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【番外:実雅 Side】はじまりの譜

その音を初めて聴いた時、どうしても自分の物にしないといけない気がした。



いつもと違う道を通り、約束の邸を訪ねようとしていた道すがら。

耳慣れない音に、牛車(ぎっしゃ)を止めさせ耳を澄ます。


(笛……?)


音色は確かに笛なのに、今まで聴いたものとはまるで違う。


「女?」

「はい、芳継殿の一の姫らしいのですが……」


側仕えの鳴海(なるみ)が答える。


(この笛の主が"姫"?)


それなりの家の子として生まれ、それなりの手ほどきは受けてきた。

楽器も奏者も、それなりのものを耳にしてきたはずだ。


ありえない。


「風変りな姫だそうで、時々噂をお聞きしますね」


笛の調子が突然変わった。

夜の雲間に渦巻きながら、朧にかすむ下弦の月へと駆け上る。


「普通とは違う笛を吹くとか……」


まったく違う。


聴いたことのない旋律が続いたかと思うと、今度は雨粒のように空気をたたく。


(なんだこれは――?)


今度はよく知る旋律になり、細く長く空気を震わす。

耳の奥を直接撫でられるような錯覚を覚え、肌が泡立つ。

さらに音が揺らされた。

喉の奥を引かれた気がして、かきむしられるような苦みが押し寄せる。


ありもしない幻影ばかりにとらわれ、焦燥感に飲まれていた。



どうかしている。



笛の音が気になって、約束をすっぽかすなんて。

笛の音が忘れられず、他のすべてがどうでもよくなるなんて――。




出仕しても宮中で彼女の父、芳継に会うことはほとんどない。

いつもと違う場所に用があって足を運んだ帰り。


「芳継殿」


振り返った彼はこちらを見て驚いた顔をする。


「実雅殿?私に何か?」


声をかけてしまってからしまったと思った。

何の用意もしていない。

ほとんど面識がない相手だが、世間話をしながら急いで打つ手を考える。


「うちの姫、ですか……?」


あの笛の主だという噂の姫に探りを入れようと軽く触れると、目に見えて反応が硬くなる。


(噂では適齢期なはずだが……)


この反応はなんだろう。

すでに相手がいるのか?


今まで、こんな風に困った顔をされたことがない。

尋ねもしないのに売り込んでくるか、値踏みする目で見られるか、どちらかだった。


「ちょっと変わった娘でして――」


芳継という男は、古文書に異常に詳しいらしく、筆跡で家系図が書けると聞いたことがある。

新旧の文書の広く深い知識で、偽造・捏造・改竄を一目で見抜くとか。

本人にあまり出世欲がないようで、それを知るのは一部の人間だが、つい先日も面倒な案件を片付けたと聞いた。


(駆け引きは悪手か?)


正攻法で行くことにして、大急ぎでその辺にいた人間に紙と筆を持って来させる。


「少々お待ちください」


何度も書いてきた恋文なのに、どう書くべきかがわからない。

立ったまま書いているせいなのか、父親を待たせているせいなのか――。



――あなたの笛の音が頭から離れません――



おぼつかない手元でそんな歌を書きつけ、彼に託した。




何度か文を送ったが、文の返事は途切れ途切れにしか来ない。

届いても手本通りの内容で、明らかに代筆のにおいがする。

あまり気は長くない方だ。さっさと次の手を打つ。


「姫からの返事を必ずもらって帰っておいで」


そうやって自筆の文を返させるようにしたけれど――。

いったいどういう姫なのか。今まで見てきた「文」や「和歌」とは違うものが届いた。


やけに太い。筆跡が。

黒々としている。墨跡が。

歌は絶妙におかしい。


「これ、は……?」


有名な歌を下敷きに使っているが、えらいことになっている。

外に出したら怒られそうだ。

でも技巧と思いと真面目さが奇妙に同居している。

歌としては破綻寸前なのに、不思議と意図は読める。


(下手とかではなくって……)


でももちろん上手くもない。

とにかく何かが違う。



わざと?



珍妙すぎて呆気(あっけ)にとられたが、次の瞬間彼女そのものが見えた気がした。

彼女なりの「和歌」、自己開示、拒絶。

それらが見たこともないような力強い筆で記されている。

どう見てもちぐはぐなのに、彼女の思いが手に取るようにわかる文だった。


「ふ……」

「実雅様、何て書いてありました?」


文を手に(こら)え切れずに笑っていると、鳴海が不思議そうに聞く。


「返事を書くからもう一回持って行ってくれる?」


和歌を読むのは止めておいた。

もっと別の言葉で話さないと、彼女には届かない気がして。

代わりに、笛のことだけ書いて文をやる。


そうやって不思議な笛の文をやり取りしているうちに、姫の返事は5文字だけになった。


「そうですか」

「すごいです」

「またこんど」


いやでたまらない風なのに、こちらの文を読んだ気配はある。

極太の5文字がすぐに返ってくる。

真面目な性格なんだろう。

会ったこともないのに、悔しがっているのが見えるようだ。

ますます意地悪をしたくなって、あの手この手で笛の話をしたためた。





その日は突然、予定にない宴に顔を出すことになった。

いつものように文をやり、雑務に追われているうちに出遅れ、すでにとっぷり陽は落ちている。


大納言邸の庭には篝火が焚かれ、見たことのない紫陽花を照らしていた。


さっさと主人に挨拶して帰ろうと思い、歩き出した時――。

聴こえるはずのない音がした。


(どうしてこんな場所で?)


空耳まで聞こえ始めたかと自分に呆れかけたが、歩くにつれ音は近くなる。

彼女の笛だ。

聞き違えるはずがない。

しかし貴族の姫が、よその宴で笛を吹くなんて、そんなこともあるはずがない。


(どういうことだ?)


