揺れて、まさに“黒の館”の象徴のようなお方。マルクトと一緒の漆黒の瞳がちょっと怖くて、存在だけで背筋が伸びる。
「特にマルクトの研究が、突破口を開いた。魔力の中和を逆手に取り、“灰の力”で呪いのよどみを封じる術式を作ったんだ。それでようやく解かれたのだと私は考えている」
マルクト、すごい。マルクト、天才。マルクト、愛が深すぎる。
魔力がないと損なのか得なのか、よくわからないけど、つまりわたしは――
「わたし、魔力がなかったおかげで生きてた、ってことですね? それで、みなさんはわたしのこと――諦めないで、いてくれた」
「そう。リーヴェさんを、わたしたちは待っていたの」
シア様がそっとわたしの隣に座り、手を伸ばす。
そして、その手わたしの手を包み込んでくれた。
ほんわりと、あたたかい。
「……ありがとうございます……」
「リーヴェさん、お帰りなさい」
優しい声に涙が出そうだった。だって――ずっと、わたしなんかのために。わたしなんかの……え?
そうだよ、思い出した。
なんかすごくいい話みたいになっちゃってるからわすれるとこだった!!
「……で!! なんでわたしが、マルクトの“妻”になってるんですか?」
ごくごく自然な流れの中に、異常な事実がひとつだけ、ぽつんと浮いていた。
「わ、わたし、乳母でしたよね?? 乳母なんですけど!? 乳母です!! こんなどこぞの馬の骨、一族にいれちゃだめですよ!」
しっかり自己主張してしまう。そんなわたしを眺めていたエルナド様とシア様は笑い出した。
「どこぞのわからない馬の骨じゃないわ。リーヴェさんはマルクトの命の恩人じゃない」
「そうだな」
さらにすかさず、シア様はにっこりと笑って言い放つ。
「そしてマルクトの最愛の女性でしょう?」
あああ、あ、なんて言い切り!
でもちょっと嬉しい!!
けど、それとこれとは話が別では!?
「そうだ。愛し合うふたりを引き裂くなどできようはずもない」
エルナド様の重厚な声が響く。
いやいやいや、そんなぁ、他に好きな相手できますってぇ、なんて言おうとしたけれど続けられた言葉でわたしは口をつぐまざるを得なかった。
「この20年、マルクトはずっと、リーヴェさんのために生きてきたようなものだからな」
むぐ。
重い、すごく重い一言だった。
重すぎるよ、嬉しすぎるよ、この家族からの愛!!
な、なんも言えないです……。
「はぃ……」
小さな声でしか返せなかった。
そして「リーヴェさんのご両親はご健勝よ、ちゃんと結婚のお話は通してあるから安心してね!」なんてシア様に当たり前のように言われ、それ、今ここで言います?と目をぱちぱちさせるわたし。
外堀は、完全に埋まってしまっていたのだ。




