報復
なんかもう面倒くさいなぁ。さっさと帰ってくれないかなぁ。むしろ作業場の殿下たちが乱入してくれればすぐに終わる……いやもっとややこしいことになりそうよね。
ちなみに作業場にいる殿下たちにもアリスのキンキン声は聞こえているはずだけど、こちらに来る様子はない。まぁ、平民相手の商売なんだから怒鳴られることくらい普通だと思っているのかもね。
私の面倒くささは顔に出てしまっていたのか。アリスはもう面白いくらいに顔を真っ赤にしている。
「いつもいつもこちらをバカにしたような顔をして! 何様のつもりですの!?」
いやこっちのセリフですが? 私を別邸に押し込んで。伯爵家には自分しか娘がいないかのような顔をして。何様のつもりなのよ? あなたなんて――
……あぁ、ダメだ。ダメだ。
アリスを前にすると心が憎しみに支配されそうになる。どす黒い感情が身体の奥底から吹き出しそうになる。ここは一旦深呼吸して、落ち着かないと――
「――その余裕ぶった顔が! 気に入りませんのよ!」
一瞬、何があったのか理解できなかった。
まず感じたのは、左頬の鈍い痛み。続いて酷い耳鳴りもしてくる。
アリスの右手。握られていた扇がへし折れている。
あぁ、なるほど。
その扇で私の頬をぶったのか。扇が壊れるほどの力で。
耳鳴りがするのは、たぶん耳にも当たったからだ。
――とうとう。
アリスも、私に暴力を振るうようになったのか。
ぽたり、ぽたりと。
床に血が滴り落ちる。扇のどこかに引っかかれて頬に裂傷ができたのか。あるいは口の中が切れたのか……。鏡はなく、顔の左側が痛みに支配され、もはや出血がどこからなのかも分からない。
ぽたり、ぽたりと。
血が滴り落ちる。
自動回復が、ずいぶんと遅く感じる。
ぽたり、ぽたりと。
血が。
赤い血が。
真っ赤な血が。
あかいあかい、ちがながれる。
こいつのせいで。
わたしが、いたいめにあった。
でも、がまんしなきゃ。
そうしなきゃ。
だって――
『――我慢することなど、あるまい?』
無事な右耳から。あるいは頭の中から。そんな声が聞こえる。
リュヒト様だ。
あの世界にいるはずのリュヒト様が、高貴なるエルフ様が。まるで悪魔のように。とても、とても楽しそうな声で私を惑わす。
『今まで虐げられてきたのだ』
『どれほどの苦しみを味あわされてきたのか』
『死んでいても不思議ではないほどの虐待だ』
『母親の遺品も取り上げられたのだろう?』
『何が家族か。そんな家族がいるものか』
『敵だ。もはや敵だろう?』
『――報復したとしても、罰は当たるまい?』
報復。
報復をしたらどれだけ気持ちいいだろう? それだけ胸がすくだろう? 騒ぐアリスを黙らせて、あの後妻に復讐し、あの父親の大切なものをすべて奪ってしまったら――どれだけ気持ちいいだろう?
やってしまえばいい。
いままで虐げられてきたのだ。
私には、その権利が――
『――にゃあ』
黒猫が、鳴いた。




