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楽譜は秘密でお願いします

一大事だ。

明日、我が家にVIPがやってくる。

つまり、大納言邸の常連であらせられる笙の達人、秋成様がお越しになるのだ。


最大級のおもてなしをせねばなるまい。


(あれの出番か――?いや、しかし……)


頭の中の秘蔵の品リストから狙いを定めたのは自作の楽譜だ。

私がライフワークとしている前世の音楽を起こしたコレクションから、とっておきを選ぶ。


(これにはリスクが……)


何せ転生者とバレてしまう恐れがある。でもそんなのあっちが転生者だったらの話だよね?

転生者なら仲良くすればいい。無問題。


「音楽好きならイチコロのはず……ふふ」


ほくそえみつつ楽譜をおもてなしグッズに忍ばせた。

うまくお近づきにならないとね。

「水無月」って名乗るのが、胸の奥の小さなつかえになっていた。



「姉さん来られたよ」


(あれ、仙人は……?)


夏らしい清々しい香りとともに私の前に現れたのは、仙人でもおじさんでもなかった。


御簾越しでよく見えないけど、明らかに若い。そして何だか麗しい。

淡く銀色にも見える織りの入った直衣に、爽やかな初夏の色の指貫を履いている。

あの夜の音が人の姿になったらきっとこんな感じに違いない。


(ぅわぁ……)


気配まで綺麗って、そんなことあるんだ。

御簾越しに漂ってくる美しい空気に緊張してしまって、どう声をかけたらいいかわからない。

言葉が見つからなくて、思わず黙ってしまう。


「……」

「……」


向こうも黙っている。


(ひょっとして「御簾越しなんてもったいつけちゃって」って思ってる――?)


秋成様は弟の女房「水無月」として会いに来ているはずだ。姫でもないのに御簾の中にいるのをおかしく思われているのかも。てことは黙ってたら、もっともったいつけ女になっちゃう⁈

それはいけない。


私は慌てて挨拶した。



「今日はわざわざありがとうございますっ」

「いえ、こちらそ……。おしかけてしまって。こちらこそありがとうございます」


声もなんだか麗しい。低すぎず、ちょっと歌うように喋る人だ。

控えめな口調で、無口な人なのかな?


「あのっ。あの夜、私すごく助けられて……」

「助け?」


意外そうな声がして、こちらをじっと見る気配がする。


「私、初めての宴でものすごく緊張してて。でも音を聞いたときに楽になって……。」


ざわめきの中でもがいてたら、キラキラした音が聞こえた。それで一気に緊張がほどけて、呼吸しやすくなったんだ。


ふと、秋成様の気配が緩んだ。

御簾の向こうの空気が揺れる。


「僕は――、聞いたことない笛の音だったからびっくりした。探そうとしたらすぐ音が聞こえなくなって」


(あの時、実雅様が来たから……)


言葉を探しているのか、慎重に話す様子に、彼の熱量が伝わってきた。

知らないうちに、音と音とが出会ってたのを知って嬉しくなる。


「大急ぎで、大納言様のとこの女房とか、そこらじゅうの人に聞いて回って」


(私の笛を聞いて、探してくれたんだ)


あの夜の私は、嵐のような出会いに翻弄されただけじゃなかったんだ。

軽はずみな自分をちょっぴり後悔していた私を、彼の言葉が楽にしてくれた。



「秋成様――」



そこからはもう、ただの音楽オタク同士の会話だった。

笙の話、笛の話、管弦の噂話、お気に入りの曲の一音目の考察……。


もちろん、おもてなしに用意していた前世の楽譜コレクションもちらっと見せた。

反応が良かったので、楽譜通りに吹いてみせると、秋成様が前のめりになるのがわかる。


「不思議な節回しだね。今のもう一度聴かせて」


息をひそめてじっと耳を傾けているのが伝わってくる。

前世と今と、私の中の音楽の引き出しをあちこち開いては秋成様に披露した。


「へぇ?ぴったり同時に吹くの?」


驚きと興奮で、ワクワクしているのが伝わってくる。

いったいどんな顔で私の話を聞いてくれてるんだろう。


「音を揃えるなんて強引だね。牛追いみたいだ」


(牛――?どゆこと?)


そしてちょっと独特な例えをする人だ。

時々ヘンテコで、何度か笑ってしまった。


(もうっ、御簾が邪魔――!)


こんなに近しく感じているのに、御簾の途切れ途切れの輪郭に、気持ちが濾し取られてる気がする。

声も香りも届くけど、笑顔だけはっきり掴めない。一緒に笑えないのが、もどかしくて仕方なかった。

「私」じゃない名前で向き合っていることも、どうしようもなく歯がゆい。



(でも、こんなに夢中で誰かと音楽のこと話すの、前世ぶりだ――)


秋成様は物静かな人だけど、すごくよくわかるって風に相槌を打ってくれる。

相槌の天才か。


「でね!あそこどうやっても上手く息継ぎできなくってね」

「あぁ、苦しくて物の怪憑きみたいになるね」

「あはは!ぶるぶるするよね!」


秋成様の例えがおかしくってついつい調子に乗ってしまった。


「んでブレスできないからひっくり返って、転調みたいになっちゃって……」


(て、ヤバ……)


興奮しすぎてうっかり前世の音楽ワードが……。

そーっと御簾の向こうを見ると、不思議そうにこっちを見てる。けど、ギリごまかせる――?


「えへへ。ごめんなさい。嬉しくなっちゃってつい……」

「ううん」


ゆったり首を振り、優しく微笑む気配にほっとする。


その瞬間、ざっと波が押し寄せ、今だと思った。

どうしようもなく、全部を打ち明けたくなってしまった。


「秋成様――」

「はい」


突然畏まって呼びかけたせいか畏まった声が返ってきて、頬が緩んだ。


(いい人だ……)


「私――、尚の女房じゃなくって。姉なんです」


おずおずと、大納言邸に潜入した経緯を話す。


彼なら、常識知らずの変な姫だって思わない気がして。

どうしても管弦を聞きたかった気持ちをわかってもらえる気がして。


秋成様は静かに聞いていた。

さわさわと風が葉を揺らす音がする。


彼はちょっと首を傾げて考えてから言った。


「僕はあの夜の笛の主に会いに来た」



あの夜の――私?



「また遊びに来てもいい?」


(どうしよう、抱きつきたい……)


飛び出したくなるのを、ぎゅっと袖を握って我慢する。

その時、秋成様がふと思い出したように聞いた。



「――あの"楽譜”ってやつ、秘密……?」

「え……」


こちらをじっと見ている気配がする。


(まずい。何も考えてなかったぞ……)


転生者ってバレたら何がどうまずいのか、実はさっぱりわかってない。

でも、物の怪退散とかって燻されたり、陰陽師に式神召喚されたり……、そんな面倒に巻き込まれないとも限らないわけで――。

きゅっとお腹が縮み、指が冷たくなる。


「あ、と。ハイ、できればそちらの方向性で……」


しどろもどろになる私を見て秋成様は、クスと笑って去って行った。





私、軽はずみすぎた――?





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