"妻"っていったいなんですか
「あれは、奇跡だな……」
あんなに美しいのに、箏もあんなにすごいなんて。
天は二物を与えたんだ。ほんと、透子様ってば奇跡。
「何が?」
「ひっ……」
「なに、その反応」
クスクスと笑いながら実雅様がすぐそばに腰を下ろした。
(実雅様ってなんでいっつも笑ってるんだろう?)
私、どっか変なところあるのかな。
なんとなく恥ずかしくって口がへの字になる。
「いえ……」
「今度は何見つけたの?」
脇息を引き寄せ、頬杖をつきながら私を眺める。
「あやめ様が紹介してくださった透子様に会ってきたんです。すっごく綺麗なのにすっごく箏が上手くって——」
「ふーん」
「私、ずっと一緒にいてくださいってお願いして」
「へえ?」
興味が湧いたのか、ちょっと体を起こして聞く。
「俺には言わないの?」
「なにを?」
ニコニコして、またくっついて来た。
なんの話だ?
「言ってみたら?」
「だから何を――」
(……何を?)
一瞬、頭の中が空白になって、次の瞬間、理解した。
私のバカ……!!!!!
気付いた私をにやにやしながら眺めている。
「うん、何かな?」
「……」
顔を覗き込んでくる。
ダメだしんでしまう。
「言えないの?」
「言えない……です」
ぶるぶるしながら見上げると目を細めてさらにくっついてきた。
「へー」
(ピンチだ。試されている……!)
とにかく"妻”たるもの、今回は引いてはいけないとお腹にぐっと力を入れてこらえる。
「ははっ、失格!」
「ぇえ~……」
思わず情けない声が出た。
「硬すぎ!」
彼はまたクスクス笑っている。
だからそれ、反則だよね?
この日は秋成様の邸へ行く予定で、朝からバタバタと用意をしていた。
そろそろ迎えの牛車が来る頃かと待っていると、母がやってきた。
「小霧ちゃん、わたくしのね、姉のところの一の姫がね」
「はい。どうされました?」
「あかちゃんができたんですって…!」
「……」
きた。
(ぜったい近々くると思ってたやつ……!)
母はうっとりと虚空を見つめている。
彼女を刺激せず、このままお引き取り願う方法を大急ぎで考えないと……。
「そ、それはおめでたいですね……!」
「小霧ちゃん、わたくしね、観音様に毎日お祈りしているの」
(お祈りって、ひょっとしなくても私のことよね……?)
「では私も母様を見習って……」
「小霧ちゃんはいいの!」
’なになに、どういうテンション?わからん。
「え、でも……」
「わたくしがしたくてしてることですからね」
「あ、はい。ありがとうございます」
(この答えで合ってるのかな)
母がちらりと私を見て言う。
「最近、実雅様のお通い、前より間遠になってませんか?」
「ええ……。何やらお忙しいようで」
「尚継もしょっちゅう出歩いてるようだし……」
「そうですか」
(はやく……早く終わって~~~)
背中に汗をかいてきた。
「殿方のお心を捕まえておかないとね。かわいくね、小霧ちゃん」
「はぁ……がんばります……」
かわいく、とは?
(私にそんなのインストールされてた?)
てかダウンロード先教えて。
え、もっかい転生しないと無理じゃん?
まって。か、かかか、かわいいだけじゃだめなんじゃなかったっけ……?!
どんどん汗が出てくる。
むりすぎない……?
ちょうどその時、迎えの車が来たと呼びに来た。
「小霧ちゃん、今日もおでかけ?」
「はい……。今日は大野の権中納言様のところで……」
「……そう。気を付けて行ってらっしゃい」
何か言いたげな母を置いて慌てて牛車へ向かう。
(助かった……)
あっぶな。
もうちょっとでかわいいの渦にもみくちゃにされるとこだった。
透子様が入ってから初めて演奏は、秋成様の邸の宴を選んだ。
(透子様……今日も麗しい)
「小霧ちゃん、よろしくね。緊張しちゃうわ」
「ぜんぜん大丈夫です!いつも通りで!」
「ええ。父も入りますし。よろしくお願いします」
秋成様のお父上は琵琶の名手らしい。
今回は即興演奏を一緒にしましょうって、珍しい管弦の遊びのお招きだ。
腕は必要だけど、四人のデビューにはカジュアルな方がいいかなって相談して決めた。
秋成様の父上が撥を振る。
透子様の箏の音と重なり響き合い、音の波紋が次々と広がっていく。
柔らかく広がる笙の音と、篳篥が発する声を聴きながら、私は音を巡らせた。
(——もういっそお前は笛だって誰か言ってくれないかな)
だって笛吹いてるときが一番”私”なのに。
妻とか母とか正直よくわかんないんだよね……。
ふと透子様の視線を感じた。
かすかに拍子が揺らされる。
驚いて、笛の音が少し上ずってしまう。
秋成様が気付いてそっと音を差し伸べる。
