解決・2
『――気張れよ、ガキ』
急に重圧が消滅した。
身が軽くなったアルバートが視線を上げると、そこには腕から血を流すリュヒトと――彼と対峙する、一匹の黒猫がいた。
あの黒猫。おそらくはシャーロットの店にいた猫だろう。
猫がリュヒトの腕を引っ掻き、そのおかげで重圧が消えたのだろうか?
ふふん、とばかりに黒猫が首だけで振り返る。
『ガキのくせに中々やるじゃねぇか。あのリュヒトと面と向かってやり合うのももちろんだが……シャーロットへの評価も気に入った。そうだ、そうだ。あいつに王だの神だのは似つかわしくねぇ』
「……猫が、喋っているのか……?」
普段であればさしものアルバートも取り乱すだろうが、自分でも驚くほど冷静にその事実を受け入れていた。吹き乱れる魔力風と、王者の風格を漂わせるエルフ。そして神扱いされるシャーロット……。そんな状況下では猫が喋ることもすんなりと受け入れられたのだ。
『ちっ』
突如として現れた黒猫を睨み付けながら、リュヒトが舌打ちをする。
『下賤なダークエルフが。生まれは卑しくとも、貴様らとて共に我らが神を戴いた存在であるはず。なぜ邪魔をするのだ?』
『ハッ、一丁前に忠臣のつもりか? その神様とやらの意思を無視して、無理やり『力』を目覚めさせようとする逆臣が。肌の白さしか誇れることがねぇくせに、偉そうな口を利くんじゃねぇよ』
『…………』
『さぁ、さぁ、お嬢様がお怒りだ。自業自得だな』
『なにを言って……』
訝しげなリュヒトの右腕を、掴む者があった。
シャーロットだ。
意識を失っていたはずの彼女は、しかし今は気だるげに目を半分ほど開いて、そのままリュヒトを後ろに放り投げた。
細身の女性が男性を投げ飛ばせるはずがないというのに、まるで脱いだ服を投げ捨てるような軽快さであった。
『な、なぜだシャーロット!?』
どこか間抜けな絶叫を上げながらリュヒトは宙を舞い――そのまま、消えた。
アルバートは知る由もないが、『開錠』した世界に放り投げられてしまったのだ。
世界が閉じ。後ろ髪すら引かれることなくシャーロットが寝ぼけたような目で店内を見渡し、とある一点で視線を止めた。
その先にいるのは、義妹・アリスだ。
途端に怒りがその瞳に込められる。
(マズい!)
おそらくシャーロットは暴走状態のままだろう。未だに収まらぬ魔力風がそれを証明している。
自分を虐待していた家族。
扇子で殴りつけてきた妹。
今、シャーロットが暴走状態になった原因は、この場にいるアリスが原因だろうとアルバートは踏んでいる。そんな妹を前にして、どうして普段のシャーロットのような対応を期待できるだろうか?
止めなければ。
あるいは、アリスを逃がさなければ。
助ける義理はないが、それでもシャーロットに『妹殺し』の罪を背負わせるわけにはいかない。
「アリス! 立てるか! すぐに逃げるぞ!」
アルバートが駆けつけるが、アリスは床にへたり込んだまま動こうとしない。腰が抜けているのか、とアルバートは思ったが、どうにも様子がおかしい。
「アリス……?」
その顔に恐怖はない。
その瞳に恐れはない。
むしろ、歓喜。
その顔にあるのは恍惚。
その瞳にあるのは喜び。
何をしているのか。
どんな状況か理解できないほど鈍いわけでもあるまいに。じっと、じっとアリスはシャーロットを見つめている。
――神。
リュヒトの発言が思い出される。
今のアリスは、まるで、神を前にした狂信者のようではないかと。
「あぁ!」
まるで絶頂したかのようなアリスの嬌声。瞳は潤み、涙となって頬を伝う。
なんだこれは?
自分は今何を前にしているのだとアルバートは背筋が冷たくなる。
そんな彼に構うことなくアリスが叫んだ。
「ご覧くださいアルバート様! お姉様がわたくしを見てくださっています! いつもはわたくしに目もくれなかったのに! 今ではあんなにも感情を込めた瞳で! わたくしだけを!」
見てくれている?
