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6月 釣り堀居酒屋で家族談義

 目の前には魚が泳ぐ生け簀。そして釣竿を手に持つ俺と鈴木さん。

「わっ、かかった!」

 隣で鈴木さんが大声を上げる。釣竿を引き上げた先には、ぴちぴちと跳ねるアジ。

「鈴木さん、すご」

「すごいですね」と言おうとした俺の言葉が途切れたのは、ぐぐぐっという手応えを感じたからだ。踏ん張れない下半身を思い切り踏ん張って、慎重に釣竿を引き上げる。

「真也、すごいじゃん」

 鈴木さんの言葉に俺は得意になる。俺が釣り上げたのは、活きのいいヒラメだった。

 結局俺たちの釣果はアジが二匹、カレイが一匹、タイが一匹、そしてヒラメが一匹。それらを店員に託して、俺たちはテーブル席におさまった。

 今回俺たちが訪れたのは、釣り堀居酒屋。自分たちで釣った魚を好みの調理法で調理してもらえるという、夢のような店だ。

 釣竿レンタルの基本料金を支払ったら、制限時間内に釣った魚は全て調理してもらえることになっている。もちろん、何も釣ることができなくても最低限の魚は保障される。店員に訊ねたところ、俺たちの釣果はヒラメの分だけ平均よりも上ということだった。

 いつものようにビールで乾杯する。お通しは、ブリ大根。魚臭いという印象しかなかったブリ大根だが、全くそういうことはなく、ふっくらとしたブリを味わう。大根も口の中でほろほろとほどけた。

「美味いな、ブリ」

「えぇ。全然魚臭くない」

「俺たちが釣った魚も楽しみだよな」

 思わず頬がゆるむ。調理法を指定したとはいえ、どんな感じで提供されるのか、やはり楽しみだ。

「それにしても、鈴木さんの魚釣りの上手さには驚きました」

 俺はヒラメこそ釣り上げたものの、そのほかの魚は全て鈴木さんが釣ったものだ。

「昔、親父に連れられて、よく魚釣りに行ってたんだ。でも、今回はまぐれだよ」

 鈴木さんがへらっと笑ってビールを飲む。

「でも久しぶりに童心に帰ったよ」

 そんな鈴木さんを見て、俺は少しの嫉妬を覚える。きっと鈴木さんは両親の愛情を一身に受けて成長したに違いない。それに比べて俺は……。

「真也は? 釣りは初めてだった?」

「はい。俺、海のない環境で育ったんで」

「そっか」

 軽い調子で返事をした鈴木さんに安心していたら、さっき釣った魚が運ばれてきた。アジのなめろう、タイとヒラメのお造り。それに、メニューを見て注文したサーモンフライ。

 こいつらはさっきまで元気に泳いでいたのだという感傷は早々と去り、俺たちはその新鮮な美味しさにしばし悶絶した。ねぎと大葉、味噌と生姜の風味が楽しいアジのなめろう、こりこりとした食感のお造り。そしてサーモンフライはさくさくで、ソースなど何もつける必要がない。

「美味すぎるな……」

「はい。俺、今ちょっとどうかしちゃってます」

「これからもっとすごいのがくるんだよ」

 そうだ、俺たちが釣ったのはまだまだこれから調理されてくる。

 だが、その次の鈴木さんの言葉に、俺は固まることになった。

「そういえば真也って、どこの出身? 海のないとこってさっき言ってたけど」

 俺は兵庫県の真ん中くらいに位置する地方都市の出身だが、あまり触れられたくはなかった。というのも、俺は家族の中で居場所を見つけることができず、故郷の街にもあまりいい思い出がないからだ。

 俺には二歳上の兄がいて、ことあるごとに優秀な兄と比べられてきた。父親と同じ公務員の道に進んだ兄に対して、実家を飛び出した挙句、事故に遭い車椅子生活を強いられている俺。事故のあと、不本意ながらも家族に頼らなければならず、そのことがきっかけで両親や兄との関係は改善したとはいえ、やはり後ろめたいことに変わりはなかった。