親房様がそれに合わせた。
横にいる透子様をちらりと見ると、にっこりかわいく微笑んだ。
(バレてる——)
さすが私の女神。
苦笑いして、私は音の波へと飛び込んだ。
流れる音が飛沫となって私を包む。
肌が粟立つ——。
一瞬先に見える音を次々と拾い上げながら、輝く波間を泳いで行く。
すぐそばで息を継ぐ美しい人たちと、揺れながら、震えながら――。
宴席はほどけ、歌ったり笑ったりワイワイと賑やかだ。
ぼんやりその様子を眺めていると、席を外していた透子様が戻って来た。
「小霧ちゃん、考え事?」
「透子様……。相談していいですか……」
「私に答えられることかしら?」
「透子様に聞いてもらいたくって——」
(だって他の人に言えるわけない)
母にも身近な女房にもあやめ様にも、誰にも。
実雅様と結婚して数ヶ月たつのに、ちゃんとした夫婦じゃないなんて。
私たちには何もない。
これってどう考えたらいいのかな。
ずっと気になってたのに、見ないふりしてきた。
「え、と。小霧ちゃん、結婚したのはいつ?」
「葉月でした」
「今って……」
「……はい。待たせすぎですよね」
透子様は不思議そうに首をかしげた。
「待たせてるの?――小霧ちゃんが嫌だって言ったわけじゃないんでしょう?」
「はい――」
「彼が、あえてそうしたいってことかな」
「……よく、わからないんです」
そう。ほんとによくわからない。
時々近くてびっくりすることがあるし、そんな雰囲気もゼロじゃない。
「でも、『早く』とも言われてないんでしょう?」
「えっと……『いつまで待たせるの?』って、冗談っぽく言われたことは、ありますけど」
「ふふ。勝手に待ってるのにズルいわね」
「え……?」
(『勝手に待ってる』……?)
何かに気付いた私を見て、いたずらっぽく笑った。
「小霧ちゃんに言い訳させたくない……とか?」
「言い訳……?」
「『無理やり結婚させられた』とか『そんな気なかった』ってね」
言葉の意味をうまく飲み込めない。
どういうことだろう。
えーっと、つまり――。
「私が”そんな気”になるまで、待ってるってこと……?」
(そんな風に考えたことなかった。……ほんとに?)
「……わかんない!」
透子様はくるっと表情を変えて明るく笑った。
「今のはぜーんぶ私の勝手な想像よ?」
「想像……」
「うん。彼にしか答えはわからない。だから——確かめてみたら?」
(そんな気軽に……)
透子様は今日のごはんを聞くくらいの気軽な感じで言う。
そんなこと聞いてる自分、想像もつかない。
「どうやって……」
「毎日来てくれるんでしょう?」
「はい」
「毎日会えるわ」
(しまった――!)
自分のことに夢中になって、透子様の傷に触れてしまっていたことに今更気付いた。
謝るのもなんだか余計に悪い気がする。
こういう時どうしたら――。
「あら、ごめんなさいね。ふふ」
彼女はわざとらしく、ちょっとだけ意地悪な顔をして笑った。
「透子様……ごめんなさい」
「大丈夫よ、何にも問題ない。聞いたのは私だし。相談してくれて嬉しいわ」
「ありがとうございます」
透子様が優しく微笑んで、もう一つ聞く。
「小霧ちゃんがどう考えてるか、ちゃんと話したことはある?」
「私がどう考えてるか……?」
「小霧ちゃんはどうしたいかなって」
確かに。
恥ずかしいとかペースに飲まれたくないとか、そんなことしか考えてなかったかも。
「でもあんまり考えすぎるのも良くないから……」
「はい」
もうすでに迷子になって笛になった前科がある。
たぶん私、考えるのあんまり向いてない。
「直感でいいのよ」
「直感?」
「ぎゅってしたいなって思ったらそうしたらいい」
(ハードル高い……)
私にそんな日来るのかな。
「ふふ。無理って顔してる」
なんでわかるんだろ。
「それはまだってことね」
いたわるように笑ってそう言った。
(透子様って大人……)
この人はいったいどれだけのことを乗り越えてきたんだろう。
どうやって今こんなに綺麗なんだろう。
「透子様……だいすきです」
「ふふ、私には言えるのにね。私も大好きよ小霧ちゃん。大丈夫」
大丈夫――?
ほんとに?
彼は”勝手に”待ってて、私は”まだ”で。
でもそのうち直感が働く日がくる、かもしれない。
(それっていつなのかな)
自分の中をそっと覗いて見る。
明日かもしれないけど、もっと先かもしれない。
やっぱりわからない。
でも、そんな日が来そうなことだけはなんとなくわかってて、それが私をじたばたさせる。
そうやって自分を抑えるのに精一杯だった。
彼がしょっちゅう来ないわけを知らない私は、やっぱりどうしようもなく子供だったんだ。