姉が、妹を見る? たったそれだけのことで、なぜこの女はこんなにも喜んでいるのだ……?
「狂っているのか!?」
理解できない存在を前にアルバートが一歩後ずさる。あのリュヒトと対峙したときもそんなことはなかったのに。
『おいガキ! そっちの相手はあとにしろ!』
黒猫の叱責を受け、アルバートが意識をシャーロットに戻す。
「黒猫殿! シャーロットは目覚めたようですが、魔力の暴走は止まらないのですか!?」
『まだ完全に目覚めてはいないんだよ! いうなれば寝ぼけているんだ! 膨大な魔力に自分で酔っ払って、ここが夢か現実か区別が付いていないっぽいぜ!』
「ではどうすれば目を覚ましますか!?」
『……こういうときはお約束だ!』
「おやくそく?」
『――キスだ! キッス! 眠り姫を起こすのは王子様のキスと相場は決まっているだろうが!』
「き、キス!? 誰が誰に!?」
『お前以外に誰がいるんだ!? 俺がやってもいいのか!?』
「い、いや、それは……しかし、寝ぼけている淑女に対して、そんな……せめて想いを伝えてからではないと……」
『じゃあさっさと想いとやらを伝えて、その上でキッスだ!』
「そ、そんな乱暴な……っ!」
『悩んでいる暇はねぇぜ! 今はあの二人が結界を張って魔力の暴走が外に漏れるのを抑えているが、いずれは根負けする! そうすりゃこの膨大な魔力が外に吹き出して王城や魔導師団の連中も気づくだろう! ――これだけの魔力を持っているシャーロットを、連中が放っておくと思うのか!?』
「ぐ、む……」
ギュッと瞳を閉じ、覚悟を決めたアルバートは目を見開いた。そのまま一歩二歩と勢いに任せてシャーロットに近づいていく。
とにかく、シャーロットを目覚めさせなければ。
「――シャーロット。キミは私を『完璧』だと評価してくれたが……私はそんな立派な人間ではない。告白する勇気すらなく、契約結婚などという時間稼ぎをして――二年もの時間があったのに想いを伝えることができなかったダメ人間だ」
もはや自分でも何を言っているのか分からないが、それでもアルバートは続ける。キスをする前にシャーロットが目覚めてくれることを期待して。話しかけ続ければもしかしたら目を覚ましてくれるかもしれないと。
「キミの望みは知っている。貴族を続けることでも、王妃になることでも、公爵夫人になることでもない。――お花屋さん。キミはずっとその夢を追いかけていたね。そんなキミが、私には眩しく感じられた」
ついに、とうとう。アルバートはシャーロットの前にたどり着いた。当然だ。いくら規模が大きくても、しょせんは店内での出来事なのだから。
どこか寝ぼけたような目のまま、シャーロットがアルバートを見上げてくる。
こんな状況ではあるが。
好きな女性が目の前にいれば。いくらヘタレな男だって勇気の一つも湧いてくるというものだ。
「花屋を続けたいなら、続けていい。公爵夫人が嫌なら、ならなくてもいい。ただ、私の思いは伝えさせてくれ。――シャーロット。好きだ。公爵とか伯爵令嬢とか関係なく。キミの美貌や銀髪も関係なく。ただ、一人の男として、キミを愛おしく思っている」
一世一代の告白。
しかしシャーロットの寝ぼけ眼に変化はなく。後ろでは黒猫が『キース! キース! ぶちゅっといけー!』と煽り散らかしている。
寝ぼけている女性にキスをするなどという良心と、早くしないと王宮や魔導師団にシャーロットの存在がバレてしまうという危機感。そして好きな人とキスをしたいという欲求が競い合い、危機感と欲求がアルバートの背中を押し、覚悟を決めた彼が強く目を閉じてシャーロットへと顔を近づけたところで――
「――アルバート様? 何をしているんですか?」
破滅の声が聞こえた。
アルバートが目を開けると、先ほどとは違う意味で半眼となったシャーロットの姿が。
「わ、わぁ!?」
なぜかアルバートの方が素っ頓狂な声を上げてシャーロットから距離を取り、
『あー! もう! のたのたしているから! このヘタレが!』
肉球で何度も床を叩く黒猫・クロちゃんであった。
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