正面から来るなんて聞いてない
「うちに来られるんですか?」
笛レポーターが?
まじか。
父か誇らしげに胸を張って言う。
「実雅様の家の古い書状の相談を受けてね。内裏で詳しい話もできないから、我が家でということになったんだ。どうやら何代か前の御代の……」
呆然としている私に気付かず、父の古文書トークが始まった。
(どこから父の古文書オタク情報を嗅ぎつけて……?)
「——というわけだからお前もそのつもりでな」
「え?」
「何度も文を交わしているんだろう。実雅様がお前に挨拶をとおっしゃっていてね」
「いやいや父様、それは……」
(古文書で売られた――)
父はご機嫌で、顎を撫でながら言う。
「なに、私もいるし御簾越しに少し挨拶するだけだ。お会いするとわかるが、なかなか良い男だよ」
「……」
もうすでに"お会い”して扇も交換しましたなんて言えるわけない。
「明日は私の部屋でな。私の資料も見ていただくから。いかん、少し整理しないと。ではな小霧。忘れぬように」
まさか敵が真昼間の正面玄関から堂々とやってくるとは。文を5文字で打ち返し続けて安心しきっていた。
(甘かった――)
え、ピンチじゃない?父込みで昼間に会うってどうなの。物語でそんなサンプルケースあった気が……?て、アレひどい結末のやつ。いやいや、でも挨拶だけだしね。レポート送信停止のためのヘンテコ姫認定作業かもよ。いけるよ。流してこ!
瞬時に結論を出して、考えないことにした。
考えるとお腹が痛過ぎる。
「姫様、早くなさってください」
「えー、でもお腹痛いし。ひょっとしてアレかも。ほら、物の怪的な。大変」
「何を今さら」
("今さら”ってどゆこと?)
私は、父のところへ行くよう呼びに来た女房と戦っていた。
御帳台でゴロゴロするが、我ながら言い訳に信憑性がなさすぎる。だって約束をすっかり忘れて朝餉をペロッと食べたうえ、さっきまで笛吹いてたんだから。
「ほら、お見えですよ」
門の方からざわざわと来客の気配がする。
女房の気配がこわくなってきたので諦めてのろのろと用意した。
「よくぞお越しくださいました」
父がにこにこと出迎えているところに滑り込んだ。
(しまった悪目立ち――)
これなら岩みたいに初めからじっとスタンバイしとくんだった。考えても後の祭りってやつだ。
いつもの文のいい匂いがする。
実雅様がこちらに向かって言う。
「姫君にも同席いただいて光栄です」
「……こちらこそありがとうございます」
彼の声が笑いを含んだ。
「楽しみにしてたんです」
(声までいいとか――)
実雅様は、あの夜と同じ心地良い低音で言う。にこやかなのに圧があって、底知れない恐ろしさを感じる。
お腹の奥が重苦しい。
「そうそう、姫は古今東西の珍しい知識をお持ちとか……」
何のことだろうと顔を上げると、ジャブが入った。
「尚継殿の鳩の話が興味深くて」
「……!」
「鳩?どんな話だい?小霧」
不思議そうに父が尋ねる。
(この男――!わかってやってる)
じっとこちらを見る気配がする。
緊張で指先が冷えてきた。
「鳥には人にない能力があるって、ただそれだけの話です!父様」
力ずくでこの話題を終わらせようと乱暴に答えた。
実雅様はおかしそうにクスクスと笑っている。
「この話題はお気に召しませんでしたか」
(わざとらしい!)
「そのうち詳しく聞かせてくれると嬉しいな」
「……」
「小霧、お前――」
つんけんした態度を見かねた父が私を窘めようとした。
「そうそう、古今東西といえば、我が家の書物を整理していましてね――」
実雅様が新しい話題をふった。さらりと空気を変え、父の関心をすんなり奪う。
もうその後は、彼が私に話しかけることはなかった。
一言挨拶し、父の部屋を後にする。
手のひらは汗びっしょりだ。
(なんなのこの敗北感は――)
一人翻弄された自分が悔しすぎて、思わずこぶしを握りしめた。
挑発に乗せられて、もうこの時点で勝敗なんてついていたのに。
ちっとも気付かず私はまだ抗おうとしていたんだ。