まだ逃げられると思ってました
「ちか、もっと」
「もう無理」
「鍛えて」
「だから無茶言うなって」
「あっきー、どう思う?」
「次入る前にいったん止めたら」
「だっさ」
いつものように軽口を言いながら音を合わせているが、いつもの場所じゃない。
今日は親房様の邸へお邪魔してるのだ。
鶉がいるって聞いて、目を輝かせた弟と一緒にやってきた。
(よそだとのびのびできてイイ!)
最近父と母の圧が上がってきて、家だとやりにくいんだよね。
年頃の娘が若い男と笛吹いてるなんて、まあ、わからんでもない。
音には性別ないけど、吹いてる方には性別あるし仕方ない。
私が外出していることはもちろん秘密だ。
腹心の女房にアリバイ工作を頼み、今回も空蝉の術を展開してきた。
「ちょっと休憩すっか」
四人でのんびり世間話をしてると思わぬ方向へ話が転がった。
「小霧は実雅様の何がダメなわけ」
(なんでちかが知ってるんだろ)
「いや、だって北の方も子どもも恋人もいるじゃん?」
「そんなん普通だろ」
確かに平安世界では普通だ。でも――。
「私はむり。飽きて捨てられるとか、最悪しぬかもなんだよ?」
「そうとは限らねんじゃねえの?それにどの男も可能性は一緒だろ」
確かに可能性は一緒だ。だからって誰でもいいわけじゃない。安全な選択肢はあるはずだ。
「ちかもそうなんだ?」
思わずジロリと見ると、親房様は知らん顔して目を逸らした。
(あー、やだやだ)
一夫多妻とか滅びないかな。
とにかく実雅様はリスキー過ぎる。
ラスボスにひのきの棒で挑むレベルだ。
対峙した瞬間ゲームオーバー。
「現時点でいっぱい相手がいるのに、自分だけは大丈夫なんて思えるわけないでしょ」
「まあそうだよね」
横で聞いていた秋成様が静かに言う。
「あっきー!わかってくれる⁈」
「でも小霧は大丈夫なんじゃない?」
「何を根拠に?」
「実雅様は電光石火なお方だよ」
「……どういうこと?」
秋成様はにっこり微笑むだけでその意味を教えてくれない。
「いつもは秒だからな」
「でも外堀は埋まってきたよ」
親房様と弟まで一緒になって、さらにわからないことを言う。
「なに、どういうこと?」
「ま、いんじゃん。わかんないままで。お前らしいよ」
「かわいいよね」
(なんなの三人して……!)
ケラケラ笑う親房様が癪に障る。
「それはそうとお前、家は大丈夫なの」
「大丈夫!ね、尚」
「一応対策はしてきたよね。でもそろそろ帰る?」
対策なんて役に立たなかった。
全然大丈夫じゃなくって――。
「貴族の姫がそのように出歩くなど、聞いたことがない」
がっくりと肩を落として父が言う。
帰宅したら、我が家は大騒ぎになっていた。ウケる。いや、びっくりだ。
「実雅様がお前に挨拶をと仰ったのに――」
(またあの笛レポーターめ……!)
私を部屋へ呼びにきたら、もぬけの殻の空蝉状態。行方知れずなんて言えるわけもなく、大慌てで物忌みだなんだとごまかしたらしい。
もう!なんで突然来るかな!
「見たこともない唐の楽器があると言われてつい……」
まじめな顔を作って言い訳をしてみせると父が黙った。実雅様の古文書を思い出したに違いない。オタクのツボは知っているのだ。
「もう勝手に出かけないように」
それだけ言うと父は出て行った。――が、残った母がこわ過ぎて顔を見れない。
普段はふんわりしてるのに、こと結婚になると人が変わるのだ。
「小霧ちゃん――」
「……ハイ」
抑えた口調が恐ろしすぎる。
最上級の氷魔法が展開されてるレベルだ。
下手に動くと氷で刻まれる。
「結婚どうするつもりなの」
「どうって。あの――」
「心配なのよ。いい歳して、いつまで遊んでつもりなの?」
(うわー。うわー……。めっちゃ詰めてくるじゃん)
「あなたに幸せになってほしいだけなのよ?」
きたきたきた。
「あの、おかげさまで十分幸せですしね。将来も……」
言い終えないうちに母の目がギラリと光り、私の口は縫い留められた。
「まさか、一生一人で……?」
「いや、そうではなく。まぁほら、時が来ましたら……」
「時は来ています!」
「はいー」
やばい。これ、返事はイエスオンリーのやつ。
「実雅様からのお文にはきちんと返事をなさってるんでしょうね」
「ハイ!もちろん」
5文字で。
「あんなに高貴な身分で欠点ひとつない方。お断りするなんてあり得ません。お父様や尚継の立場も考えてくださいね」
「は、い——」
(欠点、ないの?妻子持ち浮気男は美点?)
結婚しないなんて一言も言ってない。ただ"普通”の人と――。
でも考え方が違い過ぎる。
転生者つら。
どうにか5文字でやり過ごせると思ってたけど、ひょっとして……?
(いやいや、私を選ぶ理由がないし!)
この時、私はまだ逃げられると思ってたんだ――。