花の牛車の笛吹き姫
「小霧ちゃん……実雅様の北の方と何かあった?」
「へ……?あやめ様ですか?」
父の送別会準備に忙しくしていたある日、母が突然部屋へやって来て聞く。
声明ライブのことではないみたいで、何のことかわからない。
「もしかして、お嫁いびり……⁉」
「え?何の話ですか?」
真っ黒な瞳を潤ませ、わなわなしている。
ぜんぜん話が見えない。
”お嫁いびり”って何だソレ。
「最近噂を聞いたのよ。意地悪されてるの? 母様、実雅様なら良くしてくれるって思ってたんだけど。ねぇ、大丈夫なの?」
「噂? どういうことですか?」
どんな噂か尋ねても、私の耳に入れたくないのか詳しく話そうとしない。
(いったい何のことだろう……?)
その謎はすぐに解けた。
「お前、“花の牛車の姫”って呼ばれてんぞ」
舞楽の練習をと皆で集まった日。
やって来た親房様が私を見るや、ニヤニヤ顔で教えてくれた。
「“花の牛車の姫”……?」
なんだそのヘンテコな呼び名は。
さらに秋成様と弟も加わった。
「僕も聞いたよ。花飾りをつけた牛車がこの邸あたりをウロウロしてたって」
「うん、僕もからかわれた。“花の牛車の笛吹き姫”紹介しろって……」
「花飾りの牛車……。笛吹き姫……?」
(あれ。増えてない?)
花の牛車って――
「……あやめ様の!」
あれか。
たぶん、あやめ様が迎えに寄越してくれた牛車のことだ。
花飾りを頭に乗せた牛が牽いてて、牛飼い童はやけに派手で……。
あの時は緊張でそれどころじゃなかったけど、どう考えても目立ちまくってたに決まってる。
「そんな。え、花の牛車の姫って……」
後ろからクスクス笑い声が聞こえてきた。
「実雅様……! 知ってたんですか!」
「あはは! うん、その日のうちにね。噂好きの上司が『お前んとこの嫁同士、大丈夫なの?』って。ははっ」
(だから知ってたんだ……!)
あの「見てません」の文だけで、なんであやめ様に会いに行ったのかわかったんだろうって思ってたけど。
まさかあの日のうちに内裏で噂になってたなんて……。
平安貴族の情報ネットワーク、爆速じゃん!
「どうしよう、そんな変な噂立てられたらお嫁にいけない……」
「良かったな!嫁にもらってもらったあとで」
親房様がまだニヤニヤしながら言う。
いいわけあるか。
そんな噂のことなんてすっかり忘れて準備に練習にと慌ただしく過ごすうち、あっという間に出立の宴当日がやってきた。
篝火、お膳と、庭も邸も宴会仕様に整えられ、気の早い招待客が明るいうちから集まり始める。
久々に会う叔父が、やってくるなり私に言った。
「やあ小霧、牛車でパレードしたんだって?」
「してません!」
食い気味に力いっぱい否定する。
「おかしいな? 小霧が笛を吹いて花をまき散らしながら牛車で練り歩いたって聞いたけど」
(私、ひとりカーニバルしたことになってる?!)
話にめちゃめちゃ尾ひれがついてるじゃないか。
横で実雅様や親房様が大爆笑している。
この噂、みんな知ってて私に黙ってたんだ!ひどすぎる……。
私も弟も子どもの頃から、この優しい目をした叔父が大好きだ。
訪ねて行っては笛を教わり、お返しに前世の歌を披露した。
以前、弟にプレゼントした鳥の囀り笛も、愛用の牛の鳴きマネ笛も、すべて叔父のお手製だ。
「噂になるほど元気で良かったよ」
「叔父様はどうしてました?」
「世捨て人はどこでも気楽なもんだよ」
数年前に突然出家して、今は少し離れた山寺住まいだ
なかなか会えないのが寂しくて、時々弟と訪ねていく。
「小霧の笛に尚の舞だって? おもしろい組み合わせだね」
緋色の舞装束を身に付けた弟を見て、叔父が目を細める。
「実雅様が提案してくれて」
「二人舞か。尚も心強いね。ひょっとして他の手配も?」
「全部ぜーんぶ実雅様が!」
弟がここぞとばかりに叔父に言う。
「姉さんは『宴しよう!』て言ってあとは楽しそうにしてるだけで……!」
「ちょっと、尚」
「はっはっ。小霧、いい婿殿を捕まえたね」
「……」
(捕まえられたのは私ですけどね……)
って、そんなこと言えるわけもなく黙って目を逸らした。
「小霧の笛、久しぶりだね。楽しみだ」
わいわいと話していると、そろそろ出番だと家の者が呼びに来た。
いつの間にか日は傾いて、庭は薄暗くなっていた。
篝火が焚かれて、時々においが届く。
宴席には見知った顔が並んで、ボソボソと語り合っている。
柄にもなくちょっと緊張していると、御簾の向こうから親房様が声をかけてきた。
「失敗したら別のあだ名考えてやるよ」
「笛吹き姫でけっこうです!」
「はは、まじか」
「……」
こっちを見ている秋成様に気付く。
「あっきー、どうかした?」
「初めの音、なんだっけ」
「うそ!大丈夫?!」
「うそ」
「もう!」
秋成様が優しく微笑んだ。
篝火に照らされて浮かぶ横顔に、一瞬見惚れてしまう。
(あっきーって……性別超えてるよね)
「小霧からだ」
秋成様に促され、息を吸い、始まりの音を鳴らす。
私たちの音に応えるように太鼓が鳴らされ、秋の夜の空気が震えた。
背中をゾクゾクとしたものが駆け抜ける。
指先が冷たい。
でも体の芯は熱くって、お腹の底がぎゅっとなる。
実雅様と弟が、静かに舞台中央につく。
緋色の装束に鳳凰をかたどった甲をかぶった姿が篝火に照らされていた。
(始まる——)
舞人二人がすいと腕を上げる。
舞に合わせて笛を吹く。
ふわりと空気が変わった。
私はなんてきれいな人と結婚したんだろう。
その瞬間、頭の中にあったことは全部消え去ってて、ただずっとこの瞬間を味わっていたかった。
自分の吹く笛の音は、どこか遠くで鳴っている。
笙の音が広がっていく。
篳篥が歌ってる。
舞人二人が時折こちらを窺う気配がする。
音を返す。
管弦の音が夜の中に染み込んでいく。
篝火に照らされた美しい舞人だけが、そこにいた——。
ふつりと音が消えた瞬間、宴席のざわめきが戻った。
振り返ると母が号泣し、女房たちに支えられている。
(母様ったら……)
舞台の上の弟へ目をやると、ほっとしたように眉を下げていた。
隣にいる実雅様は、いつも通り穏やかに微笑んでいる。
目が合ったような気がして、なんとなくくすぐったい。
「小霧ちゃん、小霧ちゃんっ……。わたくしもう……!」
泣きすぎて上手く喋れない母が私の手を取る。
「母様、どうでした? 父様もお客様も喜んでくださったでしょうか」
「ええ、ええ! あなたも尚継も、もう眩しいくらいで……!」
「ふふ。実雅様のおかげですね」
本当に今回は彼のおかげとしか言いようがない。
どうお礼を言えばいいんだろう。
(私の大事な友達にも……)
「あと、秋成様と親房様も。一度母様からも何かお礼をしていただけると……私も嬉しいです」
「ええ……!家族の宴にここまでしてくださるなんて……」
女なのに笛ばっかり吹いたり、秋成様や親房様と会ったりするのを、母は良くは思ってないのは知ってた。
(私もちゃんとお礼言いたい)
宴はそろそろお開きの頃で、父はたくさんの人に囲まれて嬉しそうに笑っている。
舞装束から直衣姿に着替えた実雅様がやってきて、御簾のすぐそばに座った。
「実雅様……」
慌てて背筋を伸ばす。
「ありがとうございました!」
なぜだか焦ってしまって思わず大きな声が出た。
実雅様はちょっと笑って、静かに言う。
「あなたの笛はやっぱり違うね」
「そうですか?」
「隠しておきたいけど……」
低くつぶやくから最後がうまく聞き取れない。
庭から届く篝火の明かりだけが彼をくっきりと縁取っていた。
「?」
「まあ無理かな」
諦めたように小さく笑って肩をすくめる。
視線を外した横顔が、なぜか気になった。
「どういう——」
「やあやあ、婿殿!こんなところに。ささ、こちらで一献」
聞き返そうとしたら、酔っぱらったおじさま連中が連れていってしまった。
父の声が聞こえてくる。
「実雅殿、今回は本当にありがとうございました。変わり者で面倒をかけるでしょうが、よろしくお願いします」
「大事にします。ご安心ください」
落ち着いた調子で父に返している。
(“安心”、かぁ……)
なぜかあやめ様のことを思い出した。
――二人には仲良くしてほしいと思ってるのよ?――
あやめ様はあんな風に言ってたけど、ちゃんと「安心」してて「大事に」されてるような気がする。
二人のことは正直よくわからない。
実雅様は相変わらずほとんど毎日うちに来る。でもあやめ様のところにもちゃんと行ってる気配がする。
(実雅様ってよくわからない……)
篝火に照らされた彼の舞姿がよみがえる。
頭の奥ではまだ音が鳴っていた。
揺らめく光と楽の音が、遠い紫陽花の夜につながっていく。
彼を信じてみてもいいのかもしれない。
そう思う自分を止められるはずがなかった。
それが正解かどうかは、まだわからないけれど。
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