第九話
???視点
「お前らが貧民街に入ったときには、すでに逃げたあとだった……と。チッ、役立たずめ」
苛立ち混じりの声が部屋に響く。
声の主――豪奢な椅子にどっかりと腰を下ろしたその男は、怒りを紛らわすように葉巻に火をつけ、正面に立つ部下の顔へと吐き出した。
「妖魔のガキ一匹捕まえられんとは、無能にも程があるなぁ」
「面目ありません」
「俺の一存で、騎士団から除名してやってもいいんだぞ?」
「そ、それは勘弁をっ!」
「だったら早く捕まえてこい。だが殺すなよ、国王は生け捕りをご所望だからな」
「御意!」
一礼した部下が、慌ただしく部屋を退出する。静かになった部屋のなかで、男は机を強く叩いた。
「チッ……妖魔のガキごときで、俺の王国騎士団を動かさねばならんとはな」
つい昨日のことだ。騎士団長である男に、『王国に潜伏するヨモリ族の少女を生け捕りにせよ』との王命が下った。
そんなことで誉れ高き騎士団をこき使うな――というのが男の本音だが、なにせ王の命令だ。逆らうわけにはいかない。
せめてさっさと片付けてしまおうと、わざわざ王都で有名な情報屋に金を払い、『昨日までは貧民街にいた』という確かな情報をつかんで部下を向かわせた、はいいのだが――
「見つかったのは妖魔の男の死体だけだと? ……内輪揉めだか何だか知らねぇが、余計なことしやがって。下等種族のくせに」
怒りが再燃し、再び机を叩こうとしたとき。コンコンッと扉がノックされた。
「入れ」
「失礼しますっ!」
扉を開けたのは、さっき出ていったばかりの部下だった。表情に少しの興奮が見える。
「なんだ、もう捕まえてきたのか」
「いえ、しかしたった今《カタリ村》から、『傭兵を名乗る不審な男が、全身ローブ姿の子どもを連れて訪れた』と通報が入りまして――」
「……そいつらは、王都からやってきたのか?」
「はい。通報者いわく、王都から逃げるようにやってきて《メンリダル》を目指していたとのことです」
「ほう、なるほどな」
王都から隣の村にやってきた、全身をローブで隠した子ども。
偶然のはずがない。男はククッと笑い声を漏らした。
「貴様に新たな命令だ。《メンリダル》に先回りしてガキを捕まえろ。生け捕りが条件だが、妖魔のガキだ、多少ケガ負わせても構わん」
「御意。あと、通報した者が金銭を要求していますが、どうしますか?」
「そんなの銀貨数枚でも握らせて黙らせとけ。とにかく、この件は全部お前に任せた。騎士団の他の奴らも使っていいから、さっさとガキ一匹連れてこい」
「御意!」
騎士団長であるはずの男は部下に指揮を丸投げし、背もたれに身をあずける。
楽な仕事だったな――とほくそ笑んだ彼は、すでに少女を捕まえたつもりで報酬の皮算用を始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
グレン視点
「なんか、嫌な匂いがした気がする……」
後ろにカタリ村が見えなくなったあたりで、シュカがローブから顔を出し、ぽつりと呟いた。
彼女の言う、匂い。それは――
「《天恵》か?」
「そう。さっきの……ジェイラって人から、詐欺師みたいな匂いがしたの。そんなに強く匂ったわけじゃないんだけど……」
シュカの天恵である、人間離れした嗅覚。
それは、匂いから俺の過去を推測できるほど鋭い。まさに天性の恵まれた能力だ。
ただ今回は、当たっているように思えない。
「ジェイラには特に何もされなかったし、むしろ親切だったぞ。なにか別の匂いと間違えたんじゃないか?」
「うーん……そう……かもしれない。アタシ、すごい緊張してたし。鼻がちゃんと働かなかったのかな?」
「あぁ、きっとそうだろ」
村や集落の住民は排他的と聞くが、ジェイラは俺たちにずいぶんと優しかった。
俺が担いでいる袋には、日持ちの良い干し肉が山ほど入っている。ジェイラのおかげで、俺は当分の食事に困らずに済む。
というわけで、食の問題は解決した。次なる問題は――
「《メンリダル》に着くまでの数日、睡眠をどこでとるかだな……」
衣食住でいえば、住。この先、どこで寝るかという問題だ。
ここからメンリダルへの道のりには、ぽつぽつと小さな村や町が点在している。なかには宿場もあるだろうし、一晩なら住人が泊めてくれるかもしれない。
ただ、それはあくまで希望的観測にすぎない。
シュカはヨモリ族だし、俺は《追放処分》を受けた身だ。王国を抜けるまでは、なるべく一目につかない道のりを選ぶべきだろう。
しかし、シュカのことを考えると野宿は避けたい。
さて、どうするか――酒を片手にあれこれと悩んでいると、
「アタシは昨日みたいに野宿でもいいよ」
シュカがあっけらかんと笑った。
「えっ、本当にいいのか?」
「うん。ヨナト国にいたときも、よく野宿してたからね」
何でもない風に告げられた一言。酒を飲む手が止まる。
「……それは、ヨモリ族の慣習か?」
「ううん、違うよ。アタシは妾の子どもだから、みんなに要らない子だって言われてさ、よく家を追い出されたんだ」
淡々と語られた重い身の上話に、俺は二の句が継げなくなった。
「とくに、お姉ちゃんにすごい嫌われてたの。アタシも好かれようとがんばってたつもりなんだけど……結局ダメなまま逃げてきちゃった……」
妾の子というだけで家を追い出されても、好かれようと健気に努力するシュカ。
そんな光景が容易に想像できてしまって、俺は右手の剣を強く握りしめた。
幼いながらに周囲の機微を読み、気を遣ってきたのだろう――だから彼女は、まだ子どもなのにしっかりし過ぎているわけだ。
「……生みの親は、どうしたんだ?」
「あぁ、お母さんはね、アタシを産んですぐ死んじゃったんだ。だから顔も知らない」
「そうだったのか。すまん、余計なことを聞いたな」
「ううん。こちらこそごめんね。おにいさんに関係ないこと話しちゃって。やっぱり迷惑かけてばっかだな、アタシ……」
吐き出された言葉が、空気を湿らせる。フードをぎゅっと握りしめたシュカは、寂しそうな目で地面を見つめて――
「そんなことはないぞ」
その言葉を、俺ははっきりと否定した。
シュカがハッと顔を上げる。不安定に揺れる茜色の瞳を、俺はしっかりと見据えた。
「少なくとも俺は、シュカに迷惑をかけられたことなんて一度もない。シュカを迷惑だなんて少しも思わない。むしろ一緒にいて楽しいと思ってるな。それに――」
俺は、両手にもった二つのモノ――右手の剣と左手の徳利、その両方をシュカに見せつける。
「俺がこんだけ美味い酒が飲めるのも、ふたたび剣を振れるようになったのも、全部シュカのおかげだしな」
シュカが現れなければ、俺の人生は間違いなく貧民街で終わっていた。身体も心も腐ったまま、薄暗く狭い自室で死に絶えていたことだろう。
「俺は、シュカに出会えて感謝しているくらいだ。だからさ、もう迷惑だなんて思うなよ」
口にだしてから、柄にもなくクサいことを言ってしまったと頭をかく。
その間ずっと、シュカは俺の顔を呆けたように見つめていて――
その瞳から、一筋の涙が流れた。
「……えっ……なんで……」
慌てたように目を拭うシュカ。しかし彼女の意思に反して、涙はとめどなく溢れてくる。
幾筋もの光が褐色の頬を伝い、地面を濡らした。
「ごめん……なさい……泣くつもりは……なかったんだけど……」
「謝らなくていい。我慢すんな。涙ってのは流したいときに流すもんだからな」
口癖のように謝るシュカにそう言うと、彼女は泣き面に笑みを浮かべた。
「……ふふっ……クサいね……」
「うるせぇよ、俺も気にしてるんだから」
「……ありがと」
「……あぁ」
なんともいたたまれない空気だ。俺は気恥ずかしさに耐えられず、顔をそらして酒に逃げる。
そんな俺を見て微笑みながら――シュカは静かに涙を流し続けた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
カタリ村から二十キロほど離れた小高い山の上に、一人の男が立っていた。
黒いツナギで身を包んだ、褐色肌にツノを生やした青年。
山の頂点に立ち、よく開けた周囲の景色を異常なまでの眼力で眺め回していた彼は、
「あぁ、見つけちゃいましたねぇ」
ある一点へと視線を固定し、歯茎を見せた。
「シュカの隣にいる男が、フェルドのガキを殺したヤツですかねぇ。剣士ですか……やたらと酒を飲んでいますねぇ」
遥か遠くの小道を歩いている二人の姿を観察しながら、男は独り言をこぼし続ける。
「一見、ただの酔っ払いカスにしか見えないですけど……フェルドもしょせん、決闘でイキってただけのクソガキだったということでしょうねぇ」
同族のフェルドが死んだにも関わらず、彼は嬉しそうな表情を見せた。
「その調子で、私の上位にいる奴らを殺してくれたらありがたかったのですが。残念、あなたはもう終わりです。私に殺されてしまうのですからねぇ」
遠くのグレンに視点を定めて、一人で喋り続ける男。
その細い身体が、ゆっくりと地面に沈みこんでいく――
「フェルドに勝ったわけですから、腕はそれなりなのでしょう。ですが、影に潜れる私には勝てません。姿も見せずに近づき、短剣で心臓をひと突き――暗殺者の本懐を見せてあげましょう」
最後に少しだけ、陰険な本性を顔に出した彼は、自分の影に沈みこみ、その場から姿を消した。