妻の愛の告白 ~一年越しの答え~
気が付いたら視界は彼の白い狩衣だけで、よく知ってる匂いにくるまれていた。
実雅様がぎゅうぎゅう締め付けてくる。
「苦しいよ」
息ができなくって、袖を引っ張って言う。
「我慢して」
「ぇえ?」
なにそれ。
思わず笑ってしまう。
「いつもと違う匂いがする」
「え!なに?どんな⁈」
慌てて離れようとして実雅様をぐいぐい押すのに、くすくす笑いながらさらに締め付けてくる。
(いつもも今も、私ってどんな匂い?!)
恥ずかしくって腕の中でもがいていると、やっと気が済んだのか、私を離しながら言う。
「いい匂いだよ」
「……」
珍しい。
実雅様がくすぐったそうな顔してる。
なんだかちょっとそわそわする。
山暮らしで香りのことなんて考えもしなかった。
私ほんとに大丈夫?
自分の匂いをくんくん嗅いでいたら、また笑われた。
「来るのが遅くなってごめん」
「ううん。来てくれてありがとう」
「帰ろっか」
まるですぐそこに家があるみたいに気軽に言う。
その時、気付いた。
別れたあの日の実雅様。あの時の彼は緊張してたんだって。
(緊張って、何に……?)
ひょっとして私の知らない彼がいる?
ふとそんな気がした。
帰宅したら母が泣きながら出迎えてくれた。
母にも心配かけてごめんねって謝って、湯殿を使って、ようやく落ち着いた。
一番気になってたことを、おずおずと切り出す。
「あの……典侍の話ね。断ってもいいんだよね……?」
「……そのつもりで話してたよ」
そっか。いいのか。
心底ほっとした。
あの時、どうして先にそれだけでも確認しなかったんだろう。
(感情的になってバカだったな……)
「主上にはそんなおつもりはないけど。周りがね」
そうだよね。主上って、そんなこと言いそうな人には思えなかった。落ち着いて考えた時におかしいなって思ってて。
「賀茂のまつり以降、内裏の噂も大きくなってて」
「私の噂が……?」
内裏でそこまで自分が噂になってるなんて思ってもみなかった。
「うん。主上にも梅壺様にも気に入られてるしね。あと……まぁかき回す人もいるし、ね」
「……!」
「想像通りだよ」
実雅様が肩をすくめる。
(あの宮様め……!)
ニヤリと笑った顔を思い出し、思わず毒づいてしまう。
私が典侍とかどう考えたってむりがあるよね。
いや情報伝達がすべて笛、ならあるいは……?
あ、ひょっとしてそっちだったのかな。時間を知らせる笛係、的な?
――なわけない。
「……伝え方を間違って悪かった。小霧が出かけた先でよく知らない人から聞くといけないと思って」
「ううん。私がちゃんと聞かなかったから」
そっか。私が笛吹き姫の依頼で出かけることが多いから……。
彼はごまかすみたいに言った。
「本当はお父上がいれば俺が小霧に話すこともなかったんだけどね」
確かに、父から聞いてたらぜんぜん違ったと思う。
彼から聞きたくなかったって何度も思った。
「……俺が言うしかなくて。もっと上手く切り出すべきだった」
彼は目を伏せて淡々と続ける。
「それに小霧は主上や女御様方と面識があるし、これからも参内することがあるかもしれない。知りません・聞いてませんってわけには行かないだろうなと思ってね」
「はい……」
(こんなに考えてくれてたのに……)
私どうしてちゃんと話を聞かなかったんだろう。
彼はなだめるような目で見て言った。
「大事な話だから、俺が勝手に断るのは違うと思ったんだ。小霧は子供じゃないしね」
「――子供じゃない?」
彼の言葉が、私の中で大きくなってた不安をふわりと包み込んだ。
(ちゃんと対等に見てもらえてた……?)