 今までの俺なら、適当に話をはぐらかして別の話題に持ち込んだだろう。だが、鈴木さんになら打ち明けてもいい。いや、ぜひ話を聞いてもらいたい。そんなふうにさえ思えるようになっていた。

 だから俺は、素直に生まれ育った都市の名前を告げた。すると鈴木さんはうんうんとうなずいた。

「あぁ、知ってる。といっても、日本海に行く途中に通ったってだけだけどな」

「しょせん、そんな扱いですよ」

 俺も笑って返事をする。俺の出身地は、マイナーな地方都市だ。人が集う観光地もないし、有名な特産品もない。

「鈴木さんは? どこ出身なんですか?」

「俺はずっと神戸」

「出身を聞かれて、『兵庫』って答えない人種ですね」

 俺はそう言って茶化した。神戸の人は、神戸出身であることを誇りに思っていて、出身地を聞かれても「兵庫」ではなくて「神戸」と言うのだということを、以前耳にしたことがあった。

「別に意識してるわけじゃないけど、確かにそう言ってるわ」

 タイのお造りを、試しに醤油をつけずに頬張った。醤油が必要ないほど美味しい。

「舞さんも神戸ですか?」

「うん。舞もずっと神戸。増井先生は?」

「香織さんは岡山です。何か、神戸の大学に麻酔科の権威がいたとかで、大学からはずっとこっちですけど」

「出た、増井伝説」

 釣った魚の料理が運ばれてきた。ヒラメとアジのムニエル、カレイの煮つけとから揚げ、タイのアクアパッツァ。どれから食べようか迷うほどだ。鈴木さんの表情も輝いている。

「美味そうだなぁ」

「はい」

 迷った結果、普段の生活ではあまり食べる機会のないアクアパッツァから食べることにした。鈴木さんの釣ったタイのほかにはアサリとプチトマトが入っていて、ブラックオリーブが散りばめられた目にも麗しい逸品だ。

 切り身を皿に取り、一口かじる。にんにくの香りと唐辛子の辛味、アサリのだしがタイを引き立てている。

 一方、鈴木さんはアジのムニエルに口をつけた。

「カレーだ」

「そうなんですか?」

 その言葉につられて、俺もアジをぱくっといった。口に広がる優しいカレーの風味が、アジを食べやすくしている。これは香織さんに作ってあげよう。そう思っていたら、鈴木さんに先回りされた。

「真也、これ増井先生に作ってやれよ」

「はい。俺もちょうど同じことを考えてました」

「でも、地方出身者の真也と増井先生が、神戸で運命的な出会いを果たしたんだよなぁ……」

 ジョッキに残っていたビールを飲み干して、鈴木さんが感慨深そうに言った。俺もぐいぐいとジョッキを空ける。二杯目のアルコールを注文した。俺はレモンサワー、鈴木さんはハイボール。そして、メニューからサバの竜田揚げと海藻サラダ。健康的な海藻サラダは、鈴木さんのチョイスだ。きっと舞さんの教育の賜物なのだろう。