笛の音は、今まで聞いたことがないほど上機嫌だった。

向こうに聞こえる笙と篳篥に調子を合わせて吹いているらしい。

音の出どころと思しき場所を探し当て、御簾の内をどうやって確認するか考えていると音が止んだ。


気付かれたか。


無意識に御簾に寄りすぎていたことに気付いて、そんな自分に失笑する。


「……」


息を殺してこちらをうかがっているのがわかり、思わず声をかけてみた。


「失礼。あまりに見事な笛で、どんな方かと思いまして」


御簾の向こうで、息をひそめる気配がする。

どうしても彼女の声を聞きたくなって、さらに口を開こうとした瞬間、横やりが入った。


「その者に何か不手際がありましたか?」


振り向くと、真っ黒な瞳をした、まだ15・6の少年が不安げにこちらを見ている。


「――尚継殿」


芳継の息子、彼女の弟だ。

まだ元服前に一度どこかで会った記憶がある。

黒目がちな瞳が印象に残っていた。


「おいでにならないと聞いてましたが――」


生意気にもこちらの動向を探っていたらしい。

非難がましく言うのがかわいくて、なんとなくここまでの彼ら姉弟の経緯が見えた気がする。


(彼女の指示で調べたか)


落ち着かない表情を見ると、今回の大納言邸潜入は、彼の本意ではなさそうだ。

では彼女が自ら?いったいどういうつもりで?

いや、そもそも本当に彼女なのか……?


「――お知り合いの女房殿が?」


御簾の内の人物が誰なのか、鎌をかけるつもりで言うとあっさり答えた。


「我が家の女房を連れてきてまして」


御簾の向こうで、小さく息をのむような気配がある。


なるほど。


女房という体で連れてきたらしい。


「女房殿を?」


驚きをどうにか隠しながら問うと思い通りの返事をする。


「はい、笛が得意なもので」


女が笛を吹くことの異質さを、まだわかってないんだろう。

御簾の内でじっとこちらを伺っている彼女に声をかけてみた。


「……確かに素晴らしい音でしたね」


小さく身じろぎするのがわかるが、返事はない。


「水無月……」


弱り切った弟にうながされ、彼女は観念したようにしぶしぶ返事をした。

震える細い声で――。


「……恐れ入ります」


声を聞けたことで、浮かれていたと思う。


「はは。あんなに楽しそうに吹いてらしたのに。それほど硬くならなくても」

「お耳汚しで……」

「水無月殿とおっしゃるんですね……。今日にぴったりだ」


少し喋り過ぎたと思った時、向こうから呼ぶ声がする。

少し名残惜しい気持ちで、この後のことを考えながら別れを告げた。




さっさと用を済ませて彼女の元へ戻ったが、そこにはもう誰もいない。

今出て行ったばかりだと言われて急いで後を追う。


いつの間にか雲が途切れて、月が明るい。

簀子(すのこ)を足早に歩いていくと、牛車に乗ろうとする彼女が見えた。


「尚ちょっと待って、扇落とした」


(”尚”か。やっぱり――)


女房がそんな風に呼ぶわけない。



彼女だ。



「水無月殿」


今夜限りの名で呼びかける。

扇を拾い上げた彼女がこちらを振り返り――。



青白い夜の中で、真っ黒な瞳がこちらをとらえる。



月の光が彼女を照らす。

夜に浮き上がるような真っ白な頬と額が、柔らかな曲線を描いていた。

小さな唇がかすかにわななく。

よほど動揺しているのか、持っている扇を握りしめ、顔を隠そうともしない。


一歩近づくとびくりと肩を震わせた。

黙ったまま動かない彼女の手からするりと扇を抜き取る。


驚いた様子で顔を上げた彼女と再び目が合う。


(瞳が……)


透き通る瞳は、すべてのものを飲み込むように、どこまでも黒く深く澄んでいる。

見入っていると、長い睫毛が二度瞬きして――。

次の瞬間、なぜか彼女はそっと距離を詰めた。


(え……?)


初夏の少し湿った空気に交じって、淡く清浄な香りが鼻をくすぐる。

こちらを覗き込む大きな瞳が、底光りして見えた。


これほど間近で見つめられたことがあったかと、思わず無駄に記憶を探る。


(まだほんの小娘だ)


言い聞かせようとする自分がおかしくて、思わず笑みが漏れる。


「笛を聴かせていただいたお礼です」


言いながら、さっき用意しておいた自分の扇を彼女の小さな手に握らせる。


「え……?」

「また文を書きます」


つい親しげな声が出て、しまったと思った瞬間。ぐるりと瞳が動き、大きな声が響き渡った。


「……っ結構です!!!」


叫ぶなり、彼女はひらりと牛車に飛び乗った。

牛車がガタンと大きく揺れ、ギシギシと動き出す。

もう何度目かわからない驚きに、呆然としていた自分に気付く。



――何もかもが違う。



切羽詰まった叫び声と、姫とは思えぬ身のこなしで牛車に乗り込む姿が何度もよみがえる。

笑いが止まらない。


「実雅様?」


ようやく追いついてきた鳴海が心配そうに聞く。





玻璃のような瞳が、記憶の中でいつまでも光って離さない。

とらわれていたのは笛の音だったはずなのに――。



急がないと。



今までと同じ方法では捕まえられない相手だ。


どうすれば一番おもしろいか。

そんな風に何かを考えるのは初めてで――。




どうかしている。

あの音を聞いた時から。







<完>





実雅様視点の番外編、エピソード0!でした。

この番外編にともなって、最終話、ちょっぴり修正しています。

(未熟者ですみません!)

本編ふり返りがてら、合わせて楽しんでいただければと思います。

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