はちきれてはいけません
「誰からの文?」
葵に結ばれた3通の文を開いて、小さな手が見えるような文字を愛でていたら、やってきた実雅様が後ろから覗き込んで聞く。
「うふふ。いいでしょ」
うれしくって抱きしめると、彼が一枚を抜き取って見る。
いちばん元気な董子様の花の絵(あやめ様注釈による)だ。
「へえ?」
「賀茂のまつりね、晴雅様と武雅様が会いに来てくれたんです。 かわいかった……」
実雅様は初めて見る優しい目で文を眺める。
(わぁ……)
娘の手紙を見るその顔が、見たことないくらい幸せそう。
珍しくって、思わずじっと見てしまう。
私の視線に気付いた彼が、手紙を返しながら言う。
「妬けるね」
「え。なんで?」
びっくりして聞き返した。
「初めて文を送った頃を思い出して」
「あー、あはは。あれは、ねぇ……」
確かに、スルー・代筆・5文字文と冷たい返しのオンパレードだった。
でも仕方なくない?
あの時は実雅様のことよく知らなかったし、私のことは遊びだと思ってたし。
「実雅様が悪いんですよ。初めの文はくちゃくちゃで、良くない噂ばっかりで」
――と、“噂”で大切なことを思い出した。
賀茂のまつりで気付いて、ちゃんと話をしようと思ったんだった。
姿勢を正して、ちょっとだけ真面目な声を出す。
「実雅様」
「ん?」
「お話があります」
眉を上げておかしそうに笑う。これぜったい茶化すやつ――。
「なになに小霧ちゃん愛のこくは……」
「違うの……!」
「違うの?……残念」
食い気味に否定すると、彼はゆったり笑って脇息にもたれかかった。
彼のペースに飲まれちゃダメ。
眉間にぐっと力を込める。
「牛車で笛を吹いている時に気付いたんです」
「うん?」
「実雅様、私に黙って根回ししてることありますよね?」
彼は視線をはずし、少し考えて言う。
「えー……と。どれのこと?」
「そんなにあるのぉ?」
つい情けない声が出てしまう。
「ははっ。”そんなに”は、ない。かな」
「でも一つや二つでは、ない……?」
「かもね?」
(ネゴ男……)
そうか、こういう人だったよね。
あやめ様がふざけて言う彼の呼び名を思い出した。
結婚までの完璧すぎる包囲網もそうだったし、その後もいろいろと……。
そう。一つや二つではなく――。
あれ私、床にめり込んでない?
勢いをなくしてシュンとなった私を見て彼が姿勢を正した。
「ごめん、ちゃんと聞こうか。何に気付いたの?」
からかうような気配を消して、まっすぐこっちへ向き直った。
「……実雅様。悪い噂とか陰口とか、私に聞こえないようにしてました?」
牛車の中で聞いたたくさんの噂。初めて聞く話がほとんどだった。
あそこでだけしか噂されてないなんてありえない。
「内裏でも、訪問先のお邸でも。他にも、ずっと前から……?」
でも私が気付いたことなんてすっごく小さなことかもしれない。
自信がなくなって、おそるおそる彼を見た。
いつも通り、静かに笑ってる。
「陰口、聞く必要ある?」
「ない……」
「どっちでも、吹くでしょ?笛」
「うん……」
「じゃ、つまらないこと聞かずに吹く方が楽しくない?」
「……うん」
そうなのかな?
なんか丸め込まれてない?
(……ほんとに知らなくってもいいのかな?)
もし悪意でいっぱいの噂や陰口を聞いてたら――。
そんなの想像してみても、何にもいいことなんてなさそうなのに。
でも彼の言い分になぜか納得がいかない。
だって私が知りたいのは……。
「私。実雅様がしてくれてることを知りたいの」
うん。
それだ。
「噂や陰口を聞きたいんじゃなくってね」
耳をふさいでくれてたのはありがたいと思ってる。
「実雅様が私のために何をしてくれたか、知りたいの。それってすっごくうれしいことだから」
噂や陰口のことだけじゃない。
ほんとはあやめ様のとこへ行ったあとうちに来てくれてることとか、親房様や秋成様にお願いしてくれてたこととか。
ほかにも全部。
きっといっぱいあるよね?
でも実雅様はいっつも私に黙って私の周りを片付けちゃう。
「何も知らないままひとりだけ楽しいのはいやなんだよ。ありがとうってちゃんと言いたい」
ほんとはお返しだってしたいのに、何にも思いつかない。それが歯がゆい。
こんなにうれしい気持ちであふれそうになってるのに――。
「はちきれそうなんだよ……?知ってる?」
「……」
見上げると、彼は一瞬私に手を伸ばそうとして――、やめた。
困ったように目を伏せて笑いながらぽつりと言う。
「はちきれてもいいのにね――」
「だめだよ!!」
「え……なにが?」
一瞬ぽかんとした実雅様が、次の瞬間笑いだした。
「何で笑ってるの?」
「くっくっくっ……だってっ、今すっごく思わせぶりだったのに……。『だめだよ!』って。あっはっは」
(思わせぶり……?私はちゃんとお礼が言いたいだけなのに!)
「笑うとこじゃないです!」
「あっはっは、だって……っ」
「くぅ……」
「はー。かわいい」
何を笑われているのかまったくわからない。
もういい。この人、笑い上戸なんだった。とりあえず言いたいこと全部言っとかないと。
笑ってるのをほったらかして、私は一気にぶちまけた。
「あのね――。私は実雅様ありがとうって思いながら笛を吹いてたいんだよ。普通の人なら気付くことばっかりなのかもしれないけど、私ぜんぜんダメで。ごめんね……。だから、めんどくさいかもだけど、黙っておかずに教えてくれる?」
ようやく笑いが収まった彼は、優しく微笑んで言った。
「めんどくさいんじゃないんだよ」
「じゃあどうして教えてくれないの?」
「だって。普通言わないでしょう?お前のためにこうしてやった、とか」
(そうじゃない報告の仕方だってあると思うけど……)
「そう、かな」
「そうだよ」
「でも」
「ダサいし」
「……ふふ。そうだね」
(ん……?)
納得しかけてふと引っかかった。
ということはやっぱりこれからも、いろんな根回しをしたとしても教えてくれないってこと?
口を開こうとしたら彼が言った。
「それに俺が聞きたいのはありがとうじゃない」
「え……なに?」
「何度も言ってる」
何度も――?
何度も言われてること……。なんだろう?
「ぇえ?どれー……?」
また情けない声が出た。
彼はクスクス笑って私を眺める。
「じゃ、また言うから今度は気付いて」
「う……ん?」
自信がなくって頼りない気持ちで見上げると、彼はまた楽しそうに笑った。