「うん、大人でしょう?」
突然本筋と違うところに反応したからか、実雅様が不思議そうに聞き返す。
「大人、かなぁ?――実雅様がこんなに考えてくれてたのに。私、全然ちゃんと話も聞かなくって……怒鳴ったりして。ごめんなさい」
震えそうになる喉を励まして、最後まで言い切った。
実雅様は気付かないをふりをして笑う。
「はは。怒ってたね」
「うん、すっごく」
「まさかあんなに怒ると思わなかった」
「だ、って……」
ダメだ。
喉の奥が熱くなってグラグラしてきた。
「そんな話を黙ってて、私なんていらないのかなって……」
顎を引いてぐっと堪える。
「だから夫婦にならなかったんだって思ったら悲しくっ、て……」
言葉と一緒に熱い塊がせり上がってくる。
(だめだ、泣いてしまう。どうしよう)
うつむいて顔を隠そうとしたのに、実雅様が私の頬を捕まえて上を向かせようとする。
目が合うと、涙で彼がぼやけた。
「ごめんね」
「不細工だから見ないで」
「はは、ほんとだね」
「ひどぉ……」
どんどん出てくる涙を彼は笑いながら拭ってくれた。
「夫婦になるって、“妻”になるやつ?」
「……」
頬の涙をぐいっと拭ったら、彼が静かに言った。
「ちょっと強引に結婚したから」
目を伏せて諦めたような口調で。
「え……?」
「結婚した時、小霧は俺のこと好きじゃなかったでしょ?だから待とうと思って」
初めて聞いた。
ずっとずっと、すごく気になってたのに聞けなかったこと。
そんな風に思ってたんだ。
(そういえば、透子様がそんなようなこと……)
「もう、小霧の自由は何も奪わないようにって」
いつだったか、「結婚以外はね」ってちょっと寂しそうに笑ってた彼を思い出した。
――小霧はいつだって自由だよ。結婚以外はね――
(あれはそういう意味だったんだ……)
言葉が出てこない。
私って、ほんとに何にもわかってなかった。
話を聞けば聞くほど、知らないことばっかりで……。
「わたし……実雅様は女の人にはいっつもあんな風なのかと思ってた」
家族全員、使用人まで篭絡して、逃げられないようにして。
「ははっ、ひどい言われよう」
彼はちょっと笑うと、懐かしそうな顔をして言った。
「小霧だけだよ。あんな強引なことしたの」
「私だけ――?」
「言わなかったっけ?ああでもしないと捕まえられないと思ってって」
「言ってた……?かな?」
なんでそうまでして……。
一年前の記憶を探ってたら、ふと思い出した。
そうだ。あの時聞けなかった、教えてもらえなかったことがもう一つあった。
「『俺を好きになったら』教えてくれるって。私忘れてた」
「ああ。なんだっけ?」
なんかわざとらしい。
絶対おぼえてる顔だよね。
(すごく大事なことだ。なんで忘れちゃってたんだろう)
「『どうしてそんなに私と結婚したいんですか』?」
「『俺を好きになった』?」
え、さっき言ったよね?
おかわり?
――しかたないなぁ。
「うんうんすきすきだいすきめっちゃすき」
「相変わらずムードないなぁ。一年も待ったのに、もうちょっとないの」
「私だって一年待った……!」
「忘れてたくせに」
「忘れてない……!思い出してなかっただけで!」
我ながらひどい負け惜しみだけど、だって思い出す必要なんかなかった。
(いっつもそばにいるから……)
「初めて笛を聞いた時、どんな人か確かめないとと思って」
「初めて聞いた時?」
「うん、通りすがりにね。知ってる”笛”とあんまり違うから、どんな人か知りたくなった」
それで文を――?
「お父上を見かけて、慌ててその辺で紙をもらって立ったまま文を書いたんだ」
「立ったまま?」
「うん。大急ぎで」
くちゃくちゃの、恋文とは思えないような文だった。
彼は懐かしそうに笑う。
「その後――紫陽花の宴で笛が聞こえて。逃がしちゃダメだと思って追いかけた」
実雅様は目を伏せてぽつぽつと話してくれる。
私も、彼と初めて顔を合わせたあの夜を思い出す。
女房のふりをして、呼ばれてもない宴に紛れ込んだあの夜。帰ろうとしたら実雅様に呼び止められた。
「呼び止めて顔を見たら、考えてること全部顔に書いてあって」
実雅様がクスクス思い出し笑いをしながら言う。
(めちゃめちゃ恥ずかしかったやつ――)
――月明かりで顔が丸見えで、逃げ出したくなって……。
いま思い出してもやっぱり恥ずかしい。
「笛の音とおんなじだなって思った。透き通った黒い目がぐるぐるおしゃべりしてて、口はわなわなしてるし……。見てるだけで楽しくてかわいくて」
実雅様がどうして私を見ていつも笑ってるのかよくわかった。
いたたまれなくってモゾモゾしてしまう。
「絶対手に入れないとと思った」
「え……?」
「何が何でも」
(あれ……?)
実雅様ってほんとはどういう人なんだろう?
「だから今までしたことないくらい周到に、ご両親も邸の人間も全部丸め込んで……」
真っ直ぐこちらを見る少し茶色い瞳に小さな私が映ってる。
「ただ俺のそばで笑って笛を吹いてくれてたら、それでよかった」
彼の声が、言葉が、祈るようで胸が詰まる。
(どうしよう。実雅様は私が思ってたよりずっと……)
思いもしない激流に、ぎゅっとこぶしを握って耐える。
「そのためには、小霧が楽しくなくなることは全部阻止しないといけないから。だからあちこち根回しした」
自分のことなのに他人事みたいに話し続ける。
「典侍の話ね――」
目を伏せてぽつりとつぶやいた。
「小霧を試したんだよ」
「……え?」
なに。
どういうこと?
「”試した”?」
「俺を選んでくれるかどうか、ね」
選んでくれるか?
「私が?実雅様を?」
「うん」
遊び人って噂の人が?
何でも持ってる実雅様が?
(そんなことって――)
今日一番の思いもよらない言葉に、何が何だかわからない。
「さっきはいっぱい言い訳したけど、結局そういうことだよ」
「……実雅様」
「ズルいでしょ?」
いつものように、脇息に肘をついて笑ってる。
いつもと違う、ちょっとだけ投げやりな顔で。
「なんでそのまま言ってくれなかったの?」
「引くかなって」
「引かないよ」
「……だろうね」
彼は少し笑って、それきり黙った。
「――傷つけてごめん」
本当は怒るとこなのかな。
でも見たことのないちょっと傷ついたような顔に、また胸が苦しくなる。
「私――」
震える声で絞り出す。
この人の想いに私は何を返せるんだろう。
おそるおそる手を伸ばす。
どんな言葉も違う気がして、代わりに実雅様の手をぎゅっと握った。
彼が眉を上げて、いたずらっぽく笑う。
「――『なになに小霧ちゃん愛の告白?』」
それって――。
突然言われた聞き覚えのあるその言葉に、記憶のピースがぴたりと嵌った。
(ほんとだ。その台詞、何度も聞いてる)
――俺が聞きたいのはありがとうじゃない。何度も言ってる――
彼は何も言わず、ただじっと私を見つめていた。
言葉が出ない。
手のひらに汗が滲む。
(釣り合う言葉なんて見つかるのかな)
自分の中の丸ごと全部、かき集めたって、きっと足りない。
バカみたいにまた緊張してきた。
彼がふっと笑う。
「すっごい怖い顔してる」
「だって……!」
「あ、俺が言うんだっけ?」
「え……」
彼がふわりと笑った次の瞬間、私は閉じ込められていた。
いつもの匂いの中で見上げると、その瞳がもう言葉を告げている。
彼の唇がゆっくり動いて、私の名前を低く呼ぶ。
「小霧」
胸の奥がぎゅうっとなる。
知らなかった。
私の名前って世界一美しいんだ。
呼ばれるだけでこんなに胸が震えるなんて。
彼の声も眼差しも、強く私を抱きしめるから、ほんとはたぶん言葉なんていらない。
でも、それじゃあ何にも返せないから。
彼が「聞きたい」って言った言葉。
冷たい指で、彼の唇に初めてそっと触れてみた。
「私の番だよ」
茶色い瞳が私を映してかすかに揺れた。
青白い月の夜が胸に過る。
いつだって笛を吹いてた。
それは今も変わらないのに。
胸にある言葉は一年前とはぜんぜん別で。
それがなんだかおかしくて――。
息を吸う。
「"妻”の愛の告白、聞いてくれる――?」
<完>
お読みいただきありがとうございました!!!!!
初心者の拙い物語にお付き合いいただいた方々には、感謝しかありません。
読んでいただいてる気配に励まされながら、ここまで書いてこれました!
初めはどえらいしんみりした調子でスタートしたのに、改稿したらコメディに変身し……
お楽しみいただけてたら嬉しいです。
最初から読んでくださってる方々にはもう、言葉もありません。足を向けては寝られません。
いつもありがとうございます。
番外編も書いてますので(あっきー&ちか!)、引き続きご覧いただけると嬉しいです。
あと、ご意見いただけると泣いて喜びます。(推しキャラ教えて…)
というわけで、本当に、本当に……ありがとうございましたーーーー!




