近づいて来るもの
皆はこのような経験はないだろうか。
ホラー映画や心霊番組を見た後に、トイレに行く時近くに何かいるような感覚。目を閉じてシャンプーをしている時に、ふと背後に何かいるような感覚。鏡に向かって髪を乾かしている時に、後ろに映る風景に何かが見えたりしたこと。
ただの気のせいだけで済ましているかもしれないが、もしも気のせいで無かったとしたら。本当に何かがいるとしたら。
森本悟は、大学の授業が終わると一旦一人暮らしをしているアパートに戻った。アルバイト迄の時間はまだある。週4で20時から24時までアパート近くのレンタルショップのバイトに入っている。大学に入ってから一人暮らしを始めて2年、炊事洗濯も慣れて毎日、毎週のサイクルも当たり前になって来た。車で1時間半かけて二、三か月に一回は親のどちらかが顔を見に来ることもあるが、最近は余り心配はしていないようだった。
悟は冷蔵庫から豚肉ともやし、キムチを出すとフライパンで豚肉から炒め始めた。肉に火が通ったところでもやしを投入して少し火を通す。浴室で『ガタン』という音がした。気にはなるが、今は見に行けない。多分棚に置いてあるシャンプーか何かが滑って落ちたのだろうと思った。仕上げにキムチを入れて晩飯の仕上げにかかった。
ネットが広まっている今でこそレンタルビデオ店など無いに等しいが、今から20~30年前の娯楽として休日前などは子供を連れたファミリー層や学生などでそれなりに流行っていた。幸いにも今日は平日で、それ程お客が多いわけでは無い。レンタルを返しに来た客がまた新作を借りて帰るのを二人のアルバイトで捌いているだけだ。
眼鏡をかけた顔色の悪そうな学生風の客がレンタルを返しに来た。カウンターにビデオを三本置くと、悟に話しかける。
「この上の一本がタイトルと違っているビデオだった」何故か幾度となく後ろを気にしながらビデオを指し示す。
悟は言われた3本の上のビデオを手に取る。タイトルは『邪悪なもの』だった。悟は聞いたことがなかった。ビデオのジャケットには恐怖に震えている少女が大きく写っている。ホラー映画にも詳しくないし、日本で公開されていない映画もビデオになっている。ただ知らないだけかもしれない。
「中身の映像が違ったのでしょうか。タイトルは出てきましたか」悟はメガネの学生風の男性に聞く。彼は急いでるように早口で答える。
「タイトルも何も、訳が分からない映像が映っているだけ。返金して欲しい」
また後ろを振り返ると、短い悲鳴らしきものを漏らした。向き直った彼の顔は血の気が引いたように色白の顔がさらに白くなっていた。
「もういいから」そういうと返金も待たずに出口へと足早に向かっていく。やはり後を気にしながら。悟はビデオを持ったまま彼の後姿を見送った。
アパートに帰ると、リックから例のビデオを取りだす。勝手に持ち帰って来たのではない。レンタルしてきたのだ。テレビとビデオデッキの電源を入れると、カバーからVHSのテープを取り出し早々にビデオデッキに挿入する。
自動で再生が始まりテレビに映像が映し出される。髪の長い女性が鏡の前で髪を梳いている場面が女性の後姿から始まる。女性の腰まで伸びた黒くストレートな髪が美しいと思った。鏡に映る容姿から判断すると多分日本人らしい顔立ち。眉は細く、化粧はナチュラルで20~30歳と判断した。悟の好みではないが、奇麗な女性であることに否定はしない。
映画の冒頭でもしばらくすればタイトルらしいものが出るだろうと思っていたが、暫く待っていてもタイトルも出てこない。音楽さえ流れていないことに気が付いた。ただ女性が髪を梳いている日常を撮影しているだけのようだ。しかも女性の後ろから取っているにもかかわらず、鏡には女性しか映ってはいない。撮影しているはずのカメラや人物は映っていない。映像処理のことはよくわからないが、撮影後に消すことも可能だろうと思い込むことにした。悟はリモコンを操作すると早送りを始めた。
しばらくすると、場面は女性がシャワーを浴びている場面になった。浴室に置かれた椅子に座って一通りシャワーを浴びると、シャンプーをし始める。またしても彼女の後ろから撮影しているようだ。彼女の白い背中と黒い髪が泡に包まれていく。この場面も音楽は入っていない。日常の音も聞こえず、無音のままだ。音量が小さいのか気になり、リモコンで音量を上げたが、何も聞こえなかった。
ビデオを見て以来、トイレに入る時や浴室でシャワーを浴びる際に誰かに見られている気配がする。鏡に向かっている時も誰もいないはずなのに、鏡に自分以外映っていないはずなのに後ろに気配を感じる。通学する途中やバイトで受付をしている時も。
そして、日に日にその気配が強くなってくる。ビデオを返しに来た学生も同じ状況だったと思う。そして、あのビデオで女性の後姿を見ていた誰か。その誰かが今、悟の後ろにいることは間違いなかった。
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