「そうですねぇ……」

 俺は、先月スペインバルで鈴木さんと飲んだ時に交わした会話を思い出しながら言った。

「俺、これまでどこかで香織さんに対して申し訳ないと思ってたんですよ。俺と出会ったせいで、香織さんは憧れていた研究者への道を断たれたんじゃないかって」

 今度はヒラメのムニエルを食べながらじっと聞いている鈴木さん。俺もヒラメのムニエルを食べると、こちらはチーズ風味だった。

「だけど、この前鈴木さんは俺が香織さんを人間にしたんだって言ってくれた……。その言葉を聞いて、香織さんは俺と出会ってよかったんだなって」

「ひとりの患者としての俺から言わせると、やっぱ優しい先生の方がいいからなぁ」

 はははっと笑って、鈴木さんは運ばれてきたハイボールを飲み、俺もレモンサワーを飲んだ。

「ってことは俺、真也に感謝すべきか? 麻酔担当の先生が優しくなったから」

「はい。俺に感謝してくださいね」

「感謝いたします」

 殊勝にそう言ってからいたずらっぽく微笑んだ鈴木さんと、ジョッキを重ねた。

 カレイのから揚げには岩塩がついてきたので、つけて食べる。さっきまで泳いでいたからか、身がジューシーだ。煮つけも身がふっくらしていて甘辛い煮汁とよく合う。

 唐突に、鈴木さんになら家族のことを聞いてもらいたいとさっき思ったことを思い出した。だが、話が脱線してしまったので、言えずじまいだった。

 何とか会話の糸口をつかもうと、俺は鈴木さんに質問を試みた。

「鈴木さんって、きょうだいとかいるんですか?」

「いないよ。俺ひとりっ子だから」

「ひとりっ子! うらやましいです」

「えー。俺はきょうだいに憧れてたけどなぁ。美人な姉ちゃんとかいいじゃん」

 また何かよからぬ妄想をしているのか、にやける鈴木さんにとりあえず釘を刺す。

「えーっと、舞さんに言っ」

「それだけは絶対だめ」

 お約束となりつつあるやり取りを済ませたあと、俺はしかめっ面を作って言った。

「きょうだいなんて、いいことないです。俺もひとりっ子がよかったなぁ……」

「何で? きょうだいがいた方が単純に楽しそうじゃん」

 アルコールに遅れること数分、アジとカレイの骨せんべいとサバの竜田揚げ、海藻サラダが運ばれてきた。骨せんべいは、鈴木さんが釣った魚のものだ。アジとカレイもここまで調理されたら、供養になるだろう。

 どちらがアジかカレイか説明をされたにもかかわらず、もはやわからなくなってしまった俺は、側にあった骨を手でつかんで食べた。骨もバリバリと割れて香ばしい。いつか俺の骨の一部となることを期待する。

「だってうち、ひどかったですもん。兄貴がいるんですけど、これがまた優秀で。バカな俺はいつも兄貴と比べられてて……。ほんと、ひどかった」

 俺は、鈴木さんにざっくりと説明した。いつも兄と比べられていたこと、そういう環境に耐えられず実家を飛び出したこと。

 アルコールが回っているせいか相手が鈴木さんだからか、これまで避けていた話題にもかかわらず、あまり悲壮感を漂わせることなく話すことができた。

「そういうもんかなぁ……」

「えぇ。だから鈴木さん、ひとりっ子で正解です」

「……別に俺の手柄じゃないけどな」

 若干引き気味の鈴木さんは、海藻サラダをせっせと食べている。前に沖縄料理の店で食べた海ぶどうが入っていたのが、何だかおもしろかった。サバの竜田揚げも、生姜がよくきいていて美味しい。

 ハイボールを飲み干し、ジョッキをコトンとテーブルに置いて鈴木さんが言った。

「どっちかっていえば、舞んちがそんな感じでさ……」

「舞さんの、ご実家?」

「うん」

 新しく注文したアルコールが運ばれるのを待ってから、鈴木さんは静かに語り出す。俺は骨せんべいを片手に、運ばれたばかりの梅酒をちびちびやりながら耳を傾ける。

「舞は三人きょうだいの真ん中でさ、子どもの頃からけっこう苦労してきたらしい」

 舞さんには一歳上の兄と三歳下の妹がいる。母親は癇癪持ちだった兄につきっ切りで、よく舞さんは放置されていた。そして、ようやく兄の癇癪が落ち着いてきたと思ったら、今度は妹が生まれ、結局舞さんは両親に甘えることができなかった。父親は仕事が忙しく、家族を顧みる余裕はなかったらしい。

「大きくなってからもお兄さんは頼りなくて、妹のことも含めて、舞がいろいろ世話を焼いてたらしい」

 鈴木さんの話に、俺は聞き入ってしまう。環境こそ違えど、家族関係で苦労してきた舞さんに親近感を覚えた。

「だから舞もな、早々と家を出て自立したんだ」

 高校を卒業した舞さんは、大学へは進学せずにみなとスーパーに就職した。そして鈴木さんと出会った。出会った当時、舞さんは二十歳。

 ふと、疑問が生じる。その疑問を、俺は鈴木さんに率直にぶつけた。

「ってか鈴木さん。舞さんといくつ離れてるんですか?」

「ん? 七歳」

「まじですか」

 七歳も年下の舞さん。きっと舞さんがかわいくて仕方がないのだろう。鈴木さん自身もかわいいオッサンになるのもうなずける。

「話聞いてる限りですけど、舞さん、今はすごい幸せそうじゃないですか。鈴木さんのおかげですよね」

 俺がそう言うと、鈴木さんは目尻を下げる。

「だよなぁ。俺も舞と一緒になれて幸せだよ」

 思い切りにやけながらのろけているのに、全く嫌味にならないところがいい。かわいいオッサンは得をする。

 さて、腹も膨れてきたところで、店員を呼んで締めの料理を持って来てもらうことにした。ふたりして梅酒も追加注文すると同時に、店員にあることをお願いした。

「はい、かしこまりました」

 快諾した店員は笑顔で去った。

 鈴木さんと顔を突き合わせる。

「どんな感じで来るんですかね」

「きっと最高のが来るんだろうな」

 鈴木さんの言った通り、締めの料理は最高だった。ヒラメの握り寿司にタイの炊き込みご飯、そしてタイのあら汁に野沢菜漬け。炊き込みご飯は小さな土鍋に入っていて、茶碗によそうと美味しそうなおこげが顔をのぞかせた。

 どれから食べようか迷った挙句、俺は自分で釣ったヒラメから手をつけることにした。寿司を手でつかんで、ほんの少しだけ醤油をつけて一口にいった。刺身で食べた時とはまた違った印象だ。ほのかに感じる甘味。昆布締めにしてあるのか。

「鈴木さん、ヒラメ最高ですよ」

「真也。このタイ飯やばいぞ」

 タイの炊き込みご飯を食べていた鈴木さんと、声が重なった。

 炊き込みご飯も頬張る。散らされた三つ葉と針生姜がいいアクセントになった上品な味わい。そしてふっくらジューシーなタイの身。

 続いてあら汁をすする。味噌仕立てのあら汁は、タイのあらとねぎのみのシンプルな一品だ。タイのうまみが移った汁を味わったあと、俺と鈴木さんは骨についている身をしゃぶった。

 ほぼ無言で食べ切り、手つかずの梅酒が残った。

「美味かったな~」

「はい。俺、こんな美味い魚料理食べたの初めてかも」

 ちびりちびりと梅酒を飲む。

 ぽつりと鈴木さんが言った。

「増井先生も俺と同じような気持ちだと思うよ」

「……?」

「だから、さっき言ってたじゃん。俺は舞と一緒になれて幸せだって。だから、きっと増井先生も真也と一緒になれて幸せだよ」

 思わずにやけてしまう。俺はかわいいオッサンになれているだろうか。

「はい。香織さんもきっと、いや絶対幸せです」

「だって俺たちふたりとも、奥さんとふたりだけど、ちゃんと家族だもんな」

「家族……」

 家族という言葉がしみじみと俺の胸に沁みてくる。帰宅したら、香織さんに家族になってくれてありがとうと言おう。いきなりそんなことを言ったらあきれられるだろうが、俺は本気だ。

 タイミングよく、さっき店員にお願いしていたものが運ばれてきた。それぞれに手渡された包みを持ち、俺たちは席を離れる。

「これ持って帰ったら、舞も増井先生も、きっともっと幸せになるぞ」

「ですね」

 俺の包みはヒラメの握り寿司で、鈴木さんの包みはタイの炊き込みご飯だ。

 自分で釣った魚を手に、俺たちはこの世界で一番小さな家族のもとへ帰っていく。

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