くちゃくちゃの恋の始まり
「実雅様ってさ、一緒にいると世界一の美女気分になるんだって」
「あぁ!お話すると髪が伸びるってそういうこと?」
「そうそう、目が合うと動けなくなるんでしょ?」
(髪が伸びる?石化の魔法?どんなチートだ?……ってここ平安世界だったよね?)
笛の手入れをしながら、女房達の謎の噂話に心の中でツッコミを入れていたら――。
「小霧、お前に文だよ。実雅様って知ってるかい」
知りません。
――ってほんとは言いたい。
父が差し出したのはくちゃくちゃの紙切れだった。
「父様、いま文って言いませんでした?」
「文だよ」
紙を開いて見ると、何が書いてあるのかほとんど解読不能だった。
平安風世界に転生して19年。適齢期に男の人にもらう文=ラブレターだと思ってたけど、違うってこともあるっぽい。
「えーと、父様。これ、私に何のご用でしょうかね」
「求婚だ」
「いやいや、そんなわけないでしょう」
父が持ち帰った文は、前世で言うところのコピー用紙みたいな無機質な白い紙でシワだらけ。文字はぐにゃぐにゃだ。
この人何があったんだろう。こんなのよこすなんて普通に心配だ。
「求婚だよ。実雅様が小霧、お前に渡すようにとおっしゃった」
「人違い?」
「違わない」
「いや、おかしくない?」
「おかしくない。もう19だ」
「あ、ハイ。すいません」
この世界で成人して早5年。中流貴族の姫で、婚期もとうに過ぎかけてる。
のらりくらりと話を躱してきたが、さすがに年貢の納め時か。
(こんな年貢……っ)
これならこないだの、色白の、なんだっけ。名前忘れちゃったけどあっちの方がマシだったかも。なんで実雅様みたいな人が――。
「なんで私なんですかね?」
「さあ……」
(さあって、そんなんある?)
とはいえ自分で言うのもなんだが、私は非おすすめ物件の姫だ。
たぶん家族も同じ意見に違いない。その証拠に、普通は家族総出で娘の噂を流したりして婿取りするもんだけど、我が家はまったく消極的だ。
「あ、わかった!さては"遊び"ってやつですね?」
ははんと名探偵気取りで顎を撫でて言うと、呆れた顔で父が返す。
「そんなわけないだろう」
「だってこんなくちゃくちゃだよ?」
「……」
黙った。
「しかも実雅様って噂が――」
「とにかく文は渡したから、きちんとお返事をな、小霧」
逃げた。
(いや、逃げたいのはこっちなんですけど)
だって実雅様って――。
嫁も子供も、恋人もいっぱいいるって噂の人じゃないか。
(しかもさっき女房達の話で謎のチート情報、じゃなかった、噂が……あれどういうこと⁈)
「めっちゃイケメンってことですよ姫様」
「あ、そういう」
女房が笑いながら教えてくれた。
「いやだ姫様。動けなくなるのは"ときめきで”、ですよ」
「恋の力で、肌も髪も綺麗になるんですって。どんだけって話ですよねー」
「こわ……」
これはますます危険な匂いがする。
このままだと、私が最も恐れていた「結婚→ポイ捨て→孤独死」コースだ。
(十代の娘に妻子持ちの遊び人とか。平安世界、ほんとこわすぎ……)
この平安風の世界に転生したってのは確かなんだけど。
前世のことはあんまり覚えていない。
ただ、やたら占い好きだなとか、家がオープンエアだなとか、小さい頃からそういう比較は気付けばしていて。
前世のことで覚えてることって――。
頭の中はクラシックから現代音楽までごちゃまぜで、いっつも何かの曲がかかってる。
あと、何かの音をすぐ楽器で再現しようとしちゃう。
「小霧ちゃん!こないだの牛の真似やって」
隣の邸の子どもがやってきてうれしそうに言う。
「えー……。あれやると母様に怒られるんだよ」
でもかわいいリクエストを断るわけにはいかないよね?
「仕方ないなぁ。一回だけだよ?おっきい音出るからね?」
叔父特製のぶっとい特大笛を取り出して構えると、もうクスクス笑ってる。
この笛の出オチ感、毎度ながらすごい。
大きく息を吸い込んで、地の底から響くみたいな野太い音が出た瞬間、子ども達はげらげら笑いだした。
「小霧……」
しまった。聞かれた。
「なんでしょう、父様」
父はちらりと大きな笛を見たけど何も言わない。
「文だよ。実雅様から」
終わったんじゃなかったの?
「内裏で偶然会ってね」
「偶然?」
(つい昨日まで一度も聞いたことなかったのに……)
と、渡された文を見て驚いた。
この季節にぴったりの紫陽花色の紙に、恋文のお手本のような和歌が、お洒落感たっぷりの文字でしたためられていた。しかもなんかいい匂いまでする。
「わー。すごい」
思わず間抜けな感想が漏れた。
今までどれだけ恋文書いてきたんだろう。
うさんくさ。
(て、昨日のアレは一体……?)
そうなのだ。実雅様って、姿よし・頭よし・家柄よしで有名な人だ。
しかも評判の遊び人。こっちが通常運転だよね。
なのに昨日はどうしてあんなにくちゃくちゃだったんだろう。
片目を瞑りながらしぶしぶ読むと、「笛を吹くあなたの正体」がどうのと書いてある。
「私の正体」――とは?
まさかの転生バレってことはないだろうけど、とりあえず私宛てで間違いなさそう。
それにしても。
「恋文選手権あったら優勝だな」
うますぎ・洒落すぎ・キザすぎ。
ないわ。
こんな文書く人と私が上手くいくわけない。
平安世界の結婚なんて、飽きて捨てられたら人生終了。
女子の働き口なんてほとんどないから、中小貴族の姫なんて親を亡くせば餓死・孤独死もリアルな話だ。
ポイっと文箱に文を投げ入れスルーしてたら――。
「小霧ちゃん、あんな家柄の方の文をほったらかすなんて……」
母に怒られた。
仕方がないので奥の手を使う。
「代わりにお返事書いてくれる?箏で失敗しちゃって今、右手がね……。母様には内緒よ?」
字の上手い女房に代筆を頼んで、私はそそくさと笛を手に取った。
今度こそ片付いたと思ったのに――。
「姫様……!」
ライフワークの楽譜作りをしてると、馬のいななきとドンドン戸を叩く音がした。
何事かと思ったら、家の者が文を手に駆けこんでくる。
「お返事をいただいたら帰るとお待ちです」
文を開いて見ると「自筆で文くれない?」みたいな歌がキザな調子で書かれている。
(なんで代筆ってバレたんだろう。前の色白にはバレなかったのに)
嘘ついて代筆させた後ろめたさを突いてくるとは、嫌味なヤツだ。
「小霧ちゃん、実雅様からのお文なの?」
騒ぎを聞きつけた母までやってきて覗き込む。
「小霧ちゃん……あなた。きちんとお返事なさいと言ったのに……!」
「いやもう、お文が立派すぎて、ね。私の字で返事すると、ほら」
「字なんて誠意でどうにかなりますっ!」
初耳ー。
「いや無理ですて。てか絶対、本気じゃないですよね⁈」
「小霧ちゃんっ⁈」
「すみませんっ!」
キッと鋭い目でこちらを見据えた母に圧倒され、私はあたふたと文の用意をする。
返事を書いて使者に持たせた。
悔しい。
直筆の文にはすぐ返事が来た。
あれ。
今度はぜんぜんキザじゃない。
平安貴族必須の「和歌」ですらない。
これは私の和歌スキルへの忖度か?
「蒸し暑いね、笛の調子も狂うよね」みたいな素朴な文面で、紙も筆跡もオシャレ度は控えめだ。
(この人いったいどういう人なんだろう)
いい匂いの文を手に相手を想像して、ちらっと返事を書いてやってもいいかなと思った瞬間、ぞくっと背筋に震えが走った。
慌てて首を振って不安を打ち消す。
書くわけない。
(こわ……)
この後嵐のように囲い込まれ、のんきな平安ライフが一変することを、この時私はまだ知らなかった